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奈良県橿原市 新沢千塚古墳群

(Niizawa Senzuka Tumulus Cluster, Kashihara, Nara)

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May 3 and 10, 2025 野崎順次 source movie(May 3)  source movie(May 10)

奈良県橿原市北越智町・川西町
新沢千塚古墳群
(Niizawasenzuka Group of Tumuli, Kashihara City, Nara Pref.)


奈良盆地の南部にある畝傍山の南方に広がる東西2キロメートル、南北約2キロメートル余りの丘陵(越智岡丘陵、標高約150メートル)に位置する、径約10〜15メートルの円墳など総数600基以上の一群の墳墓(群集墳)である。これらの墳墓は4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに作られた。「川西(かわにし)千塚」「鳥屋(とりや)千塚」とも呼ばれた。この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されていない。
発掘調査は1947年(昭和22年)に始まり、1962年(昭和37年)には本格的調査が実施された。このとき粘土槨を内部主体とする500号墳(前方後円墳)を含む23基の古墳が発掘された。500号墳では古墳時代前期に類する副葬品が検出され、その中には懸垂鏡といわれる珍しい銅鏡が含まれていた。その後史跡にも指定されている。
1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。武具・馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳からは金・銀・ガラス・ヒスイを用いた大量の装飾品が遺骨に装着したままの状態で出土し、また火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)が日本で初めて出土したり、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られる[要出典]ローマンガラス製品が出土したりするなど、全国的に大きな話題となった。2014年(平成26年)には出土品のガラス皿について、化学組成がローマ帝国領内で出土したローマ・ガラスとほぼ一致することが東京理科大学の阿部善也らの蛍光X線分析で判明した。これは日本国内の古墳出土品のガラス器がローマ帝国伝来と裏付けられた初めての例である。126号墳の出土品は東京国立博物館に所蔵されており、一括して国の重要文化財に指定されている。
(ウィキペディア「新沢千塚古墳群」)

小型中型の古墳が裾が触れあわんばかりにぼこぼこと密集する様は強い感動を覚える。15年ぶりに来たが、新沢千塚古墳群公園として遊歩道がよく整備されている。ただし、北群エリアの著名な古墳の説明板は完備されているが、南群エリアは皆無である。

パンフレットと現地説明板

   

5月3日、北群エリアの南側。173号墳、109号墳、115号墳、126号墳、139号墳と回って、桜の広場に下りた。

                                                                                    

5月10日、南群エリア。キジが目の前を横切った。212号墳、213号墳、復元古墳、221号墳、225号墳、224号墳、棚田の広場から、龍広場へ。

                                                                           

北群エリアの北側。109号墳、81号墳、48号墳からクリーンセンターの北側に下りた。

                                                           

歴史に憩う橿原市博物館

            

 


Jan. 2010 撮影/文:野崎順次

国指定史跡

撮影日: 2010年1月

奈良県橿原市南部の貝吹山に位置する総数600以上の墳墓からなる日本有数の大古墳群である。

4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに墳墓が作られた。

かつては川西(かわにし)千塚、または鳥屋(とりや)千塚と呼ばれていた。

この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されておらず、大伴氏、漢氏(あやし)、蘇我氏など諸説ある。

1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。

武具、馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳からは、大量の装飾品とともに、日本史上初の火熨斗(ひのし、炭を入れてアイロンとして使用した金属器)の出土や、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られる希少なローマンガラス製品の出土があり、古代日本の交易範囲の広さを立証する遺跡として注目されている。

(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)

近鉄橿原神宮前駅より、西に歩く。北に畝傍山、南に鳥屋ミサンザイ古墳(第28代宣化天皇陵)。

   

新沢古墳群は幹線道路で南北に分断されている。遊歩道がよく整備された北側を歩く。古墳の裾が触れ合うほど密集している。

                            

古墳群南側を少しだけ見学する。

           

橿原市千塚資料館は玄関ホール以外は撮影禁止とのこと。

     

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