奈良県奈良市 般若寺
Hannyaji,Nara city,Nara
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奈良市般若寺町221 般若寺経蔵 重文 近世以前/寺院 鎌倉後期 鎌倉後期 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺 19690620
奈良市般若寺町221 般若寺十三重塔 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 建長5(1253) 石造十三重塔 旧石造相輪1基、旧銅製相輪1基 19020417
奈良市般若寺町221 般若寺楼門 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 文永(1264-1274)頃 一間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺 19030415 19530331
June 27, 2021 野崎順次 source
movie
秋のコスモス寺で有名だが、夏コスモスがちらほら咲き、アジサイは終わりかけという中途半端な時期であるが、今年はガラスボールにアジサイを入れた花手水が大好評という。
パンフレット
楼門(国宝)あたり
十三重石宝塔(国重文)
一切経蔵(国重文)あたり
本堂(県文)とアジサイ花手水
その他境内
October 9, 2016 野崎順次 source movie
奈良県奈良市般若寺町221
法性山 般若寺
(Hannyaji Temple, Nara City, Nara Pref.)
最古のコスモス寺といわれるが、この日は五分咲きだった。曇り空だったが、後から少し晴れたのがよかった。
パンフレット
国宝 楼門
国重文 十三重石塔
好ましい石仏たち
それから
国重文 経蔵
国重文 笠塔婆二基
手水石船、水かけ地蔵尊など
県文 本堂
三十三所観音石像 江戸
境内のコスモスなど
その他、駐車場側の土塀など
向かいの牧場
境内
十三重石塔
経蔵
笠塔婆
楼門
境内から
外から
駐車場から
奈良市般若寺寺町221
宗派:真言律宗
本尊:文珠菩薩騎獅像
道に面した均整のとれた美しい楼門が目印。
寺伝では、629年に高句麗僧の慧灌(えかん)が創建したとされるが、他にも654(白雉5)年創建説や、奈良時代の聖武天皇
建立説、あるいは行基開基説等がある。いずれにせよ、756(天平勝宝8)年の東大寺の古図に記されているので、それ以前に
1180(治承4)年に焼失、1253(建長5)年頃、東大寺僧侶観良房良恵らが石造十三塔を造立したのを始まりに、復興された。
コスモスがお出迎え
楼門
国宝
鎌倉時代造営 一間一戸 入母屋造 本瓦葺
説明
鐘楼
石造十三塔
国重要文化財
高さ約14.2mの花崗岩製 東大寺復興のために来日していた宋の石工伊行末らの作で、鎌倉時代を代表する石塔。
石塔内部からは、奈良時代の銅造如来像や鎌倉時代作の金銅舎利塔・水晶五輪塔、その他多くの納入品が見つかり、一括して大和般若寺石造十三塔内納置品として国重要文化財に指定されている。
下部の軸石廻りには東面に薬師如来像、西面に阿弥陀如来像、南面に釈迦如来像、北面に弥勒菩薩像が彫られている。
相輪
本堂
1667(寛文7)年の再建。本堂に安置されている本尊木造文珠菩薩騎獅像は国重要文化財で、1324(元亨4)年の作。
経蔵
国重要文化財
鎌倉時代造営
笠塔婆 2基
国重要文化財
伊行末の嫡男行吉が1基は亡父の追善供養のため、1基は母の無病息災を願って、1261(弘長元)年に建立したもの。
それぞれ494cmと463.5cmの日本最大の石婆塔である。
般若寺石灯籠
境内散策
4・5月 ヤマブキ 6・7月アジサイ、夏と秋ハコスモスが咲き乱れる。
A camera
B camera
所在地 奈良県奈良市般若寺町221
秋に訪れると満開のコスモスが一面咲き誇っていますが、雪景色の撮影になりました。
楼門(国宝)
文永年間(1264-1274)頃の建築
一間一戸楼門、入母屋造、本瓦葺
経蔵(重要文化財)
鎌倉時代後期の建築
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、本瓦葺
十三重塔(重要文化財)
建長5(1253)年建造の石造十三重塔
本堂
Aug. 2009 撮影/文 野崎順次
奈良県奈良市般若寺町221
真言律宗
法性山 般若寺
(Hannyaji Temple, Nara)
般若寺は東大寺大仏殿や正倉院の北方、奈良坂と呼ばれる登り坂を登りきった地点に位置する。
般若寺門前を南北に通る道は「京街道」と呼ばれ、大和と山城を結ぶ、古代以来重要な道であった。
般若寺の創建事情や時期については正史に記載がなく、平安時代末頃までの歴史はあまり明らかでない。
治承4年(1180年)、平重衡による南都焼き討ちの際には、東大寺、興福寺などとともに般若寺も焼け落ち、その後しばらくは廃寺同然となっていたようである。
鎌倉時代に入って、般若寺のシンボルとも言える十三重石塔の再建が始められ、僧・良恵らによって建長5年(1253年)頃までに完成した。
その後、西大寺の僧・叡尊によって本尊や伽藍の復興が行われた。
叡尊は、西大寺を本山とする真言律宗の宗祖で、日本仏教における戒律の復興に努め、貧者・病者救済などの社会事業を行ったことで知られる。
般若寺の位置する奈良市街北方地域は、中世には当時「非人」と呼ばれて差別された病者・貧者などの住む地域であり、般若寺の近くには「北山十八間戸」というハンセン病などの不治の病の人を収容する施設もあった。
主な文化財(*印は写真あり)
楼門 (国宝) 鎌倉時代*
本堂 (県指定) 江戸時代*
経蔵 (重文) 鎌倉時代*
十三重石塔 (重文) 鎌倉時代*
十三重石塔内納置品 (重文) 奈良時代~
笠塔婆2基 (重文) 鎌倉時代*
木造寺門扁額 (重文) 平安時代 奈博に寄託
厨子入舎利塔 (重文) 奈博に寄託
紙本墨書叡尊願文 (重文) 鎌倉時代 東博に寄託
銅造薬師如来立像 (重文) 鎌倉時代 奈博に寄託
木造文殊菩薩騎獅像 (重文) 鎌倉時代
楼門
― 京街道に面して建つ。入母屋造り。本瓦葺きの楼門(2階建て門)。
楼門の北の入口から進むと多くの石仏に出会う。三十三所観音石像が本堂を囲むように並ぶ。
鐘楼、平和の塔、そして本堂。
本堂の本尊が木造文殊菩薩騎獅像である。
十三重石塔
- 高さ12.6メートル。
建長5年(1253年)頃に南宋から来日した石工・伊行末(いぎょうまつ)により建立された、日本の代表的な石塔の一つ。
楼門を入って正面、本堂から見ても南正面に位置し、当寺の信仰の中心となっている。
経蔵、笠塔婆2基、残りの三十三所観音石像。
般若寺から京街道を北に下ると、北山十八間戸、夕日地蔵がある。
その近くにレンガ造りの長い塀とハイカラな建物がある。
その名も高き?奈良少年刑務所である。
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