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奈良県明日香村 真弓鑵子塚古墳

(Mayumi Kansuzuka Tumulus, Asuka, Nara)

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Nov.2009 撮影/文 野崎順次

奈良県高市郡明日香 村大字真弓

撮影: 2007年3月24日

羨道(入口)が二つあり、ドーム型に丸石を積み上げた石室がある奇怪な後期古墳(6世紀半ば)です。

直径約40メートルの円墳とみられ、玄室(奥行き6.5メートル、幅4.4メートル、高さ4.7メートル)の北側は、通路状の奥室(奥行き4メートル、幅2メートル、高さ約2メートル)だったことがわかりました。

玄室の床面積(約28平方メートル)は石舞台古墳(同26平方メートル)より大きく、欽明天皇陵とされる丸山古墳(橿原市、6世紀後半)の約34平方メートルに次ぎ全国で2番目となります。

(2008年02月08日 読売新聞より)

国内最大規模の横穴式石室の全容が半世紀ぶりに明らかになった奈良県明日香村の真弓鑵子(かんす)塚古墳(6世紀中ごろ)。

絶妙のバランスで巨石をドーム状に積み上げた精巧な石室は、朝鮮半島から古代飛鳥に最新の技術や知識をもたらし、律令国家成立の“隠れた立役者”と言える渡来系氏族の雄、東漢(やまとのあや)氏の姿を鮮やかに浮かび上がらせる。

 「ドーム状の石積みが見事。幾度もの大地震に耐えたしっかりとした造りで、朝鮮半島から持ち込まれた技術の高さがうかがえる」。河上邦彦・神戸山手大教授(考古学)は評価した。

村教委が、土砂に埋もれた石室を発掘すると、畳18畳分の空間が現れた。中には石やクギが残されていた。

少なくとも石棺が二つ、木棺が一つ置かれていたらしい。南側出入り口は、石でふさがれた後に崩され、追葬が行われたらしい。

西光慎治技師は「これほど立派な石室だったとは。一族の墓を造ったとみられる。広さが権力を示しているのではないか」と話す。

一帯は、東漢氏の本拠地「檜前(ひのくま)」に近い。「日本書紀」によると、東漢氏は応神天皇の時代に渡来し、飛鳥時代前半には蘇我氏に協力、軍事や財政、外交を担った。

平安時代にも一族から坂上田村麻呂らを輩出した有力豪族。被葬者は東漢氏の首長級に違いない。

現在(2009年11月)は整備中で、今後は石室内に自由に出入りすることができなくなります。そこで2年半前に撮った写真を紹介します。

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