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奈良県奈良市 圓成寺

Enjoji,Nara city,Nara

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奈良市忍辱山町1273 圓成寺 春日堂 国宝 近世以前/神社 鎌倉前期 安貞(1227-1228) 一間社春日造、檜皮葺 棟札6枚 19140417 19530331

奈良市忍辱山町1273 圓成寺 白山堂 国宝 近世以前/神社 鎌倉前期 安貞(1227-1228) 一間社春日造、檜皮葺 19140417 19530331

奈良市忍辱山町1273 圓成寺宇賀神本殿 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 鎌倉後期 一間社春日造、向拝唐破風造、檜皮葺 19520329

奈良市忍辱山町1273 圓成寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 文明4(1472) 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、銅板葺 厨子1基 19520719

奈良市忍辱山町1273 圓成寺楼門 重文 近世以前/寺院 室町後期 応仁2(1468) 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 19060414

奈良市忍辱山町忍辱山墓地内 圓成寺五輪塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 元亨元(1321) 石造五輪塔 元亨元年辛酉六月日の刻銘がある 19570219


December 21, 2019 野崎順次 source movie

奈良県奈良市忍辱山町

忍辱山 円成寺

パンフレットと現地説明板

     

忍辱山バス停から少し戻ると、円成寺の山門がある。

    

国名勝 円成寺庭園 平安時代 池泉回遊式

この池庭は著者が昭和十七年に実測した当時、約千五百坪を有し東西に長く南北に狭く地割されているが、南部中央部が出島風となり、ここから中央の大島に高橋(反橋のこと)が架かり、さらにこの中島から北岸に唐橋が架かっていた。今日では反橋はなくなっている。

このように、中央の中島に二橋を架けて、本寺の正門と、南部の南大門とを結ぶ形式は、一種の?池型式というものであって、平泉の毛越寺池庭と同様に、平安期の寺院に設けられる流行型であった。

そしてこの池庭には、この中央の大島の近く北東に小島があり、また別に大島の西部にも、もう一つの大島があり、この大島の東部に小島(今が岩島となっている)がある。したがってこれは蓬莱、方丈、瀛州、壺梁の蓬莱四島の古式のものであり、平安から鎌倉期にかけての流行型としての多島式のものである。

そしてまた、前に述べた中央(南部)の出島の構成は、平等院鳳凰堂池庭その他に見られるように、平安期池庭の定型的な構成であって、「作庭記」流の作庭法によるものであり、藤原氏一派の作庭であったことがわかる。今日でははなはだしく荒廃しているが、地割だけでも文化財的に大切な資料的存在である。

(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」円成寺庭園より)

池の周囲を東北から、西へ、さらに南へ回り込む。

                      

池の南から、中央に楼門が見える。

         

池の南の石造物

    

国重文 楼門 表側

   

平成2年に再建された多宝塔。以前おられた国宝大日如来坐像(運慶作)は相應殿に安置されている。

           

護摩堂、内部の僧形文殊立像は県文化財指定。

              

本堂西石仏(左から地蔵・阿弥陀・地蔵)、いずれも室町後期。

   

国重文 本堂 室町後期 文明四年(1472)

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、銅板葺,附厨子1基

内部は撮影禁止。

                     

国重文 楼門 室町後期 応仁二年(1468)

三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

今度は内側から見る。

             

市文 春日堂・白山堂拝殿 江戸前期 延宝三年(1675)

桁行四間、梁間三間(東側二間)、入母屋造、こけら葺

     

国宝 春日堂・白山堂 鎌倉前期 安貞(1227-1228)

一間社春日造、檜皮葺

      

春日堂

    

白山堂

       

国重文 宇賀神本殿 鎌倉後期

一間社春日造、向拝唐破風造、檜皮葺

             

鐘楼 江戸 寛文7年(1667)

桁行梁行ともに9尺の入母屋造瓦葺。梵鐘は近年寄進をうけたもの

  

行き帰りのバスからの眺め

           


November 24,2019 大野木康夫 source movie

入口付近

    

庭園

                   

その他境内

          

十三重塔付近

         

多宝塔

 

本堂

            

楼門

               

鎮守拝殿

  

白山堂・春日堂

                   

宇賀神本殿

         


Feb.26,2018 瀧山幸伸

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August 4, 2013 野崎順次 source movie

奈良県奈良市忍辱山町

忍辱山 円成寺

(Enjoji Temple, Nara City, Nara Pref.)

天平勝宝8年(756)聖武・孝謙両天皇の勅願により、鑑真和上の弟子、唐僧虚瀧(ころう)和尚の開創と円成寺縁起に書かれている。しかし、史実的には平安中期の万寿3年(1026)命禅(みょうぜん)上人が十一面観音を祀られたのが始まりである。天永3年(1112)迎接(こうしょう)上人が阿弥陀堂を建て阿弥陀如来を安置。ついで仁平3年(1153)仁和寺の寛遍(かんぺん)僧正が東密(真言密教)の一派忍辱山流を始められた。文正元年(1466)応仁の兵乱にかかり、建物の大半を失ったが、栄弘阿闍梨は伽藍の復興に努め、さらに文明13年(1481)弟子連舜らと朝鮮に使して高麗版大蔵経を請来した。慶長14年(1609)家康公の所望によりその大蔵経を献上したところ、江戸時代は将軍の殊遇を得て、寺領235石となり、寺中23寺を有する寺院であった。明治維新後、寺領を失い、今の境内と建物のみを残した。近年、本堂の解体修理と仏像の補修、庭園の整備を終え、多宝塔を再建して寺観を整えた。

(円成寺公式ウェブサイトより)

アプローチ

JR奈良駅からバスで忍辱山まで。

                 

パンフレットなど

      

国名勝 円成寺庭園 平安末期

浄土式庭園を基盤とし、寝殿造系庭園の配置を備えた舟遊式庭園

                    

庭園の石造物

        

国重文 楼門 室町後期 応仁二年(1468)

三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

             

平成2年に再建された多宝塔。国宝の大日如来坐像(運慶作)が安置されている。

 

桔梗と護摩堂

          

本堂西石仏(左から地蔵・阿弥陀・地蔵)、いずれも室町後期。

      

国重文 本堂 室町後期 文明四年(1472)

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、銅板葺

                  

市文 鎮守拝殿 江戸 延宝3年(1675)

桁行四間、梁行三間(東側二間)の入母屋造こけら葺

     

国宝 春日堂・白山堂 鎌倉前期 安貞(1227-1228)

一間社春日造、檜皮葺

                   

国重文 宇賀神本殿 鎌倉後期

一間社春日造、向拝唐破風造、檜皮葺

          

鐘楼 江戸 寛文7年(1667)

桁行梁行ともに9尺の入母屋造瓦葺。梵鐘は近年寄進をうけたもの

    

重要美術品 十三重石塔 平安後期、総高460.0㎝

松香石(黒燿石の一種)と見られる。塔身には薬師・釈迦・阿弥陀・弥勒の四仏の種子。

             

帰途、忍辱山バス停付近の花など。

             

参考資料

円成寺ウェブサイト


奈良県奈良市忍辱山町 忍辱山墓地

(Stone Buddhism Sculpture at Nin-nikusen Cemetary, Nara City, Nara Pref.)

August 4, 2013 野崎順次 source movie

奈良県奈良市忍辱山町

円成寺前の道路を越えた高台にある共同墓地である。圓成寺五輪塔をはじめ、多くの石仏や石塔がある。室町時代のものが多いようである。

細い舗装道路を南にのぼり少し西北に戻ると古いバスのある運動場があり、その横が墓地の裏口である。

   

東海自然歩道が通る入口側に通じる道があり、道端には掘り出された石造物が並べられている。

          

国重文 圓成寺五輪塔 鎌倉後期 元享元年(1321)

墓地の一番高い場所にある石造五重塔。奈良県下では五輪塔では最古の銘を有する。

          

墓地内をいろいろ見て回る。

                     

ちょうどお墓参りの最中だった。

    

さらに見て回る。

              

七阿弥陀石仏 室町 元亀二年(1571)

   

それから

      

入口の地蔵石仏(天文六年)と六地蔵石仏

      

参考資料

河合哲雄さん石仏と石塔ウェブサイト


June 2012 大野木康夫

2012.6.24撮影 source movie

梅雨の晴れ間の圓成寺です。

庭園は新緑が鮮やかでした。

        

楼門

       

山門から境内

    

本堂

          

楼門(境内側)と庭園

      

春日堂・白山堂

破損していた白山堂の屋根の千木が修復されました。

ついでに、ハチの巣もなくなっていました。

                         

宇賀神本殿

        

4度目のお参りですが、天気がいい日に訪れたのは初めてです。


Mar.2012 大野木康夫 source movie

2012.3.25撮影 

早春の圓成寺

庭園

      

楼門(重要文化財)

             

本堂(重要文化財)

             

春日堂・白山堂(国宝)

                      

宇賀神本殿(重要文化財)

        

 


Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

  

A camera

                                                                                                                  

墓地

      

B camera

                                                                             


Nov. 2010 撮影:大野木康夫

所在地 奈良県奈良市忍辱山町1273

忍辱山圓成寺は、万寿3(1026)年、命膳上人の開創で、鎌倉時代には大いに栄え、文正元(1466)年に主要な堂塔を兵火で焼かれたものの、ほどなく再建された。

楼門、本堂は再建当時のものである。

江戸時代には、周囲に二十三寺を擁し大いに栄えたが、明治になって寺領を失い、現在の規模となった。

      

庭園(国指定名勝)

平安末期に築かれたといわれる浄土式庭園。

昭和51(1976)年に発掘調査、環境整備を行い、現在に至っている。

池中には蓮が、池の周りには楓が植えられている。

        

楼門(重要文化財)

三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

応仁2(1468)年の再建

             

境内

多宝塔は近年の再建であるが、国宝の大日如来坐像(運慶作)を安置する。

拝殿は江戸時代の建築で奈良市指定文化財。

         

本堂(阿弥陀堂、重要文化財)

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、妻入、向拝三間、銅板葺

文明4(1472)年の再建

本尊は平安末期の阿弥陀如来坐像(重要文化財)

        

宇賀神本殿(重要文化財)

一間社春日造、向拝唐破風造、檜皮葺

境内の奥に建つ鎮守堂の一つ。鎌倉後期の建築。

    

春日堂、白山堂(国宝)

一間社春日造、檜皮葺

境内の奥に並んで建てられている。向かって右が白山堂、左が春日堂。

ともに、安貞2(1228)年の春日大社造営に際し旧社殿を移したもので、最古の春日造社殿として国宝に指定されている。

                

五輪塔(重要文化財)

石造五重塔 元亨元年辛酉六月日の刻銘がある

参拝口の石段を下りて参道を右に進み、国道369号線を渡った南側の小高い丘に、圓成寺墓地がある。

その一番高い一角に、五輪塔が建立されている。

鎌倉時代末期元享元年の建立、奈良県下の五輪塔では最古の銘を有する。

(写真0065-0072)

        


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