奈良県橿原市 久米寺
(Kumedera Temple, Kashihara City, Nara)
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July 22,2018 大野木康夫 source movie
所在地 奈良県橿原市久米町502
境内各所
本堂
多宝塔(重要文化財)
江戸前期の建築
三間多宝塔、栩葺
巨大な奈良時代の塔趾に建ち、江戸時代に仁和寺から移したと伝える。
型どおりの三間多宝塔であるが、全体の均衡がよく、材料、工法とも優秀な正統派の建築。部材の保存もよい。
初重四方の扉に護方八方天を描き、胎蔵界大日如来を祀る。
(国指定文化財等データベースより)
July 1, 2017 野崎順次 source movie
奈良県橿原市
久米寺
久米寺のアジサイはまずまずの見頃だった。
北側に近鉄線路南大阪線踏切から境内に入る。
アジサイ園
国重文 多宝塔
多宝塔回りのアジサイ
近鉄線路側
February 26, 2017 野崎順次 source movie
奈良県橿原市久米町502
久米寺
この日の主目的は梅の花だったが、まだ、4分咲きくらいだった。大塔礎石と七重石塔
山門
大塔礎石
多宝塔の南には塔の一辺が10.7mに及ぶ塔跡及び礎石が残る。大塔礎石は心礎を含め17個が完存し、塔平面の大きさは国分寺を除けば、最大平面規模といわれる。心礎の大きさは3.9×2.9m、上面に径93cm、深さ29.7cmの円穴がある。まずその巨大さに圧倒される。四天柱礎・側柱礎も巨大な礎石を使用する。
(がらくた置場 日本の塔婆ウェブサイトより)
参道を少し進み、右手の梅の花など
国重文 多宝塔
仁和寺から移築された多宝塔です。当初の塔は雷火で消失し、万治2年(1659)に久米寺の東塔跡に移建と伝えられます。昭和60年の解体修理時に現在の場所に移されました。
江戸時代初期の様式
当初材をよく保持し、京都風のおだやかな手法を持ち、均衡のとれた多宝塔です。頭貫(かしらぬき)、木鼻(きばな)、須弥壇(しゅみだん)など細部に禅宗様が濃厚です。塔内には大日如来坐像が安置されています。
(奈良の名所・古跡ウェブサイト)
梅の花、弘法大師石
七重石塔
本堂あたり
その他境内
南口へ
橿原神宮前駅への帰途
A camera
B camera
奈良県橿原市久米町502
真言宗御室派
霊禅山
撮影日: 2011年6月11日
本尊 薬師瑠璃光如来
久米仙人は吉野竜門寺に籠もって神通力を会得し、空中を飛行中に吉野川で洗濯をしている若い女性の脛を見て神通力を失い落下した物語で有名。その後聖武天皇の御代に、東大寺大佛殿の建立の際、神通力で数日の間に建設資材を運び集め、その褒賞として免田30町を賜り、久米寺を創建したと今昔物語や徒然草に ある。以来、久米部氏の氏寺であったが、聖徳太子の弟が7才で眼病を患いここの薬師如来に願を掛けて平癒されたので来た目と喜ばれ以来 くめでら(久米寺)と呼ばれるようになったとも言う。そのお礼に久米寺に諸建造物を建てて大寺の構えが備わった。 いずれにせよ、礎石が大寺院であった証を残す。堂宇は江戸時代の再建。
796年弘法大師空海が23歳の時、夢のお告げで大毘廬遮那経を知り、経を探して旅をし久米寺の東塔にて発見。又、807年(大同2年)唐より帰国した空海が真言宗を立教開宗、久米寺にて大日経を初めて説いた所縁の寺。空海は中興と言われている。
仁王門回り
仁王門と多宝塔の間に奈良時代の大塔礎石が残る。
石造物の多い境内を本堂に向かう。
重文 久米寺多宝塔(江戸前期)
三間多宝塔、栩葺、高さ14.5m。
巨大な奈良時代の塔趾に建ち、江戸時代に仁和寺から移したと伝える。型どおりの三間多宝塔であるが、全体の均衡がよく、材料、工法とも優秀な正統派の建築。部材の保存もよい。初重四方の扉に護方八方天を描き、胎蔵界大日如来を祀る。
境内の猫
アジサイ園
アジサイ寺としても有名だが、満開には未だ早い。
黄金の大日如来から裏門へ。裏門のすぐ前が近鉄南大阪線の踏切で、渡ると橿原神宮の駐車場である。
参考資料
仏教ネット
国指定文化財等データベース
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