長野県上田市 常楽寺
Jorakuji ,Ueda City,Nagano
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上田市別所温泉2347 常楽寺多宝塔 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 石造多宝塔 19610323
July 13,2025 大野木康夫 source
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所在地 長野県上田市別所温泉2347
常楽寺は別所温泉の北西の山裾に建っています。
本堂(上田市指定有形文化財)
1730年代頃の建築
桁行九間、梁間七間、一重、寄棟造、茅葺、正面向拝一間
本堂裏手の石造多宝塔へ
多宝塔(重要文化財)
鎌倉後期建造の石造多宝塔
【「上田市の文化財」から引用】
常楽寺本堂左側の道を上ると、昼でも暗いような静かな杉木立の奥に、多宝塔と呼ばれる堂々とした石造の塔が一基建っています。ここを北向観音の出現地といい、おごそかなたたずまいを感じる境内です。このりっぱな多宝塔の由来は次のように伝えられています。
「平安時代の初めのころ、別所の東北にある山の麓あたりの地の底が突然ゆれ動いて、大きな火の口があき、そこから紫色の煙がたちのぼり、南方へたなびいて今の北内観音堂の桂の木に止まった。その先には金色をした千手観音のお姿が見えたので、天長三年(826)北向の観音堂を建てて仏様を安置した。そこで、このありがたい仏様が地中から現れた火口跡に、木造の多宝塔を建立し、常楽寺境内の最も神聖な場所とした。
ところが、鎌倉時代にこの多宝塔が火災で焼けてしまったので、弘長二年(1262)賴真という和尚さんが、今度は石で多宝塔をつくり、お経を奉納した。」ということが、石造塔の四面に刻まれています。それからこの塔は、今日まで約730年もの長い間、風雪に耐えてきたのです。
多宝塔の形は土台石の上に横長の直方体の石をのせ、幅の広いひさしをさしかけます。その上部は円筒形の身舎を造り出しその上に笠をのせ、一番上に細長い相輪を立てます。常楽寺多宝塔もこれと同じ形で総高274.0cm、塔身は厚味のある四角形の石でがっちりと上部を支えています。笠の背は低く降り棟の反りもわずか、軒先の切口は厚く四角で少しはねあげ、軒端を垂直に切っています。こうした重厚で堂々とした風格や造り方からみて、鎌倉期多宝塔の代表といえましょう。
石造多宝塔のすぐれたものは全国的にも少なく、わが国で重要文化財に指定されているものは、この常楽寺塔と滋賀県の「少菩提寺塔」の二つだけです。中でも少菩提寺塔は多宝塔本来の形とやや異なるので、常楽寺塔は最も大切な遺品と考えられています。
Jun 13, 2022 瀧山幸伸
A camera
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June 2005 瀧山幸伸 source movie
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