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奈良県奈良市 十輪院
Jurin-in,Nara city,Nara

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奈良市十輪院町27 十輪院石仏龕 重文 近世以前/その他 鎌倉前期 鎌倉前期 石造仏龕 覆堂1棟、棟札1枚 19250424
奈良市十輪院町27 十輪院南門 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 四脚門、切妻造、本瓦葺 19170813
奈良市十輪院町27 十輪院本堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 19020417 19580208


March 5, 2016 野崎順次 source movie

奈良市十輪院町27
十輪院

現地説明板と南門(国重文)あたり

     

国宝 本堂 鎌倉前期

                   

石仏龕覆堂

  

門に入り、右手には庭園が広がる。池の周りには、不動明王石像、観音菩薩石像、春日曼荼羅石、愛染曼荼羅石、十三重石塔など多くの石仏、石塔が点在する。

                               

やすらぎ花壇

  

当山開基と言われる朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)の墳墓あたり

            




Feb.2012 大野木康夫 source movie

2012.1.26撮影 

十輪院はいわゆる奈良町の東にあります。

南門(重要文化財)

鎌倉時代前期の建築
四脚門、切妻造、本瓦葺

          

本堂(国宝)

鎌倉時代前期の建築
桁行五間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺

本尊である石仏龕(地蔵菩薩)の礼堂として建てられたものです。
小さいながらも気品があり、東大寺の開山堂によく似ています。

                        

石仏龕覆堂

石仏龕(重要文化財)の附指定になっています。

  



Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

A camera
                          

B camera
              


July 2011 撮影/文 野崎順次 source movie

奈良市十輪院町27

撮影日: 2011年7月17日

十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置し、静かな奈良町の中にあります。寺伝によりますと、当山は元正天皇(715‐724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれ、また、右大臣吉備真備の長男・ 朝野宿禰魚養(あさのすくね なかい)の開基とも伝えられています。沿革の詳細は明らかではありませんが、鎌倉時代、無住法師の『沙石集』(1283)では本尊の石造地蔵菩薩を「霊験あらたなる地蔵」として取り上げられています。
室町時代の末期までは寺領三百石、境内は1万坪の広さがあったようですが、兵乱等により、多くの寺宝が失われました。しかし、江戸時代の初期には徳川家の庇護を受け、寺領も五拾石を賜り、諸堂の修理がなされました。明治時代の廃仏毀釈でも大きな打撃を受けましたが、現在、当山の初期の様子を伝えるものとして、本尊の石仏龕、本堂、南門、十三重石塔、不動明王二童子立像、それに校倉造りの経蔵(国所有)などが残っています。

パンフレット、現地説明板

   

重文 南門(鎌倉前期)
本堂の正面に建つ表門で、軽快な四脚門です。本堂と同じく厚板で軒を支えています。装飾性のない簡素な構造形式であまり類例が見られません。 もとの位置は道路側に突き出ていました。築地塀が両側に続いています。

         

国宝 本堂(鎌倉前期)
この建物は内部にある石仏龕を拝むための礼堂(らいどう)として建立されました。近世には灌頂堂とも呼ばれていました。 正面の間口を広縁にし、蔀戸(しとみど)を用いています。軒まわりは垂木を用いず厚板で軒を支えています。 また、棟、軒および床が低く、仏堂というよりは中世の住宅をしのばせる要素が随所に見られます。 柱間の上にある蟇股(かえるまた)は垢抜けした優美な形状をしています。

                                 

境内
門に入り、右手には庭園が広がっています。池の周りには、不動明王石像、観音菩薩石像、春日曼荼羅石、愛染曼荼羅石、十三重石塔など多くの石仏が点在しています。

                      

境内隅には当山開基と言われる朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)の古墳も残っています。

     

参考資料
十輪院HP

 


Aug. 2009 撮影/文 野崎順次

奈良県奈良市十輪院町27
真言宗醍醐派
雨宝山 十輪院
(Jurin-in Temple, Nara)
もとは大寺院だった元興寺の別院とされ、寺伝によると奈良時代に右大臣・吉備真備(きびのまきび)の長男である朝野魚養(あさのなかい)が、元正天皇の旧殿を拝領し創建したと伝わる。
「十輪院」の名称の文献上の初見は、鎌倉時代の仏教説話集『沙石集』(弘安6年・1283年成立)とされている。
現存する本堂、石仏龕(せきぶつがん)、東京へ移築された宝蔵などはいずれも正確な年代は不明ながら鎌倉時代のものとされており、鎌倉時代には地蔵信仰の寺院として栄えていたと思われる。
主な文化財(*印は写真あり)

南門 (重文) 鎌倉時代*
本堂 (国宝) 鎌倉時代前期* 
石仏龕 (重文) 平安時代中期〜鎌倉時代前期
御影堂 (県指定) 江戸時代
木造不動明王二童子立象 (重文) 平安時代後期
旧十輪院宝蔵 (重文) 鎌倉時代 東博構内に移築 

    

南門と庭の石造物。

            

本堂
背後の覆堂内に安置された石仏龕を拝むための礼堂として建立された鎌倉時代の住宅風仏堂。寄棟造、本瓦葺き。
建物全体の立ちが低く、正面は広縁の奥に蔀戸(しとみど)を設け、全体として住宅風の意匠になる。
軒裏に垂木(たるき)を用いず板軒とする点も一般の仏堂建築と異なる特色である。
陳列棚の寺宝や資料のなかで、アフロヘア風の大きな頭の仏像が目を引く。
これは、五却思惟(ごこうしゅい)阿弥陀像で、請願を成就するため長い間思いをこらした修行中のため頭髪が伸びた姿を表わして非常に珍しい。

                     


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