長崎県長崎市 運上所跡
Unjosho ato,Nagasaki City,Nagasaki
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May 2019 柚原君子
運上所跡及び鉄道発祥の地
所在地:長崎市新地町の長崎市立市民病院前
運上所跡
長崎港は、鎖国時代におけるわが国唯一の外国との窓口。1636年、海外の物資や文化はすべて長崎の出島を通じて入ってきます。幕府は、1859年、長崎奉行が支配する長崎会所、湊会所で一切の貿易業務を取り扱わせていますが、1858年、安政の通商諸条約の締結により、1863年、長崎・神奈川・箱館が開港するにいたり、長崎はそれまでの呼称であった湊会所を運上所と改称します。
運上所は外国貿易に関する徴税事務、荷改めなどの業務を行ない、これが長崎税関の始まりとなります。
鉄道発祥の地
一帯は旧大浦居住地でグラバー庭園で有名な、グラバー氏が住んでいたところです。蒸気機関車がお客さんを乗せて営業走行したのは1872年の新橋~横浜間ですが、それより7年前、トーマス・グラバートーマス・グラバー氏が、1865年(慶応元)年に上海博覧会に出品されていた蒸気機関車「アイアン・デューク号」を買い取り、客車2両(3両とも言われている)を引かせて、市民病院前~大浦海岸までの約600mの線路を敷設して走らせています。
陸蒸気(おかじょうき)と呼ばれていた黒煙を吐く蒸気機関車を初めて走らせた場所としては正しいのですが、鉄道と言い切るには、やはり、新橋~横浜間が妥当の気がします。しかし、新しい時代の幕開けの事柄の多い長崎市、と記念碑を見て思いました。
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