長崎県南島原市 原城跡
Hara castle ruin ,Minamishimabara city,Nagasaki
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世界遺産 長崎の教会群とキリスト教関連遺産 聖地巡礼
Jan.29/30, 2014 田中康平
長崎県南島原市南有馬町丁
国指定史跡 指定年月日: 1938.05.30(昭和13.05.30)
1637年に起こった島原の乱の舞台となった城。蜂起し立てこもった3万数千人が惨殺されたとされる。近年遺骨が多数発掘された。城壁も破壊の跡が多く見られる。有明海に面した原城の規模はかなり大きく、攻める幕府側も大きな損害を出したといわれる。
島原半島ノ南部ニアリ明應年間有馬氏初メテ城ヲ此地ニ築キタリシガ元和二年松倉重政島原ニ治スルニ及ビ廢城トナリ城壁ノ石材ハ取除カレタリ寛永十四年十二月島原、天草ノ切支丹宗徒等益田時定ヲ將トシテ此ニ據レリ幕府ハ初メ征討使トシテ板倉重昌ヲ遣ハシシガ次デ松平信綱ヲ遣ハスニ及ビ重昌翌年正月急ニ城ヲ攻メテ戰死シ信綱更ニ諸藩ノ兵ヲ率ヒテ之ヲ攻メ二月遂ニ落城セリ城阯ハ既ニ山林田畑ニ化セルモ猶本丸二ノ丸 三ノ丸天草丸出丸等ノ名ヲ存シ板倉重昌ノ碑佐分利氏ノ墓、骨カミ地藏及慶安元年建立ノ供養碑等アリテ舊態ヲ偲ブニ足レリ
( 国指定文化財等データベース 解説文)
原城本丸跡
原城跡発掘出土品展示室 (原城文化センター)
島原の乱の激戦地。明応5年(1496)有馬貴純が築城した。有馬義貞とその子晴信はキリシタン大名であり、彼らの庇護により信者が増加した。
晴信の子直純の時、幕府の禁教令によりキリスト教弾圧の側に回った。慶長19年(1614)松倉氏統治となり、松倉重政とその子勝家によりキリシタン弾圧をはじめ数多くの圧政が行われる。寛永14年(1637)島原の乱が勃発。天草四郎率いる一揆軍は原城跡に籠城したが幕府軍に鎮圧された。住民のほとんど、子供を含め老若男女3万人以上が処刑されたと伝えられる悲劇の地。
世界的に悲劇の地は史跡(メモリアル)として観光の目的地となるのだが、日本では広島長崎以外はそれほどでもない。日本人の「恩讐は水に流す」という楽観的なアニミズム世界観が影響しているのかもしれない。
1st camera
2nd camera
北:雲仙を望む
南:天草を望む
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