奈良県橿原市 正蓮寺
(Shorenji, Kashihara City, Nara)
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橿原市小綱町13-16 正蓮寺大日堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 文明10(1478) 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺 棟札1枚 19430609
November 5,2022 大野木康夫
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今井町からのアプローチ
大日堂(重要文化財)
この日は見学者があり、そのついでに内部を見せてもらうことができました。(本来は事前に小綱町(しょうこちょう)文化財保存会のホームページから申し込み、日程調整をする必要があります。)
本尊 木造大日如来坐像(重要文化財)
【橿原市ホームページから引用】
品質・形状・寸法など
桧材・寄木造・漆箔・彫眼
頭上に宝冠を戴く。智拳印(ちけんいん)を結び、右足を結跏趺坐(けっかふざ)する。
像高148.3cm、面長26.8cm、面巾26.0cm、耳張34.2cm、面奥33.5cm、肘張80.0cm、胸厚32.2cm、腹厚39.5cm、膝高(左)21.8cm(右)21.3cm、膝張108.8cm、膝奥71.5cm
年代または時代
鎌倉時代前期
やや下膨れで伏目の表情には生気があり、体躯の肉づけは柔らかみに富み、衣文も自然な流れで表現されており、鎌倉時代の様式であると言えます。半丈六の仏像であるにもかかわらず、技巧的にまとめられているのが特徴で、院派(京都を中心に朝廷や貴族の造仏を担当していた仏師の一派)系の仏師によるものではないかと考えられています。鎌倉時代前期における橿原市と京都の繋がりを示唆するものとして注目される作品です。
近年修復され、埃を落とすとともに金箔の剥離止めなどが行われました。搬出、搬入等の様子は小綱町文化財保存会のホームページで紹介されています。
脇侍の持国天、多門天立像も本尊と同時期かそれよりも古い時期のものだそうです。
地蔵菩薩立像
棟札(附指定)
入鹿神社
拝殿
本殿(橿原市指定文化財)
所在地 奈良県橿原市小綱町311
付近から
境内
大日堂(重要文化財)
文明10(1478)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、本瓦葺
大日如来坐像(重要文化財)
鎌倉時代の作品
入鹿神社本殿(橿原市指定文化財)
奈良県橿原市小綱町14
正蓮寺大日堂
(Shorenji Dainichido, Kashihara City, Nara)
撮影日: 2011年9月25日
もとは佛起山普賢寺と言われていたが、明治の廃仏毀釈により普賢寺が廃絶することとなり、正蓮寺に管理が引き継がれた。大日堂(だいにちどう)は、文明十年(1478年)の上棟札があり、完成したのは文明十七年だが、康正二年(1456年)から文明十七年(1485年)の墨書なども発見されており、完成までの間約30年の歳月が要していたと考えられる。おそらく応仁の乱の動乱期の影響とも思われる。室町時代の小規模な仏堂としてはとても貴重である。本尊の大日如来坐像は、鎌倉時代の作とされる。
アプローチ
重文 正蓮寺大日堂 室町後期 文明十七年(1485)
桁行三間、梁行三間、一重、寄棟造、本瓦葺。
重文 本尊 大日如来坐像 鎌倉
檜材寄木造・総漆箔、半丈六を超える高さ1.34mの大像。
入鹿神社
創建年代は不明。境内にある一番古い石灯籠は、享保4年(1719)の銘が有る。かつては牛頭天王社とも称された。祭神は、素盞嗚命、蘇我入鹿。
市文 入鹿神社本殿 江戸初期
本殿は朱塗春日造りで、中央蛙股肘木の中に丹精に彩色された彫刻が施され、屋根は桧皮葺。全体として室町頃の風格を思わせる。御神体は木像の素戔鳴命の立像と入鹿大臣の坐像二体の外、神石が奉安されている。
帰途
参考資料
橿原市HP
奈良の寺社HP
神社ふり〜くHP
A camera
大日堂
入鹿神社
B camera
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