.auto-style1 { color: black; font-size: 11.0pt; font-weight: 400; font-style: normal; text-decoration: none; font-family: Calibri, sans-serif; text-align: general; vertical-align: middle; white-space: nowrap; border: .5pt solid windowtext; padding-left: 1px; padding-right: 1px; padding-top: 1px; } JAPAN GEOGRAPHIC

奈良県明日香村 飛鳥寺

(Asukadera Temple, Asuka Village, Nara Pref.)

Category
Rating
Comment
 General
 
最古の大仏、最古の寺院跡
 Nature
 
真神原の眺望
 Water    
 Flower
 
 
 Culture
 
飛鳥大仏、諸寺宝、入鹿首塚
 Facility
 
 Food
 


September 13, 2015 野崎順次 source movie

奈良県高市郡明日香村飛鳥

飛鳥寺は588年に百済から仏舎利(遺骨)が献じられたことにより,蘇我馬子が寺院建立を発願し,596年に創建された日本最初の本格的な寺院。 法興寺・元興寺ともよばれた。現在は安居院(あんごいん)と呼ばれている。

創建時の飛鳥寺は,塔を中心に東・西・北の三方に金堂を配し,その外側に回廊をめぐらした伽藍配置だった。 寺域は東西約200m,南北約300mあった。百済から多くの技術者がよばれ,瓦の製作をはじめ,仏堂や塔の建設に関わった。瓦を製作した集団は,この後豊浦寺や斑鳩寺の造営にも関わっていく。さらに,これらの技術を身につけた人たちやその弟子たちが全国に広がり,各地の寺院造営に関わるようになる。

(飛鳥の扉ウェブサイトより)

パンフレットと現地説明板

       

山門から本堂、思惟殿、歌碑

             

塔心礎あたり

     

歌碑、万葉池

           

鐘楼と昭和の名鐘など

           

国重文 本尊飛鳥大仏(釈迦如来像)

年代のわかる現存の仏像では日本最古のものと言われている。金銅仏の釈迦如来像(飛鳥大仏)は推古天皇が止利仏師(とりぶっし−鞍作鳥・鞍作止利 くらつくりのとりともよばれるように,もともとは馬具製作に携わっていた百済からの渡来系氏族の一人)に造らせた丈六(約4.85m)仏。605年に造り始め,606年に完成した。しかし,887年と1196年の落雷のため火災に遭い本堂が焼失したが江戸時代に再建された。飛鳥大仏も補修されたが,顔の一部,左耳,右手の中央の指3本だけが当時のまま残っている。法隆寺金堂の国宝釈迦三尊像とよく似ている。

(飛鳥の扉ウェブサイトより)

             

西から見る。

    

北方に広がる真神原(まかみのはら)

新羅の慶州、百済の扶余の地と酷似する風景という。

        

飛鳥寺西門跡

   

蘇我入鹿首塚

飛鳥寺の境内を西に抜けたところに立つ五輪塔。大化の改新(乙巳の変)のとき、飛鳥板蓋宮で中大兄皇子らに暗殺された時の権力者・蘇我入鹿の首がそこまで飛んできたとか、襲ってきた首を供養するためにそこに埋めたともいわれる。五輪塔自体は鎌倉時代または南北朝時代の建立と考えられている。高さ149cmの花崗岩製で、笠の形の火輪の部分が大きく、軒に厚みがあるのが特徴である。

(明日香村観光ポータルサイトより)

         

その他

    


Dec.2011 野崎順次

撮影日: 1977年8月と10月(2011年にネガフィルムをデジタル化)34年前に謎の石像物に胸躍らせて明日香村を歩き回った。

八雲琴伝承の人間国宝、故山本雨寳師がお元気でした。

    


Dec.2009 撮影/文:野崎順次

(法興寺、元興寺ともいう)

奈良県高市郡明日香村飛鳥

撮影日: 2009年12月6日

崇峻天皇元年(588)百済から仏舎利、像、工人などが献じられたのを機に、大臣蘇我馬子が法興寺造立を発願、推古四年(596)十二月に完成した。

(現在の安居院の地)これは、わが国初の本格的寺院の建立であって、発掘調査の結果では、ほぼ二百メートル四方の寺域があり、中央の塔を中心として、三金堂を置く大寺院であった。飛鳥時代最大の寺院で、飛鳥寺(あすかでら)と呼ばれていた。

本尊は推古十三年(605)に聖徳太子と馬子が、仏師の鞍作鳥(止利)に命じて丈六の金銅釈迦如来座像を造らせ、翌年に完成した。この像が現在安居院本尊の飛鳥大仏である。

その後、飛鳥寺は戦火や雷火で焼失したが、文政九年(1826)大阪の杉井氏の篤志で、中金堂跡に仮堂が建てられ飛鳥大仏を奉ったが、これが現在の安居院本堂である。

            

重文 飛鳥大仏、安居院金剛丈六釈迦如来座像(飛鳥時代)

建久七年(1196)の雷火で本尊も顔面、左耳、右手中央三指のみを残して焼けた。

(その後、こころなき補修を受けたが、)顔の一部は、わけても杏仁形の眼のあたりと、右手の中央三指だけは、なお当初の原形をとどめるものと推定されて、かろうじて重文に指定されているが国宝ではない。

真正面から仰げば見るものの心にいつのまにか食い込んで、執念にもにていちどもとらえたもんは絶対に離さない鬼気が迫ってくる。

右から拝すれば、思索するものの冷静な面影を、ひだりからはいつくしみとあわれみの姿が見られる。

          

その他の寺宝、遺物など。

                   

飛鳥大仏の西陣織

  

中庭の石造物

     

入鹿の首塚。 

飛鳥寺安居院の西方、小字五輪に、五輪塚、首塚と称する土盛りがあり、その上に五輪塔が立っている。

口碑に、蘇我入鹿の首をここに埋めたと伝え、また飛鳥寺に閑居した恵慈・恵聡の墓ともいう。北方には真神原(まかみのはら)が広がる。

     

以上、説明の大半は「大和古寺探求Ⅱ 飛鳥斑鳩編」寺尾勇著、昭和62年、有峰書店新社 より引用した。

 


Mar.2006 撮影:瀧山幸伸 source movie

飛鳥寺

    

All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中