奈良県生駒市 長弓寺
(Chokyuji Temple, Ikoma City, Nara)
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生駒市上町4443 長弓寺本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 弘安2(1279) 桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 18981228 19531114
February 3,2020 大野木康夫 source movie
奈良県生駒市上町4443
長弓寺は生駒市北部の上町、富雄川にかかる真弓橋の東に位置しています。
4つの塔頭と鎮守社があります。
本堂は4つの塔頭が当番制で管理しているということです。
内部拝観には予約が必要ですが、外観は自由に拝観できます。
本堂(国宝)
弘安2(1279)年の建築
桁行五間、梁間六間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
やや朱がかった端正な建築物です。
A camera
B camera
May 2011 野崎順次 source movie
奈良県生駒市上町4443
真言律宗
真弓山 長弓寺(ちょうきゅうじ)
撮影日: 2011年4月29日
『長弓寺縁起』によると奈良時代に聖武天皇〔しょうむてんのう〕の勅願によって僧行基が開創したと伝えられ、後に藤原良継が堂塔を整えた。塔頭は20ケ院あったと伝えられるが、現在は円生院〔えんしょういん〕、宝光院〔ほうこういん〕、法華院〔ほっけいん〕、薬師院〔やくしいん〕の4坊が残っている。長弓寺本寺には住職がなく、4つの塔頭が輪番制で本堂を護持している。
主な文化財
国宝 本堂(鎌倉時代)
桁行5間・梁間6間、一重、入母屋〔いりもや〕造、向拝〔こうはい〕一間、檜皮〔ひわだ〕葺、附野棟木1本、鎌倉時代、弘安2年(1279)。棟札銘「弘安2年2月25日」から建立年代がわかる貴重な資料である。密教本堂としての機能を果たすため、五間堂の規模の中で柱を抜いて梁を露出させ広い外陣〔げじん〕を設ける手法を用いている。鎌倉時代初め南都では東大寺などの大寺院で復興改築がおこなわれたが、その復興の気運が地方の寺院に至る起点となった遺構で、軸部・組物など和様を基本としながらも、扉・頭貫〔かしらぬき〕の意匠などには大仏様を採り入れるなど鎌倉時代の典型的な建築といえる。
重文 本尊 木造十一面観音立像(平安時代後期)
本堂の本尊として黒漆厨子に安置されている平安後期の一木造の像で、目のつり上がった個性的な面貌や奥行きのある体躯などに古様が残る。
重文 黒漆厨子
その他 木造十一面観音立像
釈迦如来坐像 2体
四天王像
三重塔初層
長弓寺にはかつて鎌倉時代建立とされる三重塔があったが、再度の移転の末、現在は初層部分のみが東京都港区の高輪プリンスホテルに移築されている。昭和9年(1934年)の室戸台風で長弓寺は本堂の屋根が大破するなどの大きな被害を受けた。寺では修理費用捻出のため、三重塔を売却することとなった。なお三重塔の二層・三層は早くに失われており、当時すでに初層のみが残っている状態であったらしい。塔はいったんある実業家の所有となって鎌倉市に移築された後、昭和29年(1954年)に高輪プリンスホテル庭園内に移築され「観音堂」と称されている。同ホテルには他にもと長弓寺にあった門と鐘楼も移築されている。
大門から宝光院地蔵堂
薬師院
円生院、君子蘭と石楠花が美しい
国宝 本堂(鎌倉時代)
大師堂と石仏
境内
伊弉諾(いざなぎ)神社。長弓寺の境内東側にある。明治の神仏分離以前は牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれ、寺伝では聖武天皇が長弓寺の鎮守として建てさせたものという。
帰途に見た草花
参考資料
生駒市デジタルミュージアム
ウィキペディア「長弓寺」
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