奈良県河合町 大塚山古墳群
(Otsukayama Kofungun, Kawai Town, Nara Pref.)
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July 17, 2021 野崎順次 source movie
奈良県北葛城郡河合町
国史跡
河合町内最大の古墳である大塚山古墳を含む8基の古墳がまとまって残っています。大塚山古墳は地域の古図には王塚山あるいは王墓山と記され、王の墓として親しまれてきました。大塚山古墳の東隣には昭和38年まで小学校があり、授業の一環として、あるいは授業の合間に墳丘に登って遊んだといわれています。前方部頂上には地域住民によって建てられた明治天皇の記念碑もあります。周濠部は水田として、墳丘部は里山として利用され、これまで日常生活の一部として存在してきました。城山古墳は吉田山城主義辰の河合城であったと伝えられ、吉田氏の滅亡という哀史の舞台として地域で語り伝えられてきました。大塚山と同じく周濠部は水田として、墳丘部は畑として利用され、ふるさとを離れた人の思い出の中にも、家の裏山の畑でサツマイモを掘ったことを思い出すなど、郷愁を誘う存在でもあります。高山塚1号古墳は地元では中良塚(ナカラヅカ)古墳と呼ばれていますが、これは古墳が存在する地域の地名である穴闇(ナグラ)の塚の転説と考えられています。地域を代表するものとして長く親しまれてきた証です。九僧塚古墳にも9人のお坊さんが埋められているとの伝承が残っており、代々語り継がれた地域の歴史の欠くことのできない要素となっています。
(奈良県歴史文化資源データベース)
以下、個々の古墳の説明は河合町公式サイトよりの引用である。
古墳配置図とアプローチ、近鉄池部駅から北へ歩く。右手のこんもりとした茂みは大塚山古墳である。
九僧塚古墳
二段築成で一辺約35mの方墳。大塚山古墳とほぼ同時期に築造され、大塚山古墳副葬品埋納施設と考えられています。
大塚山古墳
5世紀後半築造の三段築成の前方後円境。墳丘全長は197m、同時期では奈良盆地内で最大級の古墳です。遺物は、円筒埴輪・朝顔形埴輪・家形埴輪の円柱部分に小型の盾を付けたもの・盾形埴輪・蓋形埴輪・須恵器模倣土師器など。
西側前方部から大きく右回りに見ていく。周濠跡に大きなタニシがいた。
後円部
東側からの全景と周濠跡
東側くびれ部に墳丘に登る道があり、前方部から後円部へ行く。
近くの路上の顕彰碑
城山古墳
大塚山古墳群で最後に造られた古墳。5 世紀末から6
世紀初頭の築造と考えられ、墳丘全長は109m、大塚山古墳と同様、同時期では奈良盆地内で最大級の古墳です。中世に砦として利用され、墳丘は変形していますが、三段築成と推測されています。
西側の住宅の裏から墳丘に登る。畑がある。見通し悪い。
戻って北へ行く。北から見た全景。手前が後円部。
東と南から見た全景
丸山古墳
二段築成で直径48mの大型円墳。5世紀後半の築造。
中良塚古墳(高山1号墳)
二段築成で墳丘全長88mの前方後円墳。5世紀後半の築造。「中良塚」は「穴闇(なぐら)塚」の転訛と考えられています。
南北軸で後円部が南側。二段になっているのがよく分かる。南から墳丘に登り、前方部に行く。
西側の周濠が乾いているように見えたので、下りてみたら、足首まで泥にめり込んだ。
墳丘伝いに再び南へ
北西から見た全景、手前が前方部
高山2号墳
発掘調査によりもとの規模は直径約35mと推定される円墳です。周濠部から人物埴輪や、動物埴輪の一部が出土しています。
高山3号墳
発掘調査によりもとの規模は直径30mと推定される円墳です。周濠部から滑石製勾玉が出土しています。
4.高山4号墳
現在は東西18m、南北12mほどの規模ですが、もとは直径20m以上の円墳であったと見られます。
池部駅近くのお好み焼き屋「あこがれ」で生中2杯とねぎ焼きをいただく。
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