長崎県長崎市 池島
Ikeshima,Nagasaki city,Nagasaki
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May 3,2019 柚原君子
長崎県長崎市池島町
池島は長崎市神浦の西方向、約7kmの角力灘(すもうなだ)に浮かぶ島です。標高115mの四方山がありますが、その他は起伏のない島です。炭鉱産業で発展した島ですが、いまでは廃墟と化した団地群と廃坑とそれらにまつわる崩れた産業遺構などが異様な形で乱立して奇異な印象の島で、近年は軍艦島に続いて人気が出ています。
島にいつ頃から人が住んだのかは定かではないそうですが、1629(寛永6)年にキリシタン弾圧による殉教者を出しているところから、江戸時代には弾圧から逃れたキリシタンの集落があったと推察されています。
1644(正保元)年の鎖国が始まると郷地区の一角に番所が「池島小番所」が置かれます。
池島には良質の石炭が埋蔵されている事は解っていたようですが、戦争があったので本格的な炭鉱開発は昭和の中頃になってからです。石炭産業で栄えた島は最盛期には最多人口7776人でしたが、2019年には95世帯 180人と著しい減少です。
世界遺産になった軍艦島のように有名ではありませんが、遺構が林立する風景は見応えがあります。
炭鉱に関しては島に立てられていた説明板を原文掲載します。
『池島の炭鉱開発は、昭和27年(1952)10月、松島炭鉱株式会社より着手され、昭和34年(1959)10月より営業出炭を開始しました。以来、石炭産業が基幹産業として地域発展の中心的役割を果たすことはもちろん、優れた炭鉱技術で日本ひいては世界のエネルギー産業の発展に多大な貢献をしてきました。
炭鉱開発前、小さな漁村集落でしかなかった池島は、炭鉱の操業開始とともに飛躍的に発展し、港湾、道路、住宅などの基盤整備が次々と行われ、島の人口も最大時には7,776人を数え(昭和45年住民基本台帳人口)、出炭量は153万トンに達しました。(昭和60年)国内の炭鉱は、昭和30年代から昭和40年にかけて、エネルギー供給の主体が石油に移る「エネルギー革命」と、単価が安い外国炭に押されて、厳しい経営を強いられ、残存炭鉱が次々と閉山に追い込まれていきました。そのような中で池島炭鉱は、炭質、採掘条件とともに優れた国内有数の炭鉱として、国の炭鉱政策のもとで、最後まで生き残りを図り、労使協調のもと保安確保を前提として着実な操業を続けました、しかし、約3倍にも及ぶ内外炭の価格差などにより、炭鉱の経営維持が困難となり、池島炭鉱は平成13年(2001)11月29日に閉山しました。なお、池島という島の名前は、現在港になっている周囲1.2kmの大きな池(鏡が池)からとられています。(長崎市説明原文)
1,ホテルタンダ~神浦港
池島は長崎では有名な軍艦島よりさらに北にあり、軍艦島と同じようにかつて炭鉱で栄えた島です。いまでは炭鉱従事者が住んだ団地の廃墟と炭鉱遺構と猫がいることで有名になっています。猫好きの私としては長崎では是非訪れたい島でした。
宿泊先のホテルタンダより市電で長崎駅に出て、そこからバスで桜の里へ。バスの中では長﨑らしく、シスターが静かに本を読んでいる横顔に見とれつつ、桜の里でバスを乗り換えて外海に。出津集落を通過して、大野集落のある神浦港にいきフェリーに乗ります。
神浦港よりフェリーに乗り換えて30分。池島をめざします。
島が近づくにつれて、かつて炭鉱の島であった産業遺構が見えてきます。
海に突き出るようなベルトコンベアー、低い山肌にもたれるようにがれきとなった選炭工場。貯炭場・積込場跡のジブローダーといわれる石炭船積み機。船に石炭を積み込むトリンマーなどが迫力を持って迫ってきます。かつて多くの人々が確かに働いていた痕跡です。下船します。
フェリーターミナルを降りた所は入り江のように見えますが、元々は池であったそうで、島の名称もこの池から来ています。下船後、まずは左回りに猫探しです。10分も歩かないうちに4階建ての団地に。ベランダの網戸が倒されていたり、部屋の中が風雨にさらされているようで荒れ果てた部分もありますが、居住されている方もいらっしゃるようで、所々の部屋でお洗濯物が揺れていたりします。不思議な光景です。その団地の前の広場に住人のお年寄りと一緒に猫がゴロゴロ転がったり、ひだまりに目を細めて座ったりしていました。
団地を過ぎて海沿いの道をたどると炭鉱の遺構群が見えてきます。トロッコもありますが、廃鉱の中に入って行かれる観光用で、訪れた当日はやっていないくて残念。島を周遊するバスもお休みでした。海を見ながら歩いて行くと発電造水施設があります。鉄の折れ曲りや錆び具合がレトロ感を出しています。池島は海底ケーブルによって電力の確保はなされていましたが、停電時の備えに選炭過程で発生した微粉炭を燃料に使用し8,600kWの出力ができる石炭火力発電所を昭和41年に設置しています。
ここはまた、ボイラーの廃熱を利用して海水から真水をつくる装置が日本で初めて設置された場所でもあります。この装置は1日に2,650トンの真水をつくり、坑内へ300トン供給し、他は水資源に乏しい離島である池島の人々の生活に寄与したそうです。島の中のあちらこちらに見られるパイプは発電所の蒸気を銭湯に送ったり、真水を各家庭に送ったものです。
旧発電所を過ぎて池島の北側に。炭鉱時代の居住区を歩いてみます。平成17年に最後に残っていた床屋さんが閉店したそうで、朽ち果てた廃屋が細い道の両側に続きます。パチンコ台が放り出されていたり、家の中の生活雑貨がそのまま置き去りにされた状態で家はほとんど壊れた状態ですが、そうかと思うと急な石段を上がった先のお宅には洗濯物が干してあったり。ここもまた奇異な景色です。
最盛期には7000人以上の人々が暮らされていましたので、パチンコ屋さんもあったにぎやかな通りだったのでしょうね。旧商店街を抜けると「池島小番所跡」に。外海地区の16ヶ所あったうちの一つです。
鎖国政策に伴い外国船や抜け荷の監視のために置かれた番所です。管轄する大村藩の藩士は初めは5月から夏の間まで番所を開けて、オランダの帆船が9月に母国に帰るのを見届けてから引き上げていましたが、唐の船が沖合で抜け荷をする事件があってからは一年中番士がいることになったと、説明版に書かれています。
「池島小番所跡」から石の道をさらに上がっていくとまた少し居住区の跡があり、旅館の名前はそのままに、入口のガラスは割れたままです。高低差が有り、下の方は一般の生活の商店街、上の方が飲み屋さんなどがある歓楽街と分かれていたそうです。登り切ると五島灘(別称:角力灘・スモウナダ)という青い広い海が見渡せます。
6池島炭鉱第一立坑櫓
「池島小番所跡」を登り切ると広い道に出ます。バス通りです。この辺り一帯が郵便局や診療所、小・中学校のある現在の池島の中心地です。
広い通りを進んで行くと、猫が2匹戯れていました。その奥は草むしていて鉄条網が張られて入れないようになっています。木の陰から見えるのは炭鉱のシンボルと呼ばれる立坑櫓です。立坑櫓は地下数百メートルの水平坑道へ、人や資材を揚げ降ろしするための立坑に設けられる、櫓型の建造物。滑車とワイヤーを使ったエレベーターのようなもの。左側には矢張り同じように赤茶けたパイプ。途切れた形。マニアには絵になるようです。島中に巡らされていた真水や温水を運ぶパイプです。
道路の反対側には蔦の這うマンション群。廃墟です。炭鉱住宅跡と示されていますが1953年頃から建設が開始されて1978年までに約50棟が建てられて、水洗トイレを備えた近代的団地だったそうです。そして団地を縫うようにあちらこちらに途切れたパイプと猫。
団地群を巡っているうちにちょっと方向感覚がなくなり、港の方に行く道に出てしまったようで、猫がたくさんいる「母ちゃんの店」が探せません。道はどんどん海沿いになり途中にあったのは長い長いベルトコンベアーとジブロータと呼ばれる炭鉱遺構。港に入ってくる船の軌跡と青い海と空と島はとても絶景。歩いているうちにあれあれという間に選炭工場の機械群の前を通って出発地の港に戻ってしまいました。
トロッコが坑道に入って行く線路がみえて、山羊が草を食べています。どこもかしこも絵になるところばかりです。
仕切り直しです。猫が多くいるという「かあちゃんの食堂」をめざして出発です。先ほど50棟は建てられていたというマンション群をめざします。池島小・中学校の前を通り、島に一個所しかない信号機を通ると「かあちゃんの店」です。いました。いました。たくさんの猫。夢中で撮影して夢中で遊んでしまいました。廃墟になっている誰も住んでいない団地群を背景にして猫はのんびりと遊んでいます。かあちゃんの家から食料を貰っているので、港に近い団地にいた猫たちよりは肥えています。恋の季節でもあったらしく、カップル猫が寄り添って歩いて行くのも見えます。
タップリと遊んで(猫に遊んで貰って)来た道を戻ります。
上陸した時にすぐには目に留りませんでしたが、港近くに戻った団地の前に「殿のやぐら跡(とんのやぐらあと)」の立て札がありました。江戸時代の鎖国中、大村藩は領地である池島に小番所などを設けて長崎の不正の積み荷やオランダ船の警備をしています。
当時の海岸は玉石で住民たちはそこに櫓を組んで警備に当たる下級武士などを接待したり、御用船の船員にお礼として、磯遊びや花見をさせた跡・ということのようですが、その資料はどこにも残っていないと書かれています。
もっと遊んでいたいけど最終の船で来たとおりの逆道順で長崎市内に帰ります。
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