長野県上田市 生島足島神社
(Ikushimatarushimajinja Shrine, Ueda City, Nagano Pref.)
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January 21, 2022 野崎順次 source movie
長野県上田市下之郷中池西 701
延喜式内名神大社
生島足島神社について
生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、主きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には湖訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。
ご由緒
創建の年代については明らかではありませんが、神代の昔、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられています。
生島神は生国魂大神、足島神は足国魂大神とも称され、共に日本全体の国の御霊として奉祀され、太古より国土の守り神と仰がれる極めて古い由緒を持つ大神であります。
当社は歴代の帝の崇敬厚く、平城天皇の大同元年 (806年) には神戸 (封戸) の寄進があり、醍醐天皇 の廷喜 の代 (901年~922年)
には名神大社に列せられています。建治年間 (1275年~1278年) には北条国時 (陸奥守入道)
が社殿を営繕し、地頭領家も祭祀料の田地を寄進しています。戦国時代以後も真田昌幸・信之等の武将を始め、代々の上田城主も神領を修築するなど、崇敬を表しています。
殊に天呈が都を定められる時には、必ず生島・足島二神をその地に鎮祭される例であり、近くは明治2年、宮中にこの二柱の大神を親祭され、同23年勅使差遣になり国弊中社に列せられています。
神域社殿
御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて立っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。この池を巡らせて神域とされる島をつくる様子は「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」と称され、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされるものです。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。
(本社公式ウェブサイトより)
アプローチ、上田電鉄別所線上田駅、真田幸村の人形を持ったおじさんがいて、何やらビデオ撮影中。
上田駅から下之郷駅
旧西丸子線下之郷駅
北側の参道から、北鳥居(大鳥居)、本殿を火災から守った御神木
現地説明板、御由緒書パンフレット
県宝 歌舞伎舞台
摂社諏訪社神楽殿
御神木、夫婦欅
県宝 摂社諏訪社本殿及び門
瑞垣内の磐座「いぼ石」
東鳥居と参道
神島へ、御神橋、参橋、子安社(以前は独立の小島だったらしい)
県宝 生島足島神社御本社本殿内殿(内部は撮影禁止)
十三社、磐座、神道南部
本殿横の磐座磐境
生島足島神社神池・神島 上古
この生島足島神社の本殿は、神池の中島に造営されていて、古式をそのまま保存している点でも珍しいものであり、貴重な存在である。
この神池は、本殿のある中島大島と、末社の子安社のある小島があるが、これらの池島の現状から推考すると、古くはさらにこの神池中に、別にもう1,2棟があったのではないかと考えられる。いずれにしても、これらの大小二島の中に社殿の造営されていることは、上古の神池形式をそのまま保存している点で重要性がある。
そしてこのような神池構成は記紀に見られる池心宮式を語るものであり、池の中島に神々を奉斎する上古の式が、そのまま完全に保存されている点で興味があり、しかも本神池が、出雲式神池と考えられる点が、一層の重要性をもっている。
ただ惜しいことに、この神池が、江戸末期頃において大変な改修がなされたために、池畔の護岸石などが出来て、古い神池の面目を悪改修した点は困ったことである。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
神池と神島を西から見る。池の3分の2くらいが凍っている。
南 - 西から見る。
北西から見る。
神池の北側、荒魂社、太田水穂・峯村国一師弟の歌碑、「宇宙空間に表現された時間」
八幡社、磐座、御歳代御仮殿
帰途、下之郷駅と車内
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