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奈良県斑鳩町 中宮寺跡
(Ruins of Chugu-ji Temple, Ikaruga Town, Nara Pref.)

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 四天王寺式伽藍だが、塔と金堂が接近
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June 6, 2020 野崎順次 source movie


奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺東2

国史跡

草創-開基
現在の中宮寺は、法隆寺東伽藍夢殿の東隣にありますが、創建時の中宮寺は室町時代後期ごろまでは、現在の本堂から約500m東の地にありました。
開基は聖徳太子で、母穴穂部間人皇后(あなほべのはしひと)のためにその宮を改めて寺とした伝えられ、聖徳太子建立七カ寺に数えられています。なお異説として、開基は穴穂部間人皇后自身であるとの伝承もあります。
そしてその創建時期は、昭和38年から実施された発掘調査によって法隆寺の前身寺である若草伽藍と同時期の7世紀前半ごろと推定され、四天王寺式伽藍であったと明らかになっています。
また、古くから「大和三門跡尼寺(法華寺、円照寺、中宮寺)」に数えられ、その中でも最も草創が古い尼寺として知られています。

創建中宮寺の概要
その創建中宮寺発掘調査は、昭和38年から同59年にかけて断続的に実施されました。その結果、創建時中宮寺は以下のようであったことが次第に明らかになってきました。
創建時期は、出土瓦、建築様式などから、法隆寺若草伽藍とほぼ同時期に建立されたと推定され、創建時中宮寺は斑鳩地方最古の寺院であり、上宮王家との深い由縁を物語る寺院と考えられる。
境内地は、東西約128メートル、南北約165メートルの規模であった。
伽藍配置は、四天王寺式で金堂を北、塔を南に一直線に並べる配置で、若草伽藍と同じ四天王寺式伽藍配置であった。しかし当寺院は塔と金堂とは大変接近して建てられていた特徴がある。
しかし、講堂や回廊は発掘調査でも発見されず、 計画はあってものの造立されなかった、と推定され、創建中宮寺は、「未完の大寺」との説もあります。
(古寺巡礼ウェブサイトより)

現地説明板、遺跡西南の入り口、幢竿の支柱跡、南門推定地
          


塔跡
                


金堂跡
       


北へ
       


寺域北限の塀を示す東西園路、途中に北門推定地
        


寺域東限の塀を示す南北園路
           


再び、南門推定地
     


南門推定地から塔跡を見る。
    

最南端の園路と幢竿の支柱跡
    


遺跡公園は憩いの場
            


西側の幹線道路から振り返る。
  

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