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奈良県斑鳩町 法隆寺

Horyuji, Ikaruga town, Nara

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生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺廻廊 東廻廊 国宝 近世以前/寺院 飛鳥 飛鳥 折曲り延長四十二間、一重、本瓦葺 18990405 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺廻廊 西廻廊 国宝 近世以前/寺院 飛鳥 飛鳥 折曲り延長四十間、一重、本瓦葺 18990405 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺金堂 国宝 近世以前/寺院 飛鳥 飛鳥 桁行五間、梁間四間、二重、初重もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし板葺 旧初重軸部(組物を含む)1棟 18971228 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺経蔵 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺 18990405 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺五重塔 国宝 近世以前/寺院 飛鳥 飛鳥 三間五重塔婆、初重もこし付、本瓦葺、もこし板葺 18971228 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺綱封蔵 国宝 近世以前/寺院 平安前期 平安前期 桁行九間、梁間三間、一重、高床、寄棟造、本瓦葺 19421222 19670615

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺妻室 重文 近世以前/寺院 平安後期 保安2(1121)頃 桁行二十七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 19420626

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺三経院及び西室 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 寛喜3(1231) 桁行十九間、梁間正面五間、背面四間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺 棟札1枚 19080423 19550202

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺鐘楼 国宝 近世以前/寺院 平安中期 "寛弘2-寛仁4(1005-1020)" 桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺 18990405 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺上御堂(上堂) 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 文保2(1318) 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 18981228

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺食堂及び細殿 食堂 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行七間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺 19010327

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺食堂及び細殿 細殿 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 文永5(1268)頃 桁行七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 19010327

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺新堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 弘安7(1284) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺 19110417

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺聖霊院 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 弘安7(1284) 桁行六間、梁間五間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺 棟札1枚 19010327 19521122

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院西南隅子院築垣 東面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "元和-元禄(1615-1703)" 上土門南方長さ32.5m、門一棟を含む、上土門唐門間長さ6.7m、唐門北方長さ37.3m、築地塀、本瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院西南隅子院築垣 北面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "元和-延宝(1615-1681)" 大湯屋表門東方長さ52.4m、西方長さ67.1m、築地塀、本瓦葺(地蔵院、西園院に亘る) 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院大垣 南面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄10(1697) 南大門東方長さ208.7m、西方長さ103.8m、築地塀、本瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院大垣 東面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄10(1697) 東大門南方長さ86.4m、北方折曲り延長63.5m、築地塀、本瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院大垣 西面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "元禄10(1697)(西大門両脇)室町(南方)" 西大門南方折曲り延長69.8m、北方長さ6.2m、築地塀、本瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院東南隅子院築垣 西面 重文 近世以前/寺院 江戸前期 江戸前期 長さ82.3m、築地塀、本瓦葺、門二棟を含む 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西院東南隅子院築垣 北面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "寛文-寛政(1661-1800)" 長さ203.3m、築地塀、本瓦葺、門五棟を含む(宝光院、弥勒院、実相院、普門院に亘る) 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西円堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 建長2(1250) 八角円堂、一重、本瓦葺 旧小屋組心束1本、棟札2枚 19010327 19550202

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺西園院唐門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 江戸前期 一間平唐門、檜皮葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺大講堂 国宝 近世以前/寺院 平安中期 正暦元(990) 桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 18990405 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺大湯屋 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長10(1605) 桁行六間、梁間四間、妻入、正面一間通り庇付、一重、切妻造、本瓦葺 19421222

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺大湯屋表門 重文 近世以前/寺院 室町前期 室町前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19421222

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺地蔵堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 応安5(1372) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺 19080423

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺中院本堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 永享6(1434) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、本瓦葺 仏壇1基 19470226

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺中門 国宝 近世以前/寺院 飛鳥 飛鳥 四間二戸二重門、梁間三間、入母屋造、本瓦葺 18971228 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院廻廊 東廻廊 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 嘉禎3(1237) 桁行折曲り延長二十二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 19000407

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院廻廊 西廻廊 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 嘉禎3(1237) 桁行折曲り延長二十一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺 19000407

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院四脚門 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19000407

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院舎利殿及び絵殿 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 承久元(1219) 桁行七間、梁間三間、一重、切妻造、本瓦葺 19000407

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院鐘楼 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺 19000407 19550202

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院大垣 南面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄9(1696) 南門東方長さ26.4m、西方長さ29.4m、築地塀、本瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院大垣 東面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄9(1696) 長さ65.8m、築地塀、本瓦葺、穴門二所 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院大垣 西面 重文 近世以前/寺院 江戸中期 元禄9(1696) 四脚門南方長さ43.8m、北方長さ45.8m、築地塀、本瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院伝法堂 重文 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行七間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺 棟札1枚 19000407 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院南門(不明門) 重文 近世以前/寺院 室町中期 長禄3(1453) 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19000407

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院夢殿 国宝 近世以前/寺院 奈良 天平11(739) 八角円堂、一重、本瓦葺 棟札2枚 18971228 19510609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東院礼堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 寛喜3(1231) 桁行五間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺 19000407

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東室 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行十二間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺 19420626 19650529

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺東大門 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺 19040218 19521122

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺南大門 国宝 近世以前/寺院 室町中期 永享10(1438) 三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺 旧棟木1本、棟札1枚 19010327 19530331

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺北室院太子殿 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 母屋 桁行11.6m、梁間11.1m、中門廊 桁行5.0m、梁間3.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺、東面軒唐破風、檜皮葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 法隆寺薬師坊庫裏 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 母屋桁行18.0m、梁間7.9m、八畳四室、六畳一室、四畳二室、縁、土間、勝手等より成る、一重、東面切妻造、西面寄棟造、桟瓦葺 19430609

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 律学院本堂 重文 近世以前/寺院 江戸前期 寛永4(1627) 桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、本瓦葺 19760520

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 寶珠院本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正9(1512) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、こけら葺 19421222

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 北室院表門 重文 近世以前/寺院 室町後期 室町後期 一間平唐門、檜皮葺 19110417

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 北室院本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 明応3(1494) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺 19040218

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 福園院本堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 永享9(1437) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺 19420626

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 西園院客殿 重文 近世以前/住宅 桃山 桃山 桁行11.9m、梁間12.8m、一重、北面入母屋造、南面切妻造、杉皮葺 19421222

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 西園院上土門 重文 近世以前/寺院 江戸前期 江戸前期 一間上土門、檜皮葺 19421222

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 宗源寺四脚門(勧学院表門) 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 嘉禎3(1237) 四脚門、切妻造、本瓦葺 19210430

生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1 旧富貴寺羅漢堂 重文 近世以前/寺院 平安後期 平安後期 桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、檜皮葺 19711228


September 10, 2023 野崎順次  source movie


奈良県斑鳩町
法隆寺


短時間であったが、法隆寺を違う視点からも拝観した。最近話題の駐車場の古墳、南大門前の鯛石(法隆寺七不思議)、五重塔九輪の鎌(法隆寺七不思議)、五重塔と金堂の礼拝石、そして夢殿での雨宿りなど。

斑鳩舟塚古墳
法隆寺参道に面した民営駐車場内で確認された古墳。以前は普通の植え込みにしか見えなかったが、発掘調査で横穴式石室が確認された。前日の9日に現地説明会が行われた。現在はほとんどシート掛けされてよく分からないが、石室の輪郭はたどることが出来る。
        


パンフレット
    


国宝 南大門
  


七不思議② 南大門前の鯛石(たいいし)
法隆寺を訪ねる人が必ずくぐる南大門の前には、魚の形をした踏み石があります。これが鯛石。大雨の時、魚はここまで泳いできたが、それ以上は水位が上がらないことを示すものと言われます。
(horyuji.asia)
鯛石から、この若草伽藍の軸と平行に線を延ばしていくと、なんとキトラ古墳に行きつくのです。何とも不思議な話ですが、これはもちろん何らかの意味があるものと考えられており、キトラ古墳に埋葬されていた人物に仏教の加護を与えるためではないかとも考えられています。
(みんなの一人旅サイト)
     


境内へ
   


国宝 中門
柱が5本あるために中央出入口のど真ん中に柱がきてしまい、言い方は悪いですが、邪魔になっています。実は中門に柱が5本据えられているのには理由があり、一説では聖徳太子の祟りを門より外に出さないための呪いだといわれています。
(法隆寺-御朱印サイト)
   

西院伽藍
国宝 五重塔
     


五重塔の礼拝石
    


七不思議③ 五重塔の九輪の鎌
五重塔のてっぺんには9つの輪を串刺しにした形の九輪と呼ばれる飾りが立っています。この九輪には鎌が4本つけられていて、かつては鎌首がひとりでに上がったり下がったりすると言われました。これはもちろん伝説で、この鎌は聖徳太子の怨霊封じのためという説もありますが、実際には4本の鎌は雷よけだと言われます。
(horyuji.asia)
    


国宝 金堂
       


金堂の礼拝石
   


その他西院伽藍、韓国の僧侶グループと日本の修学旅行生
         


鏡池から聖霊院(国宝)、網封蔵(国宝)を経て大宝蔵院
          


国宝 東大門
    


東院伽藍へ
    


国重文 絵殿・舎利殿・回廊
夢殿を拝観中に強い雷雨が降り始めた。午後5時の閉館時間まで半時間ほど雨宿り、その後、小降りになり、小さめのビニル傘を頂いて帰ることが出来た。
      


Aug.2021 中山辰夫

 

『和を以って貴しとなす』 聖徳太子1400年遠忌記念の「聖徳太子と法隆寺」特別展が9月5日迄東京国立博物館で開催されています。
これにあやかるわけで無いですが、蟇股の原点ともいえます法隆寺と東大寺をまとめました。今月は法隆寺、来月は東大寺です。
コロナで撮影の機会を失った苦肉の内容です。 蟇股を探しながら境内を巡回しました。

法隆寺
奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1

法隆寺は、もと斑鳩寺(いかるが)といい、推古朝に聖徳太子によって創立された寺です。現在の建物は670年の火災後の再建によるものとされています。
金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と夢殿を中心とする塔院伽藍からなります。古代の伽藍がそのまま残る例は他になく、極めて貴重な遺構です。
重要文化財に指定された建物は55棟を越え、内19棟が国宝です。世界一古い木造建築の金堂から、平安、鎌倉、室町、桃山、江戸の建物が存在します。
隣の法起寺を含めてユネスコの世界遺産に登録されています。
   

参道を進むと最初に出会うのが南大門です。 南大門から西院伽藍までの間を巡ります。
   
1438年 南大門 国宝 再建:1438 三間一戸八脚門 入母屋造 桧皮葺 軒の反り上がりと双斗・花肘木の組物が室町中期の建築様式
  
西院伽藍の正面に建ち、法隆寺の寺域に入る正門の役目をしています。
細部
     
軒深く大きく差し出した美しい外観を示し、構造装飾に優れた意匠が施され室町初期の優秀な建築遺構です。斗栱間の頭貫と通肘木との間に双斗を有する花肘木を置いた手法は建物全体を華やかな気分にさせます。双斗花肘木は、兵庫浄土寺境内の八幡神社拝殿やお尾道浄土寺本堂、・阿弥陀堂でも見られます。
妻飾りの大瓶束の両肩から虹梁の背に下ろした彫刻は笈形で、これに蟇股の両肩を応用いているのは意匠としてめずらしいです。

西園院唐門(国重文・一間平唐門)、客殿(国重文 桃山時代 桁行11.9m 梁間12.8m 一重 北面入母屋造、南面切妻造 杉皮葺)が連なります。
   

江戸時代前期 西園院上土門(あげつちもん) 国重文 建立:1615~66年 一間上土門 桧皮葺
    
西園院の通用門となっているが、もとは唐門とともに西園院南隣の地蔵院にあったが、1939年に現在の地に移された。
正面に切石積の基壇を設け、唐屋敷上に円柱を立て、男梁・女梁を柱頭に落とし込んでいる。
現在の屋根は勾配の緩い檜皮葺とし、両橋に蟇股状の大きい絵振板を置いている。
上土門は古くは水平の板屋根の上に土を置き、妻に蟇股状の土留めの絵振板(えぶりいた)を置いたもの。上土門は絵巻物などに多く描かれ、
武家の邸宅や寺院などの正門に用いられたが、遺構は少ないです。

西大門~東大門に至る参道の左右に並ぶ塔頭の見る蟇股
    

手水舎 
    

室町前期 大湯屋表門 国重文 建立:室町前期 四脚門 切妻造 本瓦葺
    
大湯屋は国重文 建立:1605桁行六間、梁間四間、妻入、正面一間通り庇付、一重、切妻造、本瓦葺です

1697 西大門 再建:1697年 切妻造 四脚門
    

これより西院伽藍を巡ります
 

法隆寺を訪れて一番に見る飛鳥建築 それが中門です。

飛鳥時代 中門 国宝 建立:奈良時代 桁行四間 二戸二重門 梁間三間 入母屋造 本瓦葺 
   
奥行きが三間と大きい、正面が四間で奇数でない点が特徴。回廊内部で開かれた様々な仏教儀式の際に、参詣者の関が内側に設けられたとされます。
奈良時代になると大寺では南大門を二重門にしました。細部の様式は金堂や五重塔と同じとされます。(肘木や斗の雲形の繰りがよく似ています)
細部

      
門として側面三間は珍しいです。この門の側面は安定さに富んだ優秀な門とされます。
のきの棰は角棰、深い軒は一軒、一側並びの棰で悠々と支えられています。この単純な棰で軒先に美しい反りを成しています。

飛鳥時代 金堂 国宝 建立:飛鳥時代 桁行五間 梁間四間 二重 下層裳階付 入母屋造 本瓦葺 裳階板葺 妻扠首組
    
飛鳥時代の唯一の金堂遺構です。木造建築では世界最古です。二重基壇の上に建つ二重の仏殿です。
初中に板葺の裳階が付く。強い胴張りの太い柱、皿斗付の大斗、雲形肘木、雲斗など、独特の建築様式を持ちます。軸は平行、角垂木一間の唐の様式です。

人字型蟇股
    
一般に割束・人字形の束・原始蟇股と呼ばれる八の字型に開いた支持材があって、これは下方が三角形に透いており、最も古い型を残しています。
上層高欄腰組中備に用いてあります。現在のものは昭和修理時に復原されました。 地覆・平桁間には卍崩しの組子を飾っています。

上重東南隅 上重四陬の竜の彫刻の吐いた支柱は1698年頃の修理の際につけくわれました。
    

金堂は、廻廊で囲まれた内庭に五重塔と東西相並んで南面して建つっています。
飛鳥・白鳳時代の伽藍は塔と金堂が近接して建ち、廻廊が周囲を巡って両者とも四周から眺められる配置を取るのが大きな特色でした。
 

711 五重塔 国宝 建立:711年 三間五重塔婆 本瓦葺 初重裳階付 裳階は板葺 
    
わが国に現存する最古の塔。高さは112・4尺、金堂のほぼ2倍。当は上に行くほど塔身が細くなる率(逓減率)が大きく、五重は初重の半分です。
主屋・裳階とも軒部・垂木などはすべてベンガラ塗り、化粧裏板・裳階軒裏は胡粉塗り、垂木・尾垂木・隅木・高欄などの木口には透彫り金銅金具を打ちです。っ
初重内部の天井格間には一間一花の蓮華文が描かれています。人字型蟇股は金堂の高欄と同じです。相輪には九つの宝輪が付き、高さ約9.7mです。

細部
     

飛鳥 法隆寺廻廊 国宝 建立:飛鳥 東回廊:桁行折曲がり延長四二間 梁間一間 本瓦葺 西回廊:桁行折曲がり延長四十間 梁間一間 本瓦葺
       
中門の両脇から金堂・五重塔を巡る回廊は経蔵・鐘楼に取付き、さらに講堂両脇に達する。聖域をつくりだす舞台装置ともいわれます。
わが国では最古で、鎌倉時代以前の回廊として唯一の遺構です。柱間一間の簡単な回廊で、柱の上に梁を載せ、その上に扠首を置き、棟木を支えています。

叉首(さす) 
 
叉首台(梁)の上に叉首竿を合掌(三角形)に組、斗・肘木を置いて母屋桁を受けます。中央に叉首束を立てて 豕(いのこ)叉首としています。
食堂でも見られます。豕叉首の妻飾りは、入母屋造の仏堂、門、流造本殿に後世まで用いられました。この扠首が板蟇股に進化します。

990 大講堂 国宝 再建: 990 桁行九間 梁間四間 一重 入母屋造 本瓦葺
  
講堂は金堂、五重塔の北方に、かなり離れて立っています。講堂が北に離れていることについては諸説があります。建立時期も明らかでないようです。
古代の寺院においては、講堂は衆僧が集会して勉学の場としましたが、法隆寺では食堂の機能も持ち合わせていました。

細部
      
かなり大きな建築物であるのに、平三斗という簡単な組物を用い、装飾的な細部がなく単純明快な形であるのは、天平時代より和風化したとされます。
中備は間斗束 意匠は質素です。この講堂に倣って、内部に太い部材を使い、厚い、頑丈な屋根の講堂が広く流布するようになったとされます。

1318 上御堂(かみのみどう) 国重文 建立:1318 桁行七間 梁間四間 一重 入母屋造 本瓦葺
  
講堂の裏の一段高い所に建つ。創立は10世紀頃 本格的な仏堂で、土間である点や組入天井など古式です。創建時の姿を踏襲しているとされます。

747年以前 経蔵 国宝 建立:747年以前 桁行三間 梁間二間 楼造 切妻造 本瓦葺
   
多量の経典を奉安していたとされます。1227年に修理。1278~88年に聖霊院に部材が転用されている。慶長年間に大修理が施されました。
二階は一階と殆ど同じ規模で、切妻造のヤナを載せます。小屋の架橋は二重虹梁蟇股、細部は天平式です。

板蟇股
   
板蟇股は上層の二重虹梁蟇股式の架橋部に使われている。反転曲線の繰形が施されており、唐招提寺講堂の板蟇股に類似した形に造られています。
組物や虹梁などの形もすっきりしており、奈良時代もかなり早い時期の建設とされます。

1005 鐘楼 国宝 再建:平安時代 桁行三間 梁間二間 楼造 切妻造 本瓦葺 最初のものが焼けて、平安中期に再建された
   
金堂の東北方に、経蔵と相対して建つ平安時代の楼造の唯一つの遺構である。平安時代の建物で銅張りを持つのは珍しいとされる。大講堂と同時期に再建。
建物は規模、構造形式とも経蔵お同じで、再建に関しては旧規を踏襲したとされます。

板蟇股
    
上層の組物は平三斗、架橋は二重虹梁蟇股式で経蔵と同じであるが、部材の形はまったく平安時代風で、経蔵の天平時代のものとは異なっている。
経蔵に比べ斗や蟇股のせいが高く、虹梁や肘木は曲線が鈍い。

経蔵板蟇股と鐘楼板蟇股…微妙に違います。
  
経蔵と鐘楼は古代の寺院ではセットで左右に配置されていた。
奈良時代の経蔵と平安時代の鐘楼には虹梁や蟇股、組物にそれぞれの時代様式の違いがあります。


1284 聖霊院 国宝 改築:1284年に全面的に立て直し 桁行六間 梁間五間 切妻造 妻入 本瓦葺 正面一間通り庇付き 向拝一間 檜皮葺
    
聖徳太子の影像を安置する住宅風建築の堂。東室の南端部に建つ。建物細部の技法は全て伝統的な和様で、鎌倉後期の純和様建築の典型といわれます。
形姿の優美さと細部技報の優秀さにおいて、鎌倉後期を代表する名建築の一つとされると共に、古材の保存状態の抜群さから資料的価値も高いとされます。
寝殿像の対屋を思わせる外観、中の宮殿は建築的に造られており、その優美さが有名です。

向拝の蟇股
   
向拝中央に見られます。慶長年間にすっかり作り替えられました。蟇股には12184年の墨書が残ります。

聖霊院内部―厨子 唐破風の「唐」は、新しいものという意味で、日本で生まれ、発展した形式です。
  
内部は表から外陣、内陣、後陣に分かれています。外人と内陣の境は透かし格子。内陣の奥は聖徳太子像と侍者造4体が納められ、3件幅の厨子があります。
中の間の唐破風は優美な虹梁と繊細華麗な蟇股で知られます。唐破風として現存最古の例であるばかりでなく、最優の作とされます。

蟇股
   
蟇股は片蓋で厨子脇間の軒桁と同高に入れた中央間の虹梁上に用いられて、唐破風をとめる棟木を受けています。
輪郭は足元を軽快に広げた優美な形で内側に3カ所茨を付け、足元には円弧を連続させた形の繰形を付けており、 輪郭内には繊細ながら左右対称の瀟洒な透かし彫りがほどこされています。

奈良時代 東室 国宝 建立:7世紀 桁行十二間 梁間四間 一重 切妻造 本瓦葺 妻室と並び建っています。
    
聖霊院の背後に建つ細長い建物に接して建つ細長い建物。僧房の一つ。二間が一坊で、柱間一つは入口、もう一間は連子窓もしくは壁でその繰り返しです。
現東室は後世数次に及ぶ大修理でかなりの変形を受けながらも、その規模や構造の大要は奈良時代のものとされます。
創建当初の柱や梁・桁・垂木などがそのまま現建物にも使われています。

平安後期 妻室 国重文 建立:平安後期 桁行二七間 梁間二間 一重 切妻造 本瓦葺
    
聖霊院・東室のすぐ東側に沿って建つ細長い建物。東室とセットの建物で小子房に当たります。僧侶の従者の寝所、納屋。小子房が現存するのは法隆寺だけ。

馬屋と蟇股 聖徳太子ゆかりの厩 聖徳太子の愛馬・黒駒と綱を引く舎人

  
平安前期 鋼封蔵 国宝 建立:平安前期 桁行九間 梁間三間 一重 高床寄棟造 本瓦葺 中央が吹き放しの双倉 横長
    
東室の東側に建つ高床の倉庫 通常は封印されて開かれなかった。その封印を破り倉を開くには僧鋼所の立ち合いを要したことから蔵の名が付きました。
二つの倉を左右に並べて一つの屋根で覆った形で、中央の吹き放しの部分を左右の倉への出入口と舌形式です。正倉院の倉は中央が吹き放しではないです。

食堂(国宝 奈良時代)の南側に細殿(国重文 鎌倉時代)が軒を接して建っています。
  
細い建築鹿造れなかった奈良時代に、奥行きを大きく取るために使われた手法とされます。

奈良時代 食堂 国宝 建立:奈良時代 桁行七間 梁間四間 切妻造 本瓦葺
      
妻は二重虹梁を用い、内部では虹梁の上に扠首を組んで屋根を載せています。
母屋柱上は大斗・肘木で、前後に大虹梁を渡し、叉首と斗・肘木で棟木を支え、化粧屋根裏としています。

鎌倉時代 細殿 国重文 建立:鎌倉時代 桁行七間 梁間二間 切妻造 本瓦葺
  
内部は大虹梁上に板蟇股を置き、斗・肘木で棟木を支え、化粧屋根裏としています。

大宝蔵院 建立:1998 百済観音堂を中心とする伽藍飛鳥時代から近世に至るまでの宝物が安置されています。
     
百済観音堂を中心に東西の宝蔵からなる大宝蔵院には法隆寺に伝来する数々の名宝が安置されています。
中でも飛鳥時代の建築様式を伝える宮殿形の玉虫厨子は、周囲の金具の下に玉虫の翅があるのでこの名があります。

1231 三経院と西室 国宝 再建:1231 桁行一九間 梁間正面五間 背面四間 切妻造 妻入 本瓦葺 正面一間通り庇付 向拝一間 桧皮葺
    
回廊の西側にやや離れて建つ南北一九間に及ぶ長大な建物。南方の七間分を三経院とし、北方の十二間分を西院とする。中世僧侶の三経修学の場

蟇股は向拝の中備につく。三経院の南端に向拝と吹き放しの広庇があって、そこが正面です。正面は全て蔀を用い、東西の側面は蔀と板扉をとりまぜています。
    

西室 現在は広い一室で、一間ごとに角柱が建っています。
   

1250 西円堂 国宝 再建:1250 八角円堂 一重 本瓦葺 同時期の八角円堂に興福寺の北円堂(1210年)がありますが、比べると質素な印象です。
    
小高い丘上に建つ八角円堂です。奈良時代の創建とされる西円堂は1046年頃に破損し再建されました。
現在の堂の凝灰石の礎石、二重の須弥壇は創建時のものとされます。
組物は三斗、中備は間斗束で手先を出さないので軒の出が少ない。四面に窓を吊るしますが、連子窓は正面左右だけに開け、他は土壁です。

1372 地蔵堂 国重文 建立:1372 桁行三間 梁間三間 一重 入母屋造 本瓦葺 すべて面取りの材を用いています。
    
西円堂の東方、西室の北に南面して建つ小堂 棟木に墨書銘があり、建立時期が確認できます。
この堂は、形の整った洗練されたもので、蟇股内の透かし彫り彫刻や、平面的な彫りになる木鼻など、南北朝中期の特色をよく表しています。

向拝の蟇股
  
向拝の蟇股内の彫刻は前後両面から見られるように作られてあり、様式から応永頃のものとされます。

東院伽藍
法隆寺東院は738年頃、僧行信によって創立されました。当時の東院は中心建物の夢殿と、講堂に当たる伝法堂は瓦葺でしたが、門や廻廊は檜皮葺でした。
夢殿、伝法堂は当時のまま残っていますが、他は鎌倉時代初期の造営によるものです。
夢殿を礼堂、舎利殿絵殿とそれを結ぶ廻廊で取囲み、さらにその周りを大垣が巡り、院を形成しています。
 

主な建物として
夢殿(国宝 739)・舎利殿、絵殿(国重文 1219)・礼堂(国重文 1231)・鐘楼(国宝 鎌倉前期)がありますが、これらには蟇股は使われていません。
     
蟇股が用いられている建物を並べます。

奈良時代 伝法殿 国宝 建立:奈良時代 桁行七間 梁間四間 一重 切妻造 本瓦葺
   
東院の講堂で、舎利殿絵殿の後方に建っています。聖武天皇の夫人、橘夫人が奉納した住宅を、講堂に改造したものです。
奈良時代の貴族住宅の傑作とされます。天平時代の建築技法で創建当時の形に復元されています。

板蟇股 
  
板蟇股は妻側、二重虹梁蟇股の架橋部に用いられています。母屋部分が二重虹梁蟇股、庇部分は虹梁蟇股です。

1237 東院廻廊 国重文 建立:1237年 桁行延長四三間 梁間一間 切妻造 本瓦葺 南は礼堂に、北は舎利殿絵殿に接続しています。
    
修築、改築が繰り返されてきましたが、現在の廻廊は1236年再建のものとされます。保存状態が悪く、昭和の修理で大部分の部材が取替えられたようです。

板蟇股
  
柱上に三斗を置き、虹梁を架け、丈のある板蟇股と三斗出棟木を支えるという、ごく簡単な構造で、隅では隅行に同様の架橋を架けています。
西院廻廊が叉首組であるのに比べ、ここでは板蟇股となっており時代の相違を示します。

奈良時代 東大門 国宝 建立:奈良時代 三間一戸八脚門 切妻造 本瓦葺
    
西院の東側の築地塀に開かれた門 西院から東院への道筋に当たる位置に建っています。屋根が三つに見える三棟造といわれます。
三間の柱間の中央に扉を開き、両脇の柱間の前後に4本ずつ計8本の控柱を立てる形式の門で、柱の本数から8脚門と呼ばれます。
建立年代が奈良時代に遡る数少ない門の一つとして貴重とされます。

板蟇股が二重虹梁蟇股式
   
金堂上層高欄(奈良前期)に用いられています割束から進化しております
  

三棟造
 
二間の梁間の格柱間の中央にある桁が棟に見えるように棰を架けたため、門に入って上を見上げると、屋根が前後に二つ並んでいるかのように見えることから
「三棟造」とも呼ばれます。
扉がある中央通りの柱と前後の控柱の間に虹梁を架け、虹梁中央に板蟇股を置き、板蟇股の上にある三斗で棟に見せかけた桁を受け「三棟造」の架橋を造ります。奈良時代の建物に良く見られます。

1459 東院南門 国重文 建立:1459年 三間一戸八脚門 切妻造 本瓦葺 この門は「不明門」と云われ、現在はとざされたままである。
  
東院伽藍の南大門にあたる。現在の建物は様式上、室町時代と認められる。
板蟇股
  
組物は三斗組、正背面中央間に間斗束を用い、架橋は二重虹梁蟇股で、二間繁垂木を架し、内部は化粧屋根裏です。

鎌倉前期 東院四脚門 国重文 建立:鎌倉前期 一間一斗四脚門 切妻造 本瓦葺
    
東院の西面に開かれる四脚門。この門はごく普通の形式で、その細部や構造は古風である。
虹梁の上に板蟇股を載せ大斗肘木で棟木を受ける。現在、彩色は殆ど剥落しているが、当初は丹土・黄土・胡粉の彩色画あった。

宗源寺は法隆寺の子院(しいん)」で、西院から東大門―東院に通じる参道の南側にある四脚門です。
 

宗源寺四脚門 国重文 建立:1237年 四脚門 切妻造 本瓦葺
      
鎌倉前期の建立で、参道に面して開かれ、参道景観を形成する要素になっています。

今後再訪することも無い法隆寺、種々の思いを抱きながら一巡しました。至福の時でした。

時代別国宝指定建造物および重要文化財指定建造物

西院伽藍
飛鳥時代 国宝 金堂・五重塔・中門・廻廊
奈良時代 国宝 桂蔵・東室・食堂 東大門
平安時代 国宝 大講堂・鐘堂 綱封蔵
鎌倉時代 国宝 聖霊院・西円堂・西室及び三経院
 重文 細殿・上御堂・西園院本堂
室町時代 国宝 南大門
 重文 薬師坊庫裏・地蔵堂・大湯屋表門・宝珠院本堂・中院本堂・
桃山時代 重文 大湯屋・西園院客殿 西院大垣
江戸時代 重文 西園院上土門・西園院唐門・西院西南隅子院築垣・


東院伽藍
奈良時代 国宝 夢殿・伝法堂
平安時代 重文 妻室・旧富貴寺羅漢堂
鎌倉時代 国宝 鐘楼
 重文 絵殿・舎利殿・札堂・東院四脚門・宗源寺四脚門
室町時代 重文 廻廊・南門(不明門)・北室院本堂・北室院表門・福園院本堂
江戸時代 重文 北室院っ太子殿・律学院本堂・東院大垣

 


May 2016 酒井英樹

福園院

Fukuonin

撮影時期:1993年9月

 福園院は元蓮光院といい、本堂は記録によると元弘2年(1332)に建立したとみられるが、本堂の小屋裏の束に永享9年(1437)の修造の墨書銘があり、再建と同程度の大改造を受けたと考えらている。

 現在の外観もほぼこのころの姿を持つ。また軒廻りの構造が非常に珍しく貴重であり、国の重要文化財に指定されている。

 法隆寺の境内内にあるが、隣接する旧富貴寺羅漢堂と同様に築地塀に囲まれており、外観を含めて公開されていない。

<本堂>

 正面3間、側面3間、組物出三斗、中備:中央間のみ間斗束、一軒板軒、宝形造、本瓦葺

 室町時代[永享9年(1437)]

         


Mar.17,2016 瀧山幸伸 

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南大門

        

                 

五重塔

                                                  

金堂

                                        

講堂

                   

鐘楼

   

経蔵

  

廻廊

         

上御堂

   

西室、三経院

             

    

西円堂

                           

鐘楼

   

       

       

聖霊院 東室 妻室

                    

  

綱封蔵

         

食堂 細殿

                 

       

      

    

東大門

              

       

東院

四脚門、夢殿、回廊、礼堂、東院舎利殿、絵殿、鐘楼、伝法堂、

                                                

北室院

    

               


January 23,2016 大野木康夫 

法隆寺中門の修理がもうすぐ始まり、3年間ほどは見られないということなので、曇天の日の朝を狙って撮影に行きました。

今回は動画を撮影せず、すべて静止画で撮影しました。

南大門(国宝)

           

中門と五重塔の風景

                      

中門(国宝)

すでに金剛力士像があったところには板が張られ、金属製の足場も見えます。

                     

五重塔(国宝)

参道から

     

廻廊内から

           

大宝蔵院付近から

  

三経院前から

 

西円堂付近から

    

西大門付近から

 

金堂(国宝)

          

五重塔と金堂

             

大講堂(国宝)

         

経蔵(国宝)

    

鐘楼(国宝)

     

廻廊(国宝)

       

上御堂(上堂)(重要文化財)

廻廊内から

  

大宝蔵院付近から

     

綱封蔵付近から

   

聖霊院(国宝)

          

東室(国宝)

         

妻室(重要文化財)

    

大宝蔵院前から見た東室と妻室

 

綱封蔵(国宝)

       

食堂及び細殿

 

細殿(重要文化財)

       

食堂(国宝)

                

西院西南隅子院築垣(重要文化財)

 

北面

   

西面

  

東大門(国宝)

        

律学院本堂(重要文化財)

   

宗源院四脚門(勧学院表門、重要文化財)

   

福園院本堂(重要文化財)

     

旧富貴寺羅漢堂(重要文化財)

      

東院遠景

  

東院四脚門(重要文化財)

    

東院廻廊(重要文化財)

         

東院夢殿(国宝)

             

東院礼堂(重要文化財)

     

東院舎利殿及び絵殿(重要文化財)

          

東院鐘楼(国宝)

            

東院伝法堂(国宝)

          

北室院表門(重要文化財)

   

北室院太子殿(重要文化財)

      

北室院本堂(重要文化財)

   

東院大垣(重要文化財)

西面

      

南面

    

東面

 

東院南門(不明門、重要文化財)

     

人孔鉄蓋

 

西院大垣(重要文化財)

東面

     

南面(南大門より東側)

            

西院西南隅子院築垣(重要文化財)

東面

   

東面から北面

 

北面

     

西園院上土門(重要文化財)

    

西園院唐門(重要文化財)

   

西園院客殿(重要文化財)

中門とともに修理(屋根の吹き替え)に入るようです。

         

新堂(重要文化財)

       

大湯屋(重要文化財)

        

大湯屋表門(重要文化財)

          

三経院及び西室(国宝)

                  

中院及び寶珠院

  

中院本堂(重要文化財)

      

寶珠院本堂(重要文化財)

     

西円堂(国宝)

                  

薬師坊庫裏(重要文化財)

修理が終わりました。

      

地蔵堂(重要文化財)

本格修理が始まります。

 

西大門

 

西院大垣(重要文化財)

西面

      

南面(南大門より西側)

           


Aug.14,2014 酒井英樹

旧富貴寺羅漢堂

 

 撮影時期:1993年9月

 桁行1間、梁間1間、組物二手先詰組、二軒繁垂木、一重、宝形造、檜皮葺

平安時代後期

 元は富貴寺(奈良県磯城郡川西町)にあった。当時は軸部、組物だけを残して仮屋で覆われていた。昭和10年(1935)細川家の所有になり解体保存されていた。

昭和46年(1971)に東京文化財研究所で化学処理により殆んどの部材が転用され現在地に再建された。その際基壇、造作、屋根などは推定で整備された。

建立年代は全く資料を欠き明らかではないが、様式手法から平安時代後期の建立と考えられている。しかし、平安時代まで遡る遺構として貴重であり重要文化財に指定されている。

法隆寺の境内にあるが築地塀に囲まれており、公開はされていない。

    


June 8, 2014 中山辰夫

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1

宗派:聖徳宗総本山

世界文化遺産

法隆寺は聖徳太子建立の伽藍として、また世界最古の木造建築の遺構として、さらにその堂塔を充たす数々の仏像や宝物が世界的な古文化の美術の聖地として有名である。

法隆寺の創建年代は、金堂に安置されている薬師如来像光背の銘文に残っている。「用明天皇の元年(586年)天皇御自身の御病平癒のため、薬師如来像を造ろうと発願されたのであるが、御計画のままにお崩れになったので、御意志を継ぎ、妹君にあたる推古天皇と、御子聖徳太子とが、推古天皇の15年(607年)に薬師如来像を造り、寺を建立した」とある。ここに法隆寺の歴史が始まる。

■アプローチ

JR法隆寺駅から歩く。町並みの様相がすっかりかわり、田舎っぽい所にあったという記憶が吹っ飛んだ。

法隆寺いかるがの里観光案内所・法隆寺センターの建物が目印である。

 

建物は斑鳩の里の民家をイメージさせる。瓦葺二階建てで「むしこ窓」も印象的である。

そこからが参道の始まりである。

     

■法隆寺境内図

法隆寺は金堂・五重塔を中心とする西院と、夢殿・伝法院を中心とする東院から成り立っている。

 

■■アプローチ

■南大門 【国宝・室町時代】

松の馬場と呼ばれる松並木の参道がつきると南大門の前に出る。1439(永享11)年に再建。軒反りの大きい重厚な屋根を持った室町建築の典型。

組物の中備に花形の肘木が枡形を支える形式。

     

■社務所

   

■参道と築地塀と子院が続く

    

■■西院伽藍

美しい廻廊に囲まれた中門、金堂、五重塔、講堂、経蔵、鐘楼の一郭が西院伽藍の中心である。この一郭の左に三経院、右に聖霊院、後方に上御堂・西円堂

が並び、聖霊院の東には妻殿・綱封堂・細殿・食堂が並び、その奥には百済観音堂を中心とする大宝蔵院と、金堂の壁画を保存する収蔵庫が建っている。

西院伽藍は法隆寺の中心をなす区域で、金堂と五重塔が左右に並ぶという伽藍配置を取っている。

配置図

 

■弁天池〜弁財天

     

■三経院と西室 【国宝・鎌倉時代】

三経院及び西室は鎌倉時代の建造物である。

三経院は、聖徳太子が勝鬘経・維摩経・法華経の三つの経典を注釈されたこと(三経義疏)にちなんで、西室の南端部を改造して建てられたという。

         

■西円堂 【国宝・鎌倉時代】

奈良時代の創建。本尊は奈良時代の脱活乾漆造の薬師如来坐像。現在の建物は1250(建長2)年に再建したもの。平面八角形の八角円堂で、扉は四方に設けるが、簡素で実用的なたてものである。奈良時代に橘夫人の発願で建立されたとつたわる。

           

■鐘楼

西円堂の東側に建つ。時を知らせる鐘で、現在8時・10時・12時・2時・4時にその数だけ撞かれる。近年に再建された。遠景一点

    

石段下の子院

     

■中門 【国宝・飛鳥時代】

入母屋造。廻廊に囲まれた一画の正面に建つ。軒を支える組物は雲形組物を用い、2層目には卍崩しの高欄を巡らす。下層の柱間に比して、上層が縮減されている。四間三面という深い奥行を持つ。中門に安置された金剛力士像は711(和同4)年に造立されたもので、日本で現存する最古のものである。

      

■廻廊 【国宝・奈良時代】

エンタシスのある中門・廻廊の列柱。西院伽藍の中心部を囲んで建てられている。南は中門左右に接し、北では講堂に接す。右側の東側廻廊が若干長くて屋根も高い。五重塔をより高く見せるためと言われる。並び建つ胴張り(エンタシス)の柱が素晴らしい。

     

■ヤリガンナと礎石柱

  

古代建築を支えた刃物−ヤリガンナが削り出した法隆寺の柱は太く、円く、中間に膨らみを持つ曲面の連続である。掘立柱からの大変革−五重塔も採用

廻廊の美−連子窓や東西の高さ比べもよし。

         

■金堂 【国宝・飛鳥時代】

現存する最古の木造建築である。内陣はエンタシス柱で支えられている。伽藍中央に位置する。外観二層(内部は一層)で下層には裳階をつける。

軒を支える組物は雲形組物で、上層には卍崩しの高欄をめぐらすのは、五重塔・中門と同じ斑鳩地域の7世紀独特の様式。

         

雲形組物で軒を大きく張りひろげ、上層の入母屋造の屋根が中央で鋭く急勾配で立ち上がり、建物が一層大きく力強く感じる。

     

内陣はエンタシス柱で支えられている。

   

四隅には、龍等の彫刻が施された支柱がある。これは江戸時代中期の修理で付け加えられた。

        

■五重塔 【国宝・飛鳥時代】

最古の五重塔である。金堂の西方に位置する。基壇上部より相輪頂部までの高さ31.6mで、金堂の2倍である。初層に裳階が付くので六重に見える。

             

屋根の反りは軽快であり、各層は上層に向かって10・9・8・7・6の比率を持って逓減を示す。

        

心柱のヒノキは594年に伐採されたもの。地下3mに舎利を安置する心礎があり、心柱は元来掘ったて式であったが、今は空洞を掘って地上に据える。

 

相輪

   

■経蔵【国宝・奈良時代】と鐘楼【国宝・平安時代】

経蔵は一切経を納置するための寺院にとって欠かせない建物の一つ。五重塔北西に位置し、廻廊と接する。鐘楼は法要の時刻などを知らせる。

両方とも楼造りで共に瀟洒な建物である。

      

■大講堂 【国宝・平安時代】

寺僧が集い仏法の講説を聴聞する場所で、通常伽藍後方に位置する。屋根の勾配をきつくして高く見せる工夫が見られる。飾り気は少ないが存在感がある。

     

■聖霊院 【国宝・鎌倉時代】

東室の南側を聖徳太子の五百回忌に合わせて1121(保安2)年に改修したもの。現在の建物は1284(弘安7)年に改築されている。入母屋造りの妻入り。

正面には吹き放ちの広庇や蔀戸(しとみど)を設け、すっきりした外観である。内陣には瀟洒な厨子を設け、聖徳太子及び侍者像等を安置する。

          

■東室 【国宝・飛鳥〜奈良時代】と妻室 【重文・平安時代】

東室は東僧房として建てられた僧たちの住居である。扉口と連子窓一組で一房(一室)となる。妻室は東室付属の小子房で、僧房(大房と呼ぶ)に付属する建物で、大房に住む僧の従者の住居であった。

     

■綱封蔵 【国宝・平安時代】

寄棟造で高床式の蔵。南と北に倉庫を設ける双倉(ならびくら)で、その中間には床や壁を設けない。綱封とは三綱(さんごう)、すなわち寺院の管理運営や僧尼の監督に当たる上位の三役の僧が封をするという意味である。倉庫への出納の際は、中間部分に階段か梯子が取り付けられ出し入れを行う。

     

■食堂 【国宝・奈良時代】と細殿 【重文・鎌倉時代】

僧尼が食事をするところ。集団生活が重要視された古代に於いては必須の場所であった。

     

■大宝蔵院・百済観音堂

1998年(平成10)年に落成した。伽藍というよりは博物館。かつての大宝蔵殿に代わる施設。

百済観音堂を中心とする東西の宝蔵には、有名な夢違観音像(白鳳時代)・推古天皇御所持の仏殿と伝える玉虫厨子(飛鳥時代)・蓮池の上に座す金銅阿弥陀三尊像を本尊とする橘夫人厨子(白鳳時代)をはじめ、百万塔や中国から伝えられた白壇造りの九面観音像・天人の描かれた金堂小壁画など、わが国を代表する宝物類が多数安置してある。

        

■■東院伽藍

東大門を過ぎると道は東院伽藍に向かう。東院の地は聖徳太子の御住居であった斑鳩宮の址である。太子はこの宮を造営されが、太子の薨後、遺族は悲惨な最後をとげられ、この地は荒廃のままであった。百年の歳月を経た739(天平11)年に至り、その興廃を悲嘆した行信僧都により、八角形の中心に伽藍が建立され、太子信仰の興隆とともに、社殿が建立され現状のような壮観を呈するようになった。

 

■東大門へ向かう参道と子院

       

■東大門 【国宝・奈良時代】

四脚門は重文である。

「中の門」ともよばれるこの門は、西院と東院の間に建っている。かつては鏡池の東側に南向きに建っていたとされるが、平安時代ごろに現在の場所に移されたといわれる。この門は珍しい三棟造りという奈良時代を代表する建物の一つである。

     

■築地塀と子院

幅広い、石畳の参道

                 

南門〜札堂

  

■東院廻廊 【重文・鎌倉時代】

東廻廊は、桁行折曲り延長22間、梁間1間、一重、切妻造、本瓦葺。西廻廊は、桁行折曲り延長21間、梁間1間、一重、切妻造、本瓦葺。

東廻廊・西廻廊ともに鎌倉時代前期の1237年(嘉禎3年)に造られた。

    

夢殿 【国宝・奈良時代】

太子信仰のメッカ。聖徳太子及び一族の遺徳を偲ぶため救世観音像を本尊として安置。平面八角形の八角円堂で屋根の頂に華麗な露盤宝珠をあげる。

         

東院鐘楼 【国宝・鎌倉時代】

上階に中宮寺から移された奈良時代の梵鐘をつるす。袴腰付鐘楼である。この形式の鐘楼としては最古である。

   

伝法院 【国宝・奈良時代】

東院伽藍の講堂に相当する堂宇で、聖武天皇の夫人であった橘古那可智(たちばなのこなかち)の邸宅を移築し仏堂に改修したもの。

    

絵殿・舎利殿 【重文・鎌倉時代】

東院の宝蔵として聖徳太子関連の遺品を納めるために建てられた。聖徳太子の舎利を東側に安置して舎利殿とし、西側には聖徳太子絵伝を納めた。

現在は東京国立博物館の所蔵となっている。

     

その他

     

≪参考資料:弧侍従例奈良・法隆寺、法隆寺金堂壁画、法隆寺を支えた木、法隆寺HP,パンフレット、百時巡礼、ほか≫


February 11, 2014 野崎順次 source movie

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1−1

聖徳宗総本山 法隆寺

現地案内図

 

国宝 南大門

重文 西院大垣(南面)

     

国宝 中門 飛鳥

重文 西院東南隅子院築垣

重文 西院西南隅子院築垣

           

重文 塑造金剛力士立像(吽形躰部木造)

     

再び、中門

    

国宝 五重塔 飛鳥、補修工事中

                 

国宝 金堂 飛鳥

                                    

国宝 大講堂 飛鳥

国宝 回廊 飛鳥

国宝 経蔵 飛鳥

国宝 鐘楼(しゅろう) 飛鳥

       

国宝 三経院および西室 鎌倉

                   

国宝 西円堂 鎌倉

              

重文 地蔵堂

   

西円堂あたりで

            

国宝 聖霊院 鎌倉

国宝 東室 奈良

       

重文 妻室

   

国宝 綱封蔵

      

重文 細殿

国宝 食堂(じきどう)

  

それから

  

東院伽藍への道、南側は、

重文 西院東南隅子院築垣

    

国宝 東大門

      

さらに進む。

       

重文 四脚門 鎌倉

   

国宝 夢殿 奈良

重文 回廊

            

重文 礼堂

重文 回廊

       

重文 舎利殿

重文 絵殿

           

国宝 伝法堂 奈良

国宝 東院鐘楼 鎌倉

  

帰途

           


Feb.2012 田中康平

2011.12.24pm撮影

南大門(国宝) 護摩堂

     

中門(国宝) 仁王像(重要文化財)

          

金堂(国宝) 五重塔(国宝) 大講堂(国宝) 桂昌院の灯篭 鐘楼(国宝)

                               

妻室(重要文化財)/東室・聖護院(国宝) 食堂(国宝) 網封蔵(国宝)

       

中倉、南蔵の土塀

    

東大門,東院伽藍に至る道

      

東院伽藍

 夢殿(国宝)

             

 中宮寺

  

 鐘楼(国宝)から 東大門

          


Nov.2011 大野木康夫 source movie

2011.11.3 撮影 

大講堂の屋根の修理も終わった今年、毎年11月1日から3日までの上堂(上御堂)特別公開の時期に法隆寺を訪れました。

夢殿の救世観音像も公開されており、混雑を避けるために朝一番に行きました。

法隆寺の有料拝観区域は朝8時から開くので、京都駅6時1分のJR奈良線で行くことにしました。

奈良駅で乗り換えて法隆寺駅には7時24分に着き、徒歩で法隆寺に向かいました。

南大門には7時39分に着きました。

     

南大門(国宝)

永享10(1438)年の建築

三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺

時間が遅くなるとレンタサイクルや単車が脇に並び、人が途切れることはありませんが、朝早いと出勤されるお寺の方と数名の観光の方くらいしか通りません。

人が映る写真が混ざっているのは、午後3時頃に再訪した時のものです。

              

西院大垣(南面)(重要文化財)

元禄10(1697)の築造

南大門東方長さ208.7m、西方長さ103.8m、築地塀、本瓦葺

南大門の左右に繋がる築垣は、合わせて300mを越える長大なものです。

さすがに写真を撮る人はほとんどいません。

       

南大門をくぐると、西院伽藍が見えます。

再訪時の写真と比べたらわかると思いますが、人がいないと一層荘厳に感じます。

       

西院東南隅子院築垣(西面)(重要文化財)

江戸時代前期の築造

長さ82.3m、築地塀、本瓦葺、門二棟を含む

南大門から西院伽藍に向かって右手の築垣です。

   

西院西南隅子院築垣(東面)(重要文化財)

元和から元禄年間(1615-1703)の築造

上土門南方長さ32.5m、門一棟を含む、上土門唐門間長さ6.7m、唐門北方長さ37.3m、築地塀、本瓦葺

南大門から西院伽藍に向かって左手の築垣です。

間に入る西園院の上土門と唐門も別に指定されています。

    

西園院上土門(重要文化財)

江戸時代前期の建築

一間上土門、檜皮葺

上土門(あげつちもん)は本来、屋根を平らにして土を盛ったものですが、後には檜皮葺で造られたりしたようです。

西園院が現在は本坊として使われていることから、出勤してこられたお寺の職員さんが出入りされていました。

      

西園院唐門(重要文化財)

江戸時代前期の建築

一間平唐門、檜皮葺

こちらは固く閉じられています。

     

西園院客殿(重要文化財)

桃山時代の建築

桁行11.9m、梁間12.8m、一重、北面入母屋造、南面切妻造、杉皮葺

非公開のため築垣越しに屋根だけ見ることになります。

唐門の向かって右奥、新堂の南隣です。

杉皮葺の特徴ある屋根なのですぐわかります。

      

新堂(重要文化財)

弘安7(1284)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、こけら葺

西園院の中、北東角にある檜皮葺の建物です。

中門前の少し高い所から、屋根付近を見ることができます。

     

大湯屋表門(重要文化財)

室町時代前期の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

大湯屋(重要文化財)

慶長10(1605)年の建築

桁行六間、梁間四間、妻入、正面一間通り庇付、一重、切妻造、本瓦葺

西園院と同じ西南隅子院の北側中央付近にあります。

表門には「浴室」とあるのでよくわかると思ういます。

大湯屋は築垣の上から覗く庫裏のような本瓦葺の建物です。

           

西院西南隅子院築垣(北面)(重要文化財)

元和から延宝年間(1615-1681)の築造

大湯屋表門東方長さ52.4m、西方長さ67.1m、築地塀、本瓦葺(地蔵院、西園院に亘る)

西院伽藍中門前から西大門に向かう道の左手の築垣です。

中ほどに大湯屋表門があります。

   

西大門

元禄期の建築ですが国指定文化財ではありません。

 

西院大垣(西面)(重要文化財)

西大門両脇は元禄10(1697)年の築造

西大門南方は室町時代の築造

西大門南方折曲り延長69.8m、北方長さ6.2m、築地塀、本瓦葺

南方の築垣は法隆寺の築垣では最古のものです。

  

西院東南隅子院築垣

寛文から寛政年間(1661-1800)の築造

長さ203.3m、築地塀、本瓦葺、門五棟を含む(宝光院、弥勒院、実相院、普門院に亘る)

西院伽藍中門前から東大門に向かう道の右手の築垣です。

四つの子院に分かれて部分的に修築されており、築造年代がばらばらになっています。

   

中門(国宝)

飛鳥時代の建築

四間二戸二重門、梁間三間、入母屋造、本瓦葺

法隆寺の南大門を入ると正面にみえる二重門が中門で、左右には廻廊が連なり、廻廊内には右に金堂、左に五重塔がそびえる。

これらはいずれも木造としては世界最古の現存建造物であり、法隆寺西院伽藍ならではの景観を呈する。

中門は初重・二重とも、正面を四間、側面を三間に分かつ特殊な平面をもつ。太くて胴張りのある柱、雲斗雲肘木によって構成される組物、高欄の卍崩しの組子、人字形割束など、飛鳥建築の特徴とされるものによる構成が力強く、美しい。

(国指定文化財等データベースより)

中門から五重塔が覗いている風景は法隆寺を代表する構図なので、いつも記念撮影をする人が途切れませんが、朝一番なら無人の風景を撮影できます。

                 

西廻廊(国宝)

飛鳥時代の建築

折曲り延長四十間、一重、本瓦葺

東廻廊(国宝)

飛鳥時代の建築

折曲り延長四十二間、一重、本瓦葺

法隆寺中門の両端を起点とする廻廊は、金堂・五重塔を囲み、経蔵・鐘楼を含めつつ大講堂まで達する。

このうち当初部分は金堂・五重塔背後の屈折点までで、もとはここで東西に連結されて北面を閉ざしていた。

現状のように拡張されたのは平安時代中期とみられる。

梁間は3.7mの単廊で、外側柱筋は出入り口を除いてすべて連子窓で閉ざし、内側は開放である。

柱には飛鳥時代特有の胴張りをつけ、皿斗付の大斗、のびやかな肘木、木口を正面にみせる巻斗などが、金堂・五重塔と同じ様式で、建立年代の近いことを示す。

全体が円弧状にゆるやかに反り上る虹梁もまた美しい。

(国指定文化財等データベースより)

東西方向の正面からは、立入禁止区域になり見ることはできませんが、伽藍内から見ると、柱の胴張り(エンタシス)が古代の雰囲気を醸し出しています。

             

五重塔(国宝)

飛鳥時代の建築

三間五重塔婆、初重もこし付、本瓦葺、もこし板葺

五重塔は安定した美しい外観をもつ最古の木造塔で、金堂にひきつづいて七世紀末に建立されたものと思われる。

二重基壇上に建ち、組物は金堂同様の雲斗雲肘木、軒も金堂同様の一軒角垂木で、独特の様式をもつ。

心柱は地中に心礎を据えて掘立柱とし、初重の四天柱をつつみこんで塑像の須弥山を構え、天井板には蓮花文を画く。

二重以上は柱盤の上に短い丸柱を立て、順次積上げ、五重は柱間を二間とする。

金堂などとともに飛鳥様式を色濃く伝えるものと考えられ、洗練された意匠になる名塔である。

(国指定文化財等データベースより)

屋根の逓減率が高く、安定した姿をしています。

初重内陣の塑像(国宝)が印象的ですが、当然ながら撮影できません。

            

五重塔と金堂の組み合わせ

         

金堂(国宝)

飛鳥時代の建築

桁行五間、梁間四間、二重、初重もこし付、入母屋造、本瓦葺、もこし板葺

天智9年(670)の火災後に建立された法隆寺西院伽藍の中心建物で、中門・廻廊に囲まれたなかに、東に南面する金堂、西に五重塔が並んで建つ。

金堂は、二重基壇上に建ち、ふくらみのある丸柱や組物に用いる雲斗雲肘木、人字形割束や卍崩しの高欄など独特の建築様式をもつ。

内部は土築の仏壇を構え、本尊釈迦三尊像以下を安置する。

世界最古の木造建造物で、全体の均衡もきわめてよい名建築である。

(国指定文化財等データベースより)

日本の文化財建造物の王様みたいなものでしょうか。

五重塔もそうなのですが、卍崩しの高欄の色が目立ちすぎており、あと何年したら周囲の木材と調和するのかと考えてしまいます。

         

経蔵(国宝)

奈良時代の建築

桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺

法隆寺の西廻廊が五重塔背後で屈折し、大講堂に向かうその中間地点に位置する。

天平様式を基調とすることから奈良時代の建築とみられ、現存する楼造の建物のなかでは最も古い遺構である。

一階を高く二階を低くする上下のバランスもよく、簡素な切妻造の屋根と、二階床高さにまわる縁・高欄が全体をひきしめる役目をになっている。

部分的に後補の材もまじるが、奈良時代の楼造建築を考えるうえではかけがえのない作例である。

(国指定文化財等データベースより)

朝8時に伽藍に入ったら、経蔵から鐘の音が聞こえてきます。

       

鐘楼(国宝)

寛弘2(1005)年から寛仁4(1020)年の建築

桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺

経蔵と対になっています。

西院伽藍で最も新しい建物ですが、それでも平安時代中期のものです。

      

大講堂(国宝)

正暦元(990)年の建築

桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

昨年訪れた時は屋根の葺替え工事中でした。

今回は工事も終わり、均整のとれたきれいな姿を見ることができました。

上堂(上御堂)公開中は裏側(北側)からも見ることができます。

大宝蔵院前からも東面を見ることができます。

                 

上御堂(上堂)(重要文化財)

文保2(1318)年の建築

桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

毎年11月1日から3日までの3日間、公開されます。

公開時は、大講堂内部から北側に出る出口を通って行きます。

桁行七間で決して小さな建物ではないのですが、他の建築が雄大過ぎて何か小さく見えてしまいます。

鎌倉末期の建築なので国宝指定されてもおかしくないのですが…

公開時期以外なら、大宝蔵院前から遠望できます。

         

三経院及び西室(国宝)

寛喜3(1231)年の建築

桁行十九間、梁間正面五間、背面四間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺

西院回廊の西方に建つ桁行十九間の南北棟建物で、南七間を三経院、北十二間を西室とする。

現在の建物は寛喜3年(1231)の再建で、西室は文永5年(1268)に建立された可能性が大きい。

西室北端の一間のみ土間床で他は前面板敷とし、三経院の三方には高欄付の縁を設ける。

軸部は自然石礎石に丸柱を立て、組物は大斗肘木、軒は角垂木一軒とし、広庇は一軒疎垂木である。

三経院は寝殿造の対屋を思わせる住宅風仏堂であり、西室は二間一房制の僧坊の外観をよく伝える。

法隆寺西院伽藍の西にあつて、東の聖霊院及び東室とともに上代寺院三面僧房の俤をのこす。

(国指定文化財等データベースより)

西院伽藍の西に建っている長大で、撮影が難しい建物です。

昨年訪れた時は西室の門が開いていましたが、今回は閉まっていました。

           

中院本堂(重要文化財)

永享6(1434)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、本瓦葺

寶珠院本堂(重要文化財)

永正9(1512)年の建築

桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、こけら葺

三経院のさらに西側、西円堂に向かう坂道に沿って、南側に中院、北側に寶珠院があります。

中院本堂(瓦葺)と寶珠院本堂(こけら葺)は築地塀を挟んで隣り合った状態で建っています。

両院とも非公開なので、築地塀越しに見ることになります。

            

法隆寺境内、特に西院伽藍周辺には猫が多く、えさをやらないように注意看板が出ています。

  

西円堂(国宝)

建長2(1250)年の建築

八角円堂、一重、本瓦葺

三経院の西側の坂と石段を登った上に建っています。

前面の向背部分は文化財に指定されていません。

            

薬師坊庫裏(重要文化財)

室町時代の建築

母屋桁行18.0m、梁間7.9m、八畳四室、六畳一室、四畳二室、縁、土間、勝手等より成る、一重、東面切妻造、西面寄棟造、桟瓦葺

薬師坊は西円堂の背後にある子院で、非公開です。

庫裏は屋根しか見えません。

   

地蔵堂(重要文化財)

応安5(1372)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦葺

西院伽藍の北西にひっそりと建っています。

立入禁止区域内に建っているので、西円堂の東側から撮影することになります。

    

ここからは西院伽藍東側の建造物です。

 

聖霊院(国宝)

弘安7(1284)年の建築

桁行六間、梁間五間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺

現在の聖霊院は、平安時代建立の聖徳太子をまつる仏堂を、弘安七年(1284)に全面的に建て替えられたものである。

切妻造、妻入の正面に広庇を設けた構成で、組物は正面平三斗、側面出三斗、軒を二軒繁垂木として仏堂らしく扱っている。

内部は前二間を外陣(礼堂)、後方を内陣、脇陣、後陣に区画する。

内陣には厨子をつくりつける。

聖霊院は聖徳太子をまつる仏堂として建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な建築である。

(国指定文化財等データベースより)

西院伽藍の東隣です。

三経院とは違いいつも開いており、お参りの人で賑わっていますが、朝早かったので人もまばらでした。

       

東室(国宝)

奈良時代の建築

桁行十二間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺

東室は西院廻廊の東に建つ僧坊で、奈良時代に創建、いまも当時の面影を残している。

現状はほぼ永和三年改造時の姿に整備されているが、第二、第三房だけは創建時の僧坊の形式に復された。

構造は側柱、入側柱とも桁を直接のせ、丸垂木を用いたきわめて簡素な形式をもつ。

東室は伽藍中枢部にひきつづいての建立と考えられるが、礎石や柱にはさらに古い転用材が用いられ、こちらは法隆寺創建時代にまでさかのぼる可能性がある。

当初の構造形式もよく解明されていて、きわめて高い価値をもつ。

(国指定文化財等データベースより)

聖霊院の奥の続きの建物で、真横から見ることはできません。

大宝蔵院前から北面をみることはできます。

           

妻室(重要文化財)

保安2(1121)年頃の建築

桁行二十七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

聖霊院、東室の東隣の細長い建物です。

    

綱封蔵(国宝)

平安時代前期の建築

桁行九間、梁間三間、一重、高床、寄棟造、本瓦葺

この倉は当初は綱封蔵(三綱(僧官)が封をする蔵のこと。)ではなかったが、12世紀の始めにそれまでの綱封蔵が破損顛倒したために、その時から綱封蔵になったものと考えられる。

部材の材質や手法から、建立年代は平安時代中ごろと推定される。

平面は桁行九間、梁間三間を方三間ずつ三区に分け、南北両区を倉にして中央部は吹抜けとする。内部は大梁上に二重梁を組み、束で棟木をうけ、化粧屋根裏とする。

双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だが、綱封蔵のように中央を吹抜けとして、吹抜け部分に向かって扉を開く形式こそ本来の双倉の姿であり、その唯一の資料である。

(国指定文化財等データベースより)

大宝蔵院の入り口の東側、妻室の向かい側の建物です。

東側は立木があるので、全体像を見るには西側からがいいと思います。

           

細殿(重要文化財)

文永5(1268)年頃の建築

桁行七間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺

食堂(国宝)

奈良時代の建築

桁行七間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺

食堂は、法会が行われるさい、その儀式の一部として多数の僧侶が会食する場である。

現食堂は『資財帳』中の政屋の一棟を平安時代の初めごろ改造転用したものとみられる。

幾時期かの部材がまじってはいるが、その骨格は当初のままとみてよく、肘木の曲線、円形断面の桁・棟木、二重虹梁などに天平様式の特色がよくあらわれている。

途中で使用目的が変更された建物ではあるが、細殿とともに今はあまりみることのできない双堂の伝統を伝えるものとして、はなはだ貴重な遺構である。

(国指定文化財等データベースより)

食堂と細殿は対になっており、いわゆる双堂形式の建物です。

建物の間が非常に狭く、食堂を単独で南側から撮影するのは物理的に不可能です。

背面なら大宝蔵院前から見ることができますが。

             

東大門(国宝)

奈良時代の建築

三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

西院の東端に建っています。

東側は関係者?の駐車場になっており、いつも車が止まっています。

              

西院大垣(東面)(重要文化財)

元禄10(1697)年の築造

東大門南方長さ86.4m、北方折曲り延長63.5m、築地塀、本瓦葺

よく車が通るので、注意が必要です。

   

律学院本堂(重要文化財)

寛永4(1627)年の建築

桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、本瓦葺

法隆寺西院東大門外にあり、聖徳太子像を祀る。

聖霊院に酷似した形式をもち、正面五間、側面七間、入毋屋造、妻入、本瓦葺で、内陣後方に唐破風を付けた桧皮葺の厨子を造る。

部材の保存がよく、材料、工法とも優秀で、細部の意匠が優れている。

(国指定文化財等データベースより)

律学院は東大門脇の北側の子院ですが、非公開で塀越しに見ることになります。東大門の脇が少し高くなっているのでおすすめです。

      

宗源寺四脚門(勧学院表門)(重要文化財)

嘉禎3(1237)年の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

律学院の東隣の子院が宗源寺です。

      

福園院本堂(重要文化財)

永享9(1437)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、本瓦葺

旧富貴寺羅漢堂(重要文化財)

平安時代後期の建築

桁行一間、梁間一間、一重、宝形造、檜皮葺

奈良県磯城郡川西村保田の富貴寺にあった一間堂で、昭和十年以来解体保管されていたが、今回(昭和46年12月)法隆寺境内に再建された。

柱やときょうは平安時代のものであり、解体保管中著しい腐朽をうけたが、東京国立文化財研究所の化学処理によって再用可能となり、今回、亡失の基壇、雑作、屋根等を整備して再建されている。

(国指定文化財等データベースより)

福園院は宗源寺の向かい側の子院で、瓦葺の小さな本堂の隣に檜皮葺の旧富貴寺羅漢堂が移築されています。

両方とも比較的低い建物なので垣の木々に遮られてあまり見えません。

むしろ、東院手前の道路を南に行ったところにある駐車場からの方がまだ見える部分が多いと思われます。

      

東院四脚門(重要文化財)

鎌倉時代前期の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

東大門から東院に向かうと、正面に見える四脚門です。

   

東院大垣(西面)(重要文化財)

元禄9(1696)年の築造

四脚門南方長さ43.8m、北方長さ45.8m、築地塀、本瓦葺

四脚門両側の築地塀です。

南端にも門があります。

      

東院大垣(南面)(重要文化財)

元禄9(1696)年の築造

南門東方長さ26.4m、西方長さ29.4m、築地塀、本瓦葺

南門両側の築地塀です。

南側が芝生になっていてきれいです。

    

東院南門(不明門)(重要文化財)

長禄3(1459)年の建築

三間一戸八脚門、切妻造、本瓦葺

廻廊の西南端からも見えますが、やはり芝生越しに南側から見た方がきれいです。

      

東院大垣(東面)(重要文化財)

元禄9(1696)年の建築

長さ65.8m、築地塀、本瓦葺、穴門二所

東院と中宮寺の境目なので、南側から少し見えるだけでした。

  

東院廻廊(西廻廊)(重要文化財)

嘉禎3(1237)年の建築

桁行折曲り延長二十一間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

東院廻廊(東廻廊)(重要文化財)

嘉禎3(1237)年の建築

桁行折曲り延長二十二間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺

西院伽藍の廻廊よりずいぶん小ぶりですが、まとまった感じです。

          

東院夢殿(国宝)

天平11(739)年の建築

八角円堂、一重、本瓦葺

この日は救世観音の公開日でした。

9時前で人もあまりいなかったので、ゆっくりお参りすることができました。

長い間布で巻かれて秘仏となっていただけあって、鮮やかな金色の御姿をされています。

ここから西院伽藍の方に戻る9時過ぎには、もう修学旅行の団体が何組も東院に向かっていました。

              

東院礼堂(重要文化財)

寛喜3(1231)年の建築

桁行五間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺

夢殿の南側の建物です。

何か撮影しやすい印象があります。

        

東院舎利殿及び絵殿(重要文化財)

承久元(1219)年の建築

桁行七間、梁間三間、一重、切妻造、本瓦葺

夢殿の北側の建物です。

伝法院の割拝殿のような配置になっています。

向かって右側が舎利殿、左側が絵殿です。

            

東院鐘楼(国宝)

鎌倉時代前期の建築

桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺

東院の北西部、伝法院などの西隣に建っています。

西院伽藍の鐘楼、経蔵との時代の違いによる対比が面白いです。

      

東院伝法堂(国宝)

奈良時代の建築

桁行七間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺

正面は舎利殿と絵堂の間からしか見ることはできません。

背面は北側に広場があり、全体を撮影することができます。

           

北室院表門(重要文化財)

室町時代後期の建築

一間平唐門、檜皮葺

北室院本堂(重要文化財)

明応3(1494)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、檜皮葺

北室院太子殿(重要文化財)

室町時代中期の建築

母屋 桁行11.6m、梁間11.1m、中門廊 桁行5.0m、梁間3.0m、一重、入母屋造、桟瓦葺、東面軒唐破風、檜皮葺

東院の伝法堂の北(中宮寺に行く通路の北側)にある子院が北室院です。

非公開ですが3棟の指定文化財があります。

表門の背後の檜皮葺の建物が本堂、その西隣、本瓦葺で東側に檜皮葺の唐破風が付いているのが太子殿です。

                

法隆寺は国指定文化財(建造物)の宝庫で、国宝19棟、重要文化財36棟を数えます。

今回の訪問では、幸運にも修理中の建物がなく、ストレスなく撮影することができました。

普通に仏像もゆっくり鑑賞するなら写真撮影をしなくても3時間以上は最低必要と思います。


Mar.2010 撮影:高橋久美子

                     


撮影:野崎順次

奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺内1−1

聖徳宗総本山

法隆寺

撮影日: 2009年10月31日

パンフレットと説明板

      

その一 東院

早朝、東院伽藍に向かう。人の少ない間に夢殿観音と対面したいから。

   

国宝 東大門(奈良時代)

        

重文 四脚門(鎌倉時代)

   

国宝 夢殿(奈良時代)

                       

重文 礼堂(鎌倉時代)

       

重文 舎利殿(鎌倉時代)と 重文 絵殿(鎌倉時代)

                

重文 回廊(鎌倉時代)

         

国宝 東院鐘楼(鎌倉時代)

     

国宝 伝法殿(奈良時代)

  

重文 北室院本堂と太子殿(室町時代)

             

近くの西門、再び四脚門、そして、重文 律学院本堂(江戸時代)を塀越しに見て、西院に向かう。

秋の法隆寺では、特に午前10〜11時頃に修学旅行の生徒でごった返す。

             

その二 西院、伽藍周囲を網封蔵から西円堂

国宝 網封蔵(平安時代)

               

国宝 食堂(奈良時代) と 重文 細殿(鎌倉時代)

                

新しい大宝蔵院

   

重文 妻室(平安時代)

            

国宝 聖霊院(鎌倉時代)、その背後に 国宝 東室(奈良時代)

                              

鏡池周り

                

国宝 三経院及び西室(鎌倉時代)

             

重文 寶珠院本堂(室町時代)

      

国宝 西円堂(鎌倉時代)

                  

重文 地蔵堂(室町時代)

   

重文 薬師坊庫裡(室町時代)

      

五重塔、金堂、西室屋根を見る。

    

西大門あたり

         

その三 西院伽藍

国宝 南大門(室町時代)

               

南大門から西院伽藍に向かう。

               

国宝 中大門(飛鳥時代)

午後遅くになると、生徒たちの姿も少なくゆっくり拝観できる。

                                

国宝 五重塔(飛鳥時代)

                          

国宝 金堂(飛鳥時代)

                        

夕暮れの五重塔と金堂

        

屋根葺き替え工事中の講堂(平安時代)、鐘楼(平安時代)、回廊(飛鳥時代)、いずれも国宝

           

帰途

           

 


Dec.2008 川村由幸

        

 


Mar.2006 撮影:瀧山幸伸

     

No.1 Mar.2006  source movie

 

参道

 

南大門

            

中門

       

               

金堂

            

五重塔

             

大講堂

         

経蔵

 

鐘楼

  

回廊

    

三経院及び西室

  

茶屋の釜

 

三経院茶屋付近から東院回廊と五重塔を望む

  

三経院の池

   

西円堂

                 

地蔵堂

  

鐘楼

   

薬師坊庫裡

  

西円堂からの伽藍俯瞰

      

宝珠院 本堂

  

西園院 客殿 新堂 上土門 唐門

   

大湯屋、表門

   

クスノキ

 

   

  

東室 聖霊院 妻室

       

  

綱封蔵

        

細殿 食堂

       

上御堂

  

東大門

       

  

律学院本堂

 

宗源寺四脚門

     

旧富貴寺羅漢堂 福園院本堂

 

福園院

     

東院四脚門

    

東院夢殿

               

東院礼堂

     

東院舎利殿及び絵殿

  

東院鐘楼

    

東院伝法堂

   

東院南門

  

北室院太子殿、本堂、表門

   


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