奈良県五條市 栄山寺
Eisanji Temple, Gojo city, Nara
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五條市小島町503 榮山寺七重塔 重文 近世以前/その他 平安後期 平安後期 石造七重塔 19090405
五條市小島町503 榮山寺八角堂 国宝 近世以前/寺院 奈良 天平宝字(757-765) 八角円堂、一重、本瓦葺 旧石露盤残欠(宝珠)1箇 19010327 19520329
August 17, 2024 野崎順次 source movie
奈良県五條市小島町
真言宗 豊山派
学晶山 榮山寺
パンフレットおよび現地説明板
受付に誰もおられない。「入山料を志納箱にお入れください」とある。結局、最後まで入山客を含めて誰にも会わなかった。
国宝 梵鐘(平安時代)
コンクリートのお堂が閉まっているので、鉄格子の隙間から見るしかない。なお、本レポート末尾の五條文化博物館の展示「国宝榮山寺梵鐘銘の復元実験」を参照されたい。
国重文 七重石塔(奈良時代)
以前の柵はなくなって、気持ちよく鑑賞できる。
境内には顕彰碑や歌碑など石碑が多い。
塔之堂あるいは大日堂(室町時代)、以前は国重文だと思っていたが文化財指定なし。正面の格子から内陣が拝観できる、
石仏と石碑
国史跡 榮山寺行宮址、寺域が南朝の後村上、長慶、後亀山三帝行在所だったから。
本堂と山門の間に石碑がある。
本堂・薬師堂(室町時代)、以前は国重文だと思っていたが文化財指定なし。正面の格子から内部を拝観しようとしたらシャッターが下りていて駄目
国重文 石灯籠(鎌倉時代)
榮山寺形といわれる石灯籠(総高243cm)は,弘安7年(1284)の銘がある鎌倉時代の遺品。日本二百撰の石灯籠の仲で,8番目にランクされるとの。
それから
国宝 八角円堂 (天平時代)
特別拝観以外では中に入れない。柵の外から外観を拝観するだけ。四方から、近くから、遠くから撮影してみた。内部の詳細については、本レポート末尾の五條文化博物館の展示を参照されたい。
小島町御霊神社
近内町の藤岡家、高級内務官僚にして「大和の大桜」と讃えられた俳人、藤岡玉骨(本名 長和 1888-1956)の句碑。玉骨自筆で昭和三十二(1957)年、かつらぎ社、大和俳句会が建てた。玉骨の代表句とも言えよう。
山めぐり巣を守るきぎす翔たせつつ
(参考資料:NPOうちのの館ウェブサイト)
その他
五條文化博物館の榮山寺関連展示
March 23,2014 大野木康夫 source movie
所在地 奈良県五條市小島町503
栄山寺は五條市の東部、吉野川沿いの小島町に位置しています。
藤原南家の武智麻呂が創建した前山寺が前身とされます。
参道
梵鐘(国宝)
銘文は菅原道真撰、小野道風書と伝えられています。
七重石塔(重要文化財)
本堂
八角堂(国宝)
石燈籠(重要文化財)
塔之堂
July 2012 瀧山幸伸 source movie
門前
八画円堂
御霊神社
本堂、石灯籠
大日堂、七重塔
鐘楼
奈良県五條市小島町
真言宗 豊山派
学晶山 榮山寺
撮影日: 2009年11月15日
五條市観光協会HPより
音無川(吉野川)を眼下に望む榮山寺(えいさんじ)は藤原南家の菩提寺として鎌倉時代になるまで栄華をほしいままにしました。
創建は養老3年(719)藤原武智麻呂公によるといわれています。
古来は前山寺あるいは崎山寺と呼ばれ,いつしか「榮」の字が当てられたといわれています。
「崎」とは岩が川の瀬に張り出したところ,そこには美しいよどみができ,瀬音が消えます。
吉野川を「音無川」と呼ぶのはこのためで,川の水色は深みのある瑠璃色,青磁色をしています。
この榮山寺には特筆すべきものも多く,法隆寺夢殿とともに奈良時代を代表する国宝「八角堂」や宇治平等院の鐘とともに「平安三絶」の鐘に数えられている梵鐘は,表面の銘文は撰者が菅原道真で筆者が小野道風と伝えられます。
まずは境内の概要です。入口の受付には手書きの紙が貼り付けられており、「入山・拝観される方は押しボタンを必らず押して叫んでください。お願い致します。」とある。
境内は山と川に挟まれて細長くのび、入口から山麓を眺めながら奥に歩いていくと、鐘楼堂、七重塔婆、大日堂、本堂があり、一番奥に八画円堂があります。
国宝 梵鐘(平安時代)
説明板に「数少ない国宝中の国宝」とある。
高さ157.4cm,口径89cm,青銅製。4面に菅原道真の撰,小野道風の書と伝えられる陽祷の銘文があります。
龍頭の精巧なこと,鐘身の美しさも含めて,京都神護寺,宇治平等院の鐘とともに日本三名鐘の一つとされています
重文 七重塔婆(奈良時代)
重文 塔之堂あるいは大日堂(室町時代)
境内には顕彰碑に加えて、歌碑も多く見られます。
重文 本堂・薬師堂(室町時代)、中には 重文 薬師如来(室町時代)がおられます。
重文 石灯籠(鎌倉時代)
榮山寺形といわれる石灯籠(総高243cm)は,弘安7年(1284)の銘がある鎌倉時代の遺品。日本二百撰の石灯籠の仲で,8番目にランクされるといわれています。
榮山寺行宮址というのは、南朝の後村上、長慶、後亀山三帝行在所だったからです。
国宝 八画円堂 (天平時代)
武智麻呂の子,仲麻呂が父母追善供養のため天平宝字年間(757-765)に建立。
夢殿に似たこの堂は,内壁などに極彩色の仏画が残り,天平時代を代表する唯一のものともいわれています。
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