奈良県明日香村 川原寺跡
(Ruins of Kawaharaji Temple, Asuka Village,Nara Pref.)
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国史跡、謎の多い巨大寺院跡 |
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ゆったりとした草の広場 |
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古代寺院の伽藍配置 |
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June 7, 2015 野崎順次 source movie
奈良県高市郡明日香村 川原
国史跡
川原寺は、創建の年代、経過については明らかではないが、飛鳥朝極めて重要な意義を持っていた寺院である。 まず、創建の時期については敏達天皇13年説、斉明天皇元年説、斉明天皇7年説、天武天皇朝あるいは奈良時代の宝亀5年説などがあって、必ずしも明確でない。しかし、天武紀2年3月の条に「是月聚書生始写一切経於川原寺」とある。したがって以上の内容と合わせて、天武期に存在したことは確かである。ただし、従来からも問題となっている孝徳紀白雉4年6月の条の僧旻法師の遷化に関する記事の中に「安置川原寺」とあるが、その割註に「或本云在山田寺」とあることから、川原寺か山田寺かどちらか不詳である。しかし、天武朝以後、奈良朝にかけてかなり勢力をもった寺院であったことは容易に知られる。すなわち天武紀14年8月甲戌朔丙戌に「幸于川原寺施稲於衆僧」とあり、同9月丁卯の天皇の病気平癒祈願のために「桶経於大官大寺・川原寺・飛鳥寺。因以稲納三寺」とあり、朱鳥元年4月壬午の条には「為饗新羅客等、運川原寺伎楽於筑紫、仍以皇后宮之私稲五千束、納于川原寺」とあり、川原寺に伎楽が置かれていたことがわかる。また、同5月癸亥には「天皇体不安、因以於川原寺説薬師経」、同6月丁亥には「勅遣百官人等於川原寺為燃燈供養、仍大斎之悔過也」とあり、9月辛丑には「悉集川原寺為天皇病誓願」とある。したがって天武天皇の病気平癒を祈願するため、川原寺において盛んに法会が行われたことが知られる。その甲斐なく天皇崩御の後、持統即位前紀12月乙酉の条に「奉為天渟中原瀛真人天皇設無遮大会於五寺」とあり、その中に川原寺の名が挙げられている。こうしたことより川原寺は天武天皇と特別な関係にあったことが推定される。
(明日香村ウェブサイトより)
川原寺の伽藍配置は一塔二金堂式の特異なものであったことが判明し、「川原寺式伽藍配置」と称されている。川原寺では中門左右から出た廻廊が伽藍中心部を方形に区切り、廻廊の北辺中央に中金堂が位置する。廻廊で囲まれた区画内には中金堂の手前右(東)に五重塔、西に西金堂が建つ。廻廊内に仏堂と塔が左右に並んで建つ点は法隆寺西院伽藍と類似するが、法隆寺金堂が南を正面とするのに対し、川原寺西金堂は東を正面とし、塔のある方向に向いて建てられている点が異なる。
(ウィキペディア「川原寺跡」より)
現地説明板
東から来て中門跡に向かう。
南大門跡、南方には橘寺
中門跡に戻り、東廻廊跡と東室跡
中門跡から、西廻廊跡をたどる。
中門の北東にある塔跡
中門の北西にある西金堂跡
中金堂跡に建つ弘福寺(ぐふくじ)、境内に中金堂の礎石が残る。他に類例のない大理石の礎石である。
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