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奈良県五條市 藤岡家住宅

(Fujioka Residence, Gojo City, Nara Pref.)

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August 3, 2024 野崎順次  source movie

先週(7月28日)も来たのだが、外観の撮影が不充分であったし、また、与謝野晶子の書簡を見残したようなので、再訪することにした。

敷地の北東が主屋玄関で、そこから左回りに回った。

   

北側 主屋、貴賓の間、塀

    

国登文 塀 江戸/1830-1867
木造、瓦葺、延長14m
敷地の北西隅にある延長13.6mのL字型の塀で,乱石積基礎の上に建つ。真壁造で,壁は漆喰塗とし,腰を縦板で覆う。腕木で軒桁を受け,板軒で桟瓦葺屋根とする。隅では西辺を一段高くして変化をもたせる。金剛山への参詣道の街路景観を整えている。
(文化遺産オンライン)

     

西側 貴賓の間、茶坊、大広間

         

南西の角 築地塀

    

南側 大広間、築地塀

         

東側

国登文 薬医門 明治/1868-1911
木造、瓦葺、間口2.4m
敷地東辺の南,内蔵に接し,間口1.8mの1間薬医門で,屋根は本瓦葺,総欅造とする。控柱の頭貫を親柱の冠木に架けて正面へ肘木状に延ばし,斗,肘木で桁を受けるなど,凝った造作をみせる。大規模屋敷の風格ある景観を形成している。
(文化遺産オンライン)

     

東側 内蔵、主屋

    

国登文 米蔵 明治/1892
土蔵造平屋建、瓦葺、建築面積78㎡
街路を挟んだ東の敷地に主屋と面して建つ。土蔵造平屋建,南北棟の切妻造,西面に下屋庇を設け,桟瓦葺とする。外壁は漆喰で垂木まで塗り,両側面と背面は縦板で覆う。内部は棹縁天井の広い1室とする。当地域における上層農家の屋敷構成を示す施設。
(文化遺産オンライン)

     

連子蔵

  

現在、与謝野晶子関係の展示はしていないが、「藤岡家住宅」管理法人NPO法人うちのの館の川村優理館長さんのご厚意により、撮影させていただいた。深く謝意を表します。

藤岡長和の長女瑠璃子が24歳で早逝した時、与謝野晶子から長和氏と歌代夫人に届いた手紙と歌

         

瑠璃子とピアノのこと

    

 


July 28, 2024 野崎順次  source movie

奈良県五條市近内町526


アプローチ、JR北宇智駅から西へ金剛山登山道をたどる。猛暑日で、熱中症を心配したパトカーに呼び止められて登山届を出すように注意されたが、藤岡家までは僅か数百メートルであった。

                           

藤岡家門前の道標、江戸時代文化三年(1806)、施主 藤岡長兵衛

      

パンフレットと現地説明板

   

藤岡家の敷地は約40mx40mのややいびつな正方形でその中に、9件の登録有形文化財がある。主屋、内蔵、渡廊下、新座敷、別座敷、離座敷、築地塀、薬医門、土塀である。敷地外に米蔵があり、合計10件。

藤岡家は江戸時代に薬商、薬種商、両替商を営んで財を成した。明治21年生の藤岡長和は、東大卒業後、内務官僚として各地の知事を歴任し、歌人・俳人として与謝野・晶子や高浜虚子に師事し、森鴎外、南方熊楠らとの交流もあった。

国登文 母屋(主屋) 江戸/1832
木造平屋建、瓦葺、建築面積234㎡
東を正面とし,北も街路に面した角地に建つ。平屋建,南北棟の入母屋造,平入で,周囲に下屋を廻し,桟瓦葺とする。平面は北半が土間で,南半の居室部は基本的に3室2列の構成になる。建築年代が明確で,改造も少なく,当地域における町家建築の指標になる。
(文化遺産オンライン)

    

国登文 内蔵 江戸/1797
土蔵造2階建、瓦葺、建築面積78㎡
主屋の南にある。土蔵造2階建,東西棟の切妻造,本瓦葺で,重厚な扉を構える北面に蔵前を設けて主屋と接続し,西面は化粧部屋を設けて片流れの桟瓦葺屋根を架ける。街路側の妻面は小庇付の窓を設け,上部両端に鯉の漆喰鏝絵を施すなど,丁寧なつくりになる。
(文化遺産オンライン)

   

国登文 築地塀 江戸/1830-1867
土塀、瓦葺、延長78m
敷地東辺の薬医門から南に下がり,南辺を経て,西面の新座敷まで至る折曲り総延長約78mの築地塀。東面は浅葱色のモルタル塗,ほかは内面漆喰仕上げ,外面中塗り仕上げとし,南面ほぼ中央に潜戸を設ける。大規模屋敷に相応しい重厚な景観を形成している。
(文化遺産オンライン)
現在は白漆喰仕上げで改修されている。

  

主屋内部と展示

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内蔵内部と展示

                                                   

主屋をつき抜けて,中庭へ。主屋の西面、貴賓の間(別屋敷)の東面

         

国登文 書斎(渡廊下) 明治/1896
木造2階建、瓦葺、建築面積23㎡
前方にある主屋と,後方の離座敷や別座敷を繋いでいる。2階建,西面入母屋造,東面切妻造,桟瓦葺で,1階は納戸と階段室に便所が附属し,2階は床の間付3畳間とする。建築年代が明確で,大規模屋敷の構成上欠かせない建築物として貴重である。
(文化遺産オンライン)

   

南西から見た主屋(母屋)と渡廊下など

    

国登文 大広間(新座敷) 明治/1912
木造平屋建、瓦葺、建築面積116㎡
敷地南よりのほぼ中央にあり,北には離座敷が取り付く。平屋建,寄棟造,桟瓦葺で,南に屋根を一段下げて式台玄関を突出させる。内部は西が15畳,東が10畳で,ともに格式の高い床を構え,柱から天井板まで上質の材を用いており,近代和風の造形が窺える。
(文化遺産オンライン)

       

庭と広縁

         

国登文 茶坊(隠居、離座敷) 江戸/1830-1867
木造平屋建、瓦葺、建築面積73㎡
主屋西に渡廊下で繋がり,南には新座敷が取り付く。平屋建,片入母屋造,桟瓦葺で,東や北に角屋を突出する。内部は北より床・棚付の6畳,6畳,納戸の3室構成で,東と西の両側に縁を設ける。隠居と称する簡素な建物であるが,細部のつくりは丁寧である。
(文化遺産オンライン)

          

国登文 貴賓の間とお茶室(別座敷) 江戸/1853
木造平屋建、瓦葺、建築面積99㎡
敷地の北西隅に建つ。平屋建,南北棟の入母屋造で,周囲に下屋を廻し,東に入母屋造の式台玄関を設け,西に茶室等を角屋で突出する。屋根は総桟瓦葺。内部は床・棚を構えた上質の8畳2室からなり,玄関奥には6畳を設ける。全体として格式の高い接客用施設。
(文化遺産オンライン)

                                 

 

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