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長野県佐久市 新海三社

Shinkaisanshajinja,Saku City,Nagano

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佐久市田口2329 新海三神社三重塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正12(1515) 三間三重塔婆、こけら葺 19070828

佐久市田口2329 新海三神社東本社 重文 近世以前/神社 室町後期 室町後期 一間社流造、檜皮葺 19370729



March 29,2026 大野木康夫 source movie

所在地 長野県佐久市田口宮代2394

【佐久市ホームページから引用】
新海三社神社は、その創建は不詳ながら、興波岐命を主神として東本社に祀り、その父神・建御名方命を中本社に、伯父神・事代主命を西本社に祀ります。
特に興波岐命が、新開神とも称されることにより、「佐久」の地名の由来ともいわれるほか、諏訪湖の御神渡の「佐久の渡」は、興波岐命が湖上にて父神とご参会された跡とされています。
古来佐久三庄三十六郷の総社と言われた新海三社神社は、広大な社地を有し、旧境内の古墳からは蕨手刀が出土し、武神としても崇敬あつく、源頼朝による社殿の修理再興の口碑、武田信玄の箕輪城攻めに際する戦勝祈願の願文も残されています。
入口の大きな鳥居をくぐると遠くに大ケヤキと大スギが立ち並ぶ参道が暗い影を落としています。
その先の石段を上ると、拝殿が正面に見え、その脇には神楽殿があり、非常に静かな佇まいは、とても落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。
拝殿と神楽殿は共に木造の簡素な装飾で、大きな社叢の中に静かに鎮座しているように見えます。
拝殿後方には、西本社、中本社、東本社の三つの社殿が並んで建っており、素木で作られた拝殿の質素な雰囲気とは一変し、西本社と中本社は朱と彫刻が見事な流造となっています。
また、西本社と中本社の間には、御魂代石の石幢があります。
一番右の東本社は一間社流造・桧皮葺で、母屋の柱貫木鼻の笹模様などに時代的な特徴が示され、国の重要文化財に指定されています。
当社の奥には、室町時代末の永正12年(1515年)の建造物で、東社と共に国の重要文化財として指定された三重塔があり、その建築様式は三間三重塔婆・柿葺で、禅宗様と和様を折衷した建築当時の特性をよく示しています。

     

中本社・西本社(佐久市指定文化財)
元禄13(1700)年の建築
中本社 一間社流造、銅板葺
西本社 二間社流造、銅板葺
【佐久市ホームページから引用】
新海神社の中本社、西本社の創建は何時頃誰の手により、どのような形式で行われたかは不明である。鎌倉時代源頼朝によって神殿の再興と、誉田別命を合祀した記録のあることは、その時既に神殿の造営は行われていたと推定される。
各種の記録・古文書によると、750年余の間の改修に次ぐ改修、また再建も行われ、その都度その時代相応の装飾意匠が付加されたと想像される。
現在の中本社・西本社の建築年代については、元禄12年(1699)の請負証文と元禄13年(1700)の棟札があり、棟梁を田野口村の佐兵衛とした、2年間の工事であったことがわかる。
中本社の母屋は円柱に縁長押・半長押・内法長押を打ち、頭貫(拳鼻付き)を通す組物は連三斗とし、肘木には水繰をつける。中備は蟇股とし、薄肉彫の彫刻(鶴、竹に雀など)をいれる。妻飾は二重虹梁とし、二重目は丈の短い大瓶束(双斗つき)で受け、中備に板蟇股をいれ、棟木も大瓶束で受ける。縁は側面にのみ付き、脇障子を付ける。
母屋正面には幣軸をたて、板扉を入れる。また正面は縁を省き、木階がつく。向拝は大面取の角柱で、中央が湾曲した虹梁形の貫をいれ、両端に木鼻を付ける。組物は出組とし、肘木には水繰をつける。中備は大斗肘木とする。母屋とは海老虹梁でつなぎ、海老虹梁尻は大斗におさまる。軒は二軒の繁垂木で、飛檐垂木には反りを付けてある。
西本社の母屋は中本社と同様の軸部形式とし、中備は正面が蓑束、妻側は蟇股(薄肉彫の彫刻入り)とする。妻飾も中本社と同様に二重虹梁とするが、大瓶束のかわりに軍配形彫刻(双斗つき)でうけ、中備に板蟇股をいれ、棟木は大瓶束(双斗つき)で受ける。縁は側面にのみ付き、脇障子を付ける。母屋正面には二軒とも幣軸をたて、板扉を入れる。また正面は中本社と同様に縁を省き、木階がつく。
正面中央の柱上にある組物の上には、象鼻の彫刻も付ける。向拝は、二間とも中央が湾曲した虹梁形の貫を入れ、両端には獅子の彫刻木鼻を付ける。組物・中庸は中本社と同じである。母屋とは海老虹梁でつなぐが、中央の柱上は海老虹梁とせず手挟みを入れる。

     

東本社と三重塔

               

東本社(重要文化財)
室町後期の建築
一間社流造、檜皮葺
【佐久市ホームページから引用】
社殿の沿革は不詳であるが、形式手法からみて室町時代(1392~1493)の建築である。部分的には江戸時代補修のあとを残しているが、全体的に当初の形式がよく保存されて東信地方における貴重な遺構である。建築上の特徴としては、優美であり温雅な感じのする一間社流造、屋根は桧皮葺、箱棟は鬼板をつけ置千木、勝男木をおく、回縁のほか浜床にも高欄をめぐらし前に木階(階段)を設け、正面は方立幣軸の板戸である、向拝の木鼻は端正な形をしているが完全な象形ではなく、母屋頭貫の左右に出た木鼻は笹の葉の薄肉彫りがある。向拝柱の上の組物は三斗で中央に蓑束をたて母屋と海老虹梁でつないでいる。

                          

三重塔(重要文化財)
永正12(1515)年の建築
三間三重塔婆、こけら葺
【佐久市ホームページから引用】
塔は塔婆の略で本来仏教建造物である。したがって神社に塔というのは不思議であるが、わが国には神仏習合という長い歴史があって、新海三社神社境内にも神宮寺があり、神宮寺の塔として建立されたのがこの三重塔である。明治維新の際、神仏分離令により神宮寺は川原宿へ上宮寺と寺号を変更移転し、この塔だけは神社の宝物庫という名目で現在地に残された。明治40年(1907)には国宝に指定され、現在は法改正により国の重要文化財になっている。
この塔は室町時代末永正12年(1515)の建造物で、南を正面とする方三間三重、柿葺のつくりである。初層軸部はほとんど後世の改造であるが、第三重は当初の材を多く残している。明らかにされた特徴として次のようなことがあげられている。
(1)自然石の礎石に建つこと。
(2)水煙という九輪頂上の装飾の輪郭が矩形であること。
(3)塔の様式は、和風を主としているが、初重の扇垂木や第三重の軸部は禅宗様であり、和様と禅宗様が各重ごとに混在していること。
(4)頭貫木鼻が各重ごとに違っていること。
このような建築上の特色はあまり類例のない珍しいものとされている。
明和4年(1767)修理の折、小須田七之丞にあてた感謝状の中に、この三重塔が永正12年(1515)に修理再建した旨が記されている。
なお、この塔は嘉祥2年(849)創建という伝承もある。

                                                   

 

 


July 14,2013 瀧山幸伸 source movie

A camera

                                       

B camera

                                                                 


Apr.2007 瀧山幸伸 source movie

佐久市田口2394

頼朝ゆかりの山奥の神社。元は神仏混合であった。

静かな山麓にひっそりとたたずむ優雅な三重塔と神社。

参道の大木、水路の水音が世俗と境内を隔てる、癒しの地。

神社と塔の立体的構成が美しい。

    

三重塔(国重文)

        

東本社(国重文)

         

June 2005  source movie

     

東本社(国重文)

     { 

三重塔(国重文)

静かな環境、背景の林に調和し美しい。

         

調査メモ

June 2005 訪れる人はいない。おばあさんが一人、境内林内でフィールドゴルフ(木の大きな玉を使用)をやっているのみ。癒される空間。

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