奈良県橿原市 益田の岩船
(Masuda-no-iwafune, Kashihara city, Nara)
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明日香村周辺最大の謎の石造物 |
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急坂の上の驚くべき存在感 |
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諸説あるが、横口式石槨説が有望 |
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October 23 and December 17, 2016 野崎順次 source movie
奈良県橿原市白橿町
住宅地から続く貝吹山(かいぶきやま)の東峰、険しい上り坂を5分ほど歩くと花崗岩の巨岩が現れます。大きさは東西約11メートル、南北約8メートル、高さ約4.7メートル。重さは約800トンもあるという説もあり、上部には一辺約1.6メートル、深さ約1.2メートルの穴が空けられています。
(「かしはら探訪ナビ」サイトより」
建造時期・用途
文献などが残っておらず確かなことは不明で、いくつかの説があげられている。
1.益田池の造築を讃えた、弘法大師の書による巨大な石碑の台石
最も古くからある説で、上にのっていた碑は高取城築造のさいに石垣をつくるための用材として破砕されたという伝説がある。
2.占星術のための天体観測台
二つの穴に石柱を建て、その上に横柱を渡して星を観測したという説。
3.火葬墳墓
穴の中に遺骨を入れて石の蓋をするという説。
4.横口式石槨の古墳
横口式石槨の建造途中で石にひびが入っていることが分り放棄されたという説。その後別の石を使って完成したものが、岩船から南西へ500メートルほど行ったところにある牽牛子塚古墳であるという。東側の穴と違って、西側の穴には水がたまらない事からも亀裂が入っている事がわかる。現在では最も有力視されている説だが、決定的な証拠は無い。
(ウィキペディア「益田岩船」より)
奈良県橿原市見瀬
撮影日: 1977年10月(2011年11月デジタル化)
1977年当時は山裾からよく見えたが、2011年には山林に覆われてしまった。
最も難解な石造遺物といわれる岩船山の巨石である。岩の重さは約160トンと推測され、かつては他から運ばれて来たという説もあったが、現在では最初から今の場所にあったと考えられている。益田池の造築を讃えた弘法大師の石碑の台石、占星術のための天体観測台、火葬墳墓、横口式石槨の古墳など諸説あるが、よく分からない。
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