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奈良県生駒市 円福寺

(Enpukuji Temple, Ikoma City, Nara)

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生駒市有里町390 圓福寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 永仁元(1293) 石造宝篋印塔 永仁元年壬辰十二月十六日の刻銘がある 19550202

生駒市有里町390 圓福寺宝篋印塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 永仁元(1293)頃 石造宝篋印塔 19550202

生駒市有里町390 圓福寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 応安4(1371) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺 棟札1枚、旧来迎壁額縁1本、旧床板1枚、旧野地板断片1枚、旧鬼瓦2個、旧丸瓦2枚 19220413


October 27,2013 大野木康夫 source movie

奈良県生駒市有里町390

圓福寺は生駒市中部、有里町の丘陵に位置しています。

竹林寺からさらに奥に行ったところです。

本堂(重要文化財)

応安4(1371)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺

宝篋印塔(重要文化財)

本堂の南東に二基が並んでいます。

南塔

永仁元年頃の建造

刻銘なし

月輪に四方仏が刻まれている方です。

北塔

永仁元(1293)年の建造

石造宝篋印塔 永仁元年壬辰十二月十六日の刻銘がある

月輪に種子が刻まれている方です。


July 2012 野崎順次 source movie

奈良県生駒市有里町390

真言律宗

龍華山 円福寺

撮影日: 2012年7月29日

前に来たのは1年2ヶ月前の大雨の日だった。今回の天気は薄曇りで、カンカン照りよりはましである。近鉄一分駅で降りて、壱部バイパスを経て、西の谷間を上る。

現地説明板と下からの遠望。奈良時代の僧行基の開基と伝えられる。

国重文 円福寺本堂 室町前期 応安四年(1371)

桁行三間、梁間三間、入母屋造、向拝一間、本瓦葺き

来迎壁額縁裏面墨書銘「応安二二(四)年ウルウ三月廿五日春カウ五郎」

方三間の規模に周囲に縁を廻らし正面全てを蔀戸とする。来迎柱を立て十二天図を描いた来迎壁に須弥壇を設け、中央小組格天井を組み上げる和様建築である。

本堂の前に二基の宝篋印塔が立つ。共に国重文である。

国重文 宝篋印塔 鎌倉後期 永仁元年(1293)

総高(残存値)244.0cm。塔身に金剛界四仏(阿しゅく・宝生・阿弥陀如来・不空成就の四如来)の梵字を刻む。銘「右志者 為自他滅罪生善往生浄利 七世四恩法界庶衆平等利益 造立如件永仁元年壬辰十二月十六日元祖□於(不読)沙弥[(不読)尼浄阿弥陀佛近真□」

国重文 宝篋印塔 鎌倉後期 永仁元年頃(1293頃)

総高(残存値)240.0cm。塔身に四方仏を彫り込み、笠石下部と基礎上部に蓮弁を刻む。

その他

参考資料

国指定文化財等データベース

生駒市デジタルミュージアムHP


May 2011 野崎順次 source movie

奈良県生駒市有里町390

真言律宗

龍華山 円福寺

撮影日: 2011年5月28日

奈良時代の僧行基の開基と伝えられる。

現地説明板と下からの遠望

本堂の前に宝篋印塔2基が並んで建つ。共に国指定重要文化財。

重文 本堂(南北朝)

入母屋造、本瓦葺き、桁行三間、梁間三。応安4年(1371年)の墨書銘を持つ。

重文 宝篋印塔2基 (鎌倉前期)

本堂に近いほうの塔は初重に四仏の種子を刻み、永仁元年(1293年)の銘がある。南側の塔は初重に四仏の像を刻み、北側の塔と同じ頃の造立と推定される。

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