JAPAN GEOGRAPHIC

奈良県生駒市 往生院と輿山墓地

(Ojoin Temple and Koshiyama Cemetery, Ikoma City, Nara Pref.)

Category
Rating
Comment
  General
 
 
  Nature
 
 
  Water    
  Flower
 
 
  Culture
 
 
  Facility
 
  Food
 


December 16, 2023  野崎順次 source movie

 

奈良県生駒市有里町575-2


現在、輿山墓地の中央に位置する往生院は一宇の堂を有するのみだが、その堂内へは今も納骨が行われているようである。この堂の背面には高さ1・8メートル余りの花崗岩製五輪塔が安置されるが、塔の表面に梵字や銘文を記載しないタイプである。この形式の五輪塔は西大寺の叡尊墓を祖型としたもので、律宗の活動によって各地の墓地の中心に据えられ、塔の地下や周辺に納骨が行われた。その造営時期は14世紀前期頃が最も多く、往生院の五輪塔もこの時期の所産である。当初はこの堂の中央に据えられ、多くの死者を迎え入れていたのであろう。
その堂前には細長い石柱の上に五輪塔を彫り出した、長足五輪塔と呼ばれる石塔がある。この塔の特徴は噛合式といって火輪上部が風輪下部に差し込まれたような形をしたもので、高野山へ向かう参道に建てられた町石の一部に同じ形態のものがある。おそらく町石を造営した石工またはその末裔が建立したものだろう。石柱部分には阿弥陀三尊の梵字が刻まれ、堂前にあってお詣りの人々を迎えたものと思われる。石塔の年代は14世紀前期頃であり、堂内の五輪塔と共通する。しかもこの時期は行基墓に伴う結界石を配置した時期に一致しており、往生院を含めたこの付近一帯を行基所縁の地として一斉に整備したことが窺える。
しかも往生院周辺はこれ以後庶民の墓所として拡大し、輿山墓地として現在まで継続して利用されている。墓所は昭和50(1975)年頃に大きく改変されてしまったが、墓地内には小型の石龕仏(箱仏)や舟形五輪塔など戦国時代から近世初頭に登場する石造物を多数見ることができる。しかも近世以降は周辺の数カ村の共同墓地(惣墓)となって現在に至っている。
(「行基墓、竹林寺の結界と輿山墓地」元興寺文化財研究所副所長 狭川真一氏、2019年2月20日中外日報)

    

五輪卒塔婆 鎌倉時代後期 花崗岩 高さ228cm 幅31cm
西面の地輪上部に阿弥陀三尊の種子を刻む

    

往生院は、行基の遺体を火葬した地として伝えられている。

   

国重文 宝篋印塔 鎌倉時代中期 正元元年 1259年銘 花崗岩 高さ205cm
県内最古の紀年銘を持つ。

          

行基供養塔 五輪塔 南北朝時代 総高187.3cm
    

輿山墓地(往生院の南側)
無縁墓地の頂上に立つ五輪塔は鎌倉時代後期

                 

輿山墓地(往生院の北側)
六地蔵と江戸時代中期明和四年(1767)の銘がある石仏など

       

十三仏舟形石碑 室町時代後期 花崗岩 高さ111cm

       

その他

         

帰途

  

参考資料
河合哲雄「石仏と石塔ウェブサイト」

 

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中