長野県佐久市 八幡
Yawata,Saku city,Nagano
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中山道24「八幡宿」
概要
「塩名田宿」→「八幡(やわた)宿」→「望月宿」と続いて行く中山道ですが、八幡宿は前宿との距離が3キロ(27丁)未満でしかなく、中山道の中で最も近い距離となっています。しかし、八幡宿の先は、瓜生峠を控えた登りのきついかなりの悪路であったそうで、ひと息での峠越えは難しく、その手前に人馬の難渋を緩和するため短い間隔になったとしても必要な宿であったようです。
当時の旅路は峠越えもそうですが、川を越えることも大変なことで八幡宿も千曲川を控えていましたので、増水による足止めの利用もあり、前後の難渋を緩和する宿と言えます。それゆえ、小さな宿であったにもかかわらず脇本陣は4軒もありました。
1843(天保14)年の『中山道宿村大概帳』によれば、宿内家数は143軒。そのうち本陣1軒、脇本陣4軒、旅籠3軒で宿内人口は719人となっています。
八幡宿は当初は「あら町」(←新しい町という意味でしょうか)と呼ばれて近隣の3ヶ所の「桑山」「八幡」「蓮田」などの村から人々が集まって形成された宿で、現在でもその地名は塩名田宿寄りより「浅科村大字桑山」、「浅科村大字八幡」、「浅科村大字蓮田」などと残っています(平成17年より佐久市桑山などに改められる)。
宿名の元になったといわれる「八幡神社」は宿の中心部にあり、旧本殿は高良社として国の重要文化財になっています。高良は高麗の変化ともとられ朝鮮半島から渡ってきた人々が、朝廷に貢馬を放牧する広大な官牧であったこの地で、いろいろな仕事にかかわっていたのでは、との説が有力です。
宿のはずれになる百沢集落には若干ですが細い道筋と古い建物が続き、中山道旅人気分を味わう事ができますが、どこの宿にもある問屋場や高札場の案内は無く、本陣近辺も気がつかなければ通り過ぎてしまうほど寂れて、昔の喧噪は想像できません。緩やかに曲がっていく道だけが宿であった面影を残しているようです。
1,塩名田宿からバスで御馬寄バス停下車
塩名田宿からの続きを歩きます。塩名田宿の外れの千曲川に架かる中津橋で舟つなぎ石を確認して、さてこれから八幡宿に向かうのですが、バス便があるので利用することにします。途中の景色は車窓よりです。
「御馬寄」で下車。「みまよせ」と読みますが、律令制の頃、官牧望月牧の貢馬を寄せ集めたところとしての地名の残りです。佐久平のこの一帯は国有の牧場でしたので、馬にかかわる地名もとても多いです。
「御馬寄の一里塚」があるはずですが、バスの中からなので見落としたました。御馬寄は塩名田宿の加宿(宿駅での人馬が不足の時に助っ人する宿)を担って千曲川の渡しの労役などを受け持っていた村でもあります。
2,八幡神社 随神門
歩いていたら、道ばたに野菜畑。プチトマトをおばさんがもいで下さったので有り難く頂きながら八幡神社に。
鳥居をくぐります。鳥居の先にあるのは彫刻が見事な随神門。佐久市文化財です。両脇に衣冠束帯に剣と弓矢を持った武官神像。良いお顔です。
随神は平安の頃、貴人の警護のために前を歩いていた武士のことで家にいるときは門前で警護をした、といいます。神社なので随神、お寺ですと随身となるそうです(お寺では仁王様が警護に就いていられる事が多いです)。造りは、三間一戸、入母屋、桟瓦葺き(鯱付き)、八脚、外壁は真壁造り素木板張り、上層部高欄付です。
3,拝殿、本殿
正面の拝殿も後ろの本殿も見事な彫刻です。本殿がじっくりと観察できる神社はあまり多くはなく、正面も脇面もびっしりと細かな彫刻が施されていて、見とれてしまいます。虹梁も見事。色彩の赤色、緑色、青色も所々残っていて当時はきらびやかであったろうと想像できます。江戸時代の1783(天明3)年前後に随神門とともに改築。このときにあった本殿が旧本殿(高良社)となっています。
4,高良社(こうらしゃ)
八幡神社旧本殿。八幡神社は御牧の管理をしていた滋野貞秀が願主となって平安時代の866(貞観8)年に創建されています。境内は望月氏の居城である望月城に対して鬼門に当たるために鬼門を封じる神社として代々庇護を受けています。御牧ヶ原台地一帯七郷の総社でもありましたので、周辺住民の信仰も厚く、戦国時代の1491(延徳3)年に本殿が造立されています。これが現在旧本殿(高良社社殿)として残っているもので、昭和17年には室町時代の遺構として国の重要文化財指定を受けています。
社殿は3間社流造、柿葺、庇門、手挟の絵模様、木鼻の模様など室町時代の特徴的な美術がよく現れています。黒く塗られた板扉の十六菊、三つ柏、五七の桐紋がとても鮮やかです。
5,本殿周囲
小さな瑞籬門(みずがきもん)があります。江戸時代の1708(宝永5)年建立。道祖神や大きな灯籠。他に多くの社があります。
6本陣脇本陣〜馬頭観音
八幡宿の本陣は小松氏、脇本陣は問屋、名主も務めた依田氏、松沢氏などと記録には残り、本陣門、脇本陣門、関札、本陣である「大阪屋」などの看板なども現存はしているそうですが、宿道筋にある案内は和宮様が宿泊されたという小松家の門と本陣跡を示す石柱一本しかありません。
脇本陣の門らしきものもありましたが、お住まいの方の表札名が違い、遠い親戚かも知れないとの可能性を残しながら、付近の表札を照らし合わせてみましたが、合致には至らず。帰宅後の調べ物の中には脇本陣は4軒とも場所はもはや不明と書いてありました。
少し先に進むと小さい馬頭観音様が二つ。大きなものは崩し字ですがなんと読むのでしょうか。これももしかしたら馬頭観音様かもしれません。
7百沢〜祝言道祖神
左から来ている県道に合流します。中山道八幡宿碑があり「笠取峠まで11.9キロとあります。更にその先に合流するのは国道142号線です。国道の交差点から右後方を振り返って見えるのが、広大な御牧原(みまきがはら)です。奈良時代から平安時代にかけての官牧のあった所です。
旧中山道は信号より右の細い道に入ります。
このあたりは八幡宿の外れとなる百沢集落。宿の面影を残している道筋です。そういえば京の西口などどこにあったのか、何の案内もありません。
細い道に覆い被さるように古い家が続きます。物音一つしません。10分も歩くと百沢集落は終わり再び国道に出ます。その手前に、珍しいと言われる「祝言道祖神」があります。
説明板には「長野県安曇地方で発生した道祖神。神々の衣裳をまとっている道祖神が多い中で、この道祖神は宮廷貴族の衣裳を来た男女がお酒を酌み交わしている珍しい道祖神です」、と書いてあります。
道祖神とは別名を塞の神(さえのかみ)と言い、塞ぐという字が使われているように、集落の境界にあって異境から侵入してくる邪悪を防ぐ役割を持っています。また集落境界は神様や霊魂も入ってくる通路でもありますので祀りの意味も併せ持ちます。単なる石に注連縄という場合もあります。もちろん石には伝説とか由来とかあるのでしょうが、悪いことを防ぐ意味では同じです。
交通安全を願ったり豊作や子どもの成長や良縁を願ったりもしますから、草鞋やよだれかけが付属したりもします。杯をもつこの祝言道祖神とは夫婦和合の願いでしょうか。見ているとほんのりとします。
国道に出ます。これから望月宿に向かいます。
Oct.10,2015 瀧山幸伸 source movie
八幡
Yawata
八幡神社、高良社
Hachimanjinja,Kourasha
佐久市蓬田101 八幡社境内神社高良社本殿(旧八幡社本殿) 重文 近世以前/神社 室町後期 延徳3(1491) 三間社流造、こけら葺 棟札5枚 19421222
八幡宿
百沢の祝言道祖神
中山道 道標石
June 2005 瀧山幸伸
中山道 塩名田から八幡 ドライブ
Nakasendo Shionada to Yawata drive
HD quality(1280x720): supplied upon request.
中山道 八幡 宿場内 ドライブ
Nakasendo Yawata town drive
June 2005 source movie
八幡
Yawata
June 2005 source movie
本陣跡
脇本陣跡
百沢の祝言道祖神
八幡高良社(国重文)
Hachiman Kourasya
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June 2005 source movie
取材メモ
八幡の宿場には古い建築が残っている。磨けばよみがえる。
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