奈良県安堵町 中家住宅
Nakake, Ando town, Nara
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生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 主屋 重文 近世以前/民家 江戸前期 江戸前期 桁行20.9m、梁間10.9m、切妻造段違、四面庇付、茅・本瓦及び桟瓦葺、東面風呂場・便所附属、桟瓦葺 19680425
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 新座敷 重文 近世以前/民家 江戸後期 安永2(1773) 桁行12.9m、梁間6.1m、西妻入母屋造、東妻切妻造、東面庇付、桟瓦葺 棟札1枚 19680425
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 表門 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 長屋門、桁行14.9m、梁間3.9m、入母屋造、桟瓦葺 19680425
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 米蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 土蔵造、桁行14.6m、梁間6.1m、切妻造、本瓦葺 19711228
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 新蔵 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 土蔵造、桁行5.7m、梁間3.9m、切妻造、本瓦葺 19711228
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 乾蔵 重文 近世以前/民家 明治 明治41(1908) 桁行4.8m、梁間4.0m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺、東面庇附属、桟瓦葺 19711228
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 米蔵及び牛小屋 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 桁行12.8m、梁間3.9m、南面入母屋造、北面切妻造、桟瓦葺 19780531
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 持仏堂 重文 近世以前/民家 江戸中期 享保19(1734) 桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、本瓦葺 19780531
生駒郡安堵町窪田133 中家住宅(奈良県生駒郡安堵村) 持仏堂庫裏 重文 近世以前/民家 江戸後期 江戸後期 桁行12.3m、梁間6.9m、寄棟造、茅葺、四面庇付、本瓦葺 19780531
Nov.2011 大野木康夫 source movie
所在地 奈良県生駒郡安堵町窪田133
2011.11.3撮影
大和地方における環濠住居の形態をよく保っている遺例で、二重に堀を回らした中に二軒分の敷地がある。
建物も主屋と附属屋(大棟が重文)のほかに、持仏堂と庫裏まで残しているのは珍しい。
(国指定文化財等データベースより)
中家住宅はJR法隆寺駅と近鉄平端駅が最寄り駅です。
バスの本数が少ないので、法隆寺からレンタサイクルで行きました。
西名阪自動車道の高架を南にくぐり、安堵中央公園から東に向かえば、道の南側に中家住宅の竹藪が見えます。
藪の東側の道を南に曲がると環濠とが見え、2本目の道を西に戻れば、表門の前に出ます。
数台分の駐車場もあります。
中家は、室町時代は筒井家(本拠の大和郡山市筒井はすぐ近くです。)配下の土豪で、窪田一帯を治めていましたが、筒井氏が伊賀に転封になると従わずに帰農し、大地主となりました。
二重の濠に囲まれた中世の環濠屋敷の原型がよく残っており、9棟の建物に加え、竹藪や環濠などの敷地も含めて重要文化財に指定されています。
表門
江戸時代後期の建築
長屋門、桁行14.9m、梁間3.9m、入母屋造、桟瓦葺
環濠に架かる橋は、中央が木の板になっており、非常時には落とすことができるようになっています。
主屋
万治2(1659)年頃の建築
桁行20.9m、梁間10.9m、切妻造段違、四面庇付、茅・本瓦及び桟瓦葺、東面風呂場・便所附属、桟瓦葺
典型的な大和棟(庇の上に急傾斜の茅葺の屋根と、それよりもなだらかな傾斜の瓦屋根を載せた造り)の建物です。
後世の改修が入っているということでした。
表門を入ってすぐのところにあります。
新座敷
安永2(1773)年の建築
桁行12.9m、梁間6.1m、西妻入母屋造、東妻切妻造、東面庇付、桟瓦葺
主屋より新しい建物です。
領主の使いなど、正式な来客のときに使用されたそうで、座敷の高さが主屋よりも数段高く造られています。
米蔵及び牛小屋
江戸時代後期の建築
桁行12.8m、梁間3.9m、南面入母屋造、北面切妻造、桟瓦葺
主屋の左手(西側)の建物です。
現在は物置にされているそうです。
米蔵
江戸時代後期の建築
土蔵造、桁行14.6m、梁間6.1m、切妻造、本瓦葺
主屋の奥(北側)、内側の環濠のほとりに建っており、真ん中の扉を開ければ環濠を渡って持仏堂に向かう橋が架かっています。
新蔵
江戸時代後期の建築
土蔵造、桁行5.7m、梁間3.9m、切妻造、本瓦葺
内側の環濠の東側に面して建っています。
隣に建っている柱は避雷針です。
周りに背の高い竹藪が茂っており、雷が落ちやすいということで、敷地内に2基の高い避雷針を設置されています。
乾蔵
明治41(1908)年の建築
桁行4.8m、梁間4.0m、二階建、切妻造、妻入、本瓦葺、東面庇附属、桟瓦葺
米蔵の西隣に建っています。
環濠から見る姿が美しいです。
米蔵から内側の環濠を渡って持仏堂に向かいます。
持仏堂庫裏
江戸時代後期の建築
桁行12.3m、梁間6.9m、寄棟造、茅葺、四面庇付、本瓦葺
内部に移動式の竈があるそうです。
持仏堂
享保19(1734)年の建築
桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、本瓦葺
かなり離れたところに建っています。
持仏堂があるので、主屋の仏壇はかなり簡素なものになっています。
主屋内部
入口の土間
竈
国内最大級(11口)の竈があります。
あまり火を入れないので、頻繁に修理をしなければならないそうです。
土間に面した部屋から上がらしていただきました。
入ってすぐ右手の部屋は、正式な玄関になっています。
一番奥の床の間のある部屋には、日本最古の梅干し(天正年間)が展示してありましたが、写真を撮るのを忘れてしまいました。
奥の部屋から縁側に出ると、環濠で船遊びをしたおりに船の方向転換をした船溜が見えます。
縁側左手には風呂場(蒸風呂)及び便所が付いています。
新座敷も見学できます。
新座敷は主屋の座敷より階段3段分高くなっています。
新座敷は狩野派の絵師による襖絵や屏風があるので、撮影の際ストロボを使うことはできません。
奥の座敷の襖絵の鶴は、3種類(タンチョウ、ナベヅル、ソデグロヅル)が描き分けられている珍しいものです。
縁側の板は机に使うようなつるつるのケヤキ板が使われています。
新座敷の庭園です。
庭の井戸は飾りだそうです。
茶室
新座敷に入ってすぐに茶室があり、板戸にはカワセミが描かれています。
中家住宅は、今でも敷地内に御家族が住んでおられるので、見学には前日までの電話予約が必要です。
最近は安堵町のハイキングコースになって訪れる方も増えたようですが、この日は1人だけでした。
1人だけでも非常に丁寧に案内していただけました。
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