奈良県明日香村 大官大寺跡
(Ruins of Daikandaiji Temple, Asuka Village, Nara Pref.)
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当時の最大の寺 |
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のどかな田園地帯 |
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あぜ道に春の野花 |
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February 26, 2017 野崎順次 source movie
奈良県高市郡明日香村小山
国史跡。飛鳥・藤原地域で建立された古代寺院の中では最大の寺院である。
大官大寺は、舒明天皇(じょめいてんのう)が発願した百済大寺(くだらのおおでら)を天武天皇(てんむてんのう)の時代に移築・改称されたとされています。しかし、出土遺物から見る限りでは、主要伽藍は全て藤原宮が営まれた時期でも後期に造られたことが明らかで、文武天皇(もんむてんのう)の時期に金堂(こんどう)を創建(そうけん)したと記す『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の記述を裏付けています。伽藍配置は、中門(ちゅうもん)・金堂・講堂(こうどう)が一直線上に南北に並び、金堂の南東に塔を配置する形態です。寺域(じいき)は東西約205m、南北約354mで、藤原京左京九条四坊の南半と藤原京左京十条四坊の全域におよびます。建物も非常に大規模で、金堂と講堂は同一規模・同一構造で、正面が約45mもあり、藤原宮大極殿(ふじわらきゅうだいごくでん)と並ぶものでした。また塔は、基壇(きだん)が一辺約35m、塔は一辺15mで、九重塔にふさわしい規模を誇ります。塔の高さは分かりませんが、平面規模が近い東大寺東塔は高さ33丈6尺7寸(約100m)でしたから、大官大寺の塔もこれに近い高さだったのでしょう。大官大寺の塔は、現在、日本で最も高い京都の東寺(とうじ)にある五重塔よりもはるかに高かったのです。なお、大官大寺は金堂→講堂→塔→中門・回廊の順で造営されましたが、その完成を待たず、西暦711年(和銅4)に火災によって焼失した事が『扶桑略記』に記されています。発掘調査では、金堂と中門の垂木(たるき)が焼け落ちて地面に突き刺さった後も燃えていたことがわかり、火災のすさまじさを私達に伝えてくれています。(かしはら探訪ナビウェブサイトより)
西からのアプローチ、梅や野花を楽しみながら、北には天の香久山
金堂基壇跡が少し盛り上がっている。
その少し南に塔基壇跡が残っている。九重の大塔で高さは約100mもあったようだ。
東南から寺跡の方を見る。塔と金堂の基壇跡はほとんど分からない。
東南には奥山の集落、西南には甘樫丘、西には畝傍山などが見える。
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