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奈良県奈良市 西大寺

Saidaiji,Nara city,Nara

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May 30, 2020 野崎順次 source movie


西大寺奥の院
(Saidaiji Okunoin Temple, Nara City, Nara Pref.)

奈良県奈良市西大寺野神町1丁目6-10

国史跡 西大寺境内の一部

日本最大級の五輪塔と大型五輪塔群


近鉄大和西大寺駅から北西へ約850m、なだらかな丘の方向へ約10分歩くと、西大寺奥の院(法界躰性院[ほうかいたいしょういん])があります。西大寺中興の祖・興正菩薩叡尊上人は、1290(正応3)年8月25日遷化(せんげ)し、西北の林間で火葬されました。その地に営まれた御廟所が当院です。
門を入ると二重基壇の上に叡尊上人の石造大五輪塔(総高342cm)があります。この五輪塔は日本国内では最大級といわれています、まわりに建物がなく広々としているので、なお迫力があります。その東西双方には後の長老の五輪塔もあります。北西に江戸時代創建の地蔵堂があり、室町時代の本尊地蔵菩薩立像がまつられています。
中世後期以降に、隣接地が近在の村墓地となりました。入口付近に、柱・外壁を角・板の塔婆で作られた木造瓦葺の室町時代の納骨堂(骨堂[こつんどう])があり、毎年亡くなった一門僧侶の板塔婆が外周に打付けられます。
(奈良まほろばソムリエの会理事 石田一雄、毎日新聞 大和百寺参り 2019年11月07日)

山門
    


県重文 叡尊五輪塔 鎌倉時代後期 総高342cm
           


地蔵堂 江戸時代
本尊として地蔵菩薩立像を祀る。
 


境内の東側は、叡尊上人以外の西大寺の長老(第二代慈真和上・第三代宣瑜上人・性瑜上人・第六四代泓澄和上)たちを祀る比較的大きな五輪塔群
       


鋳物師池跡

現在は緑地・公園として整備されている空間は、かつては「野神池(鋳物師池)」と呼ばれる比較的大きなため池であった場所であり、鎌倉時代の絵図には「奉鋳四天池」と記されるなど西大寺創建の端緒にもなった「四天王像」の鋳造に縁を持つ地名であると考えられています。
なお、奈良市によって1984年(昭和59年)に緑地公園整備のために発掘調査を実施した際には奈良時代の土器などに留まらず、炉体やふいごの羽口・鋳物屑なども出土したため「鋳物師池」という名前の意味が裏付けられ、西大寺の歴史を考える際においても重要な存在であることが改めて明らかになりました。
(奈良まちあるき風景紀行ウェブサイトより)
 


池の一部が残っていた。
  


June 2, 2013 野崎順次 source movie

奈良市西大寺芝町1-1-5

真言律宗総本山 西大寺

(Saidaiji Temple, Nara City, Nara Pref.)

天平神護元(765)年、東の東大寺に対する西の大寺として、称徳天皇の勅願により建立。創建当時は南都七大寺の一つとして東大寺と並ぶ規模を誇ったものの、平安遷都や度重なる火災によって衰退した。鎌倉時代に叡尊によって密教と戒律の教えを兼学併修する「真言律」の根本道場として復興。しかし、室町時代の戦乱で再び多くの建物を失うことになる。現在の建物はすべて江戸時代以降の建築。本堂前の基壇は東塔跡のもの。十二天画像(国宝)をはじめ、重要文化財に指定されている彫刻などが数多く残されている。大きな茶碗でお茶を回し飲みすることで知られる西大寺の大茶盛式は、叡尊が国土安泰を祈願して鎮守社神前に茶を献じたことが始まりといわれる。

(大和寺アーカイブ 奈良県観光情報より)

東門前の石落神社

西大寺の東塔の建立の後に、残った心礎の欠け石がそのまま道に敷かれ、時の称徳天皇が病気になって亡くなったことから、欠け石の祟りだとの噂が広がり、その道に敷かれた石を祭神として祀っているといわれる。

   

市文 西大寺石落神社本殿 室町中期

一間社、春日見世棚造、桧葺

      

現地案内板とパンフレット

        

東門から入る。

    

四王堂 江戸時代 延宝2年(1674年)の再建

内部の仏像

国重文 木造十一面観音立像 平安時代後期

国重文 四天王立像 孝謙上皇発願の四天王像だが、現在は足下の邪鬼にのみ奈良時代のものを残す。像本体は持国天・増長天・広目天像が銅造で鎌倉時代、多聞天像のみ木造で室町時代の作と推定される。

      

四王堂から参道を進む。

              

市文 護摩堂 江戸初期 寛永元年(1624)

桁行三間、寄棟造

             

国重文 本堂 

寛政10年(1798)頃造営に着手、文化5年(1808)頃完成

寄棟造、本瓦葺。土壁を一切用いず、装飾性の少ない伝統的な様式。江戸時代後期の大規模仏堂建築の代表作

内部の仏像

国重文 釈迦如来立像 鎌倉時代 建長元年(1249年)仏師善慶の作

西大寺の本尊、いわゆる「清凉寺式釈迦如来像」の典型作で、京都・清凉寺にある三国伝来の釈迦像の模刻

国重文 木造騎獅文殊菩薩および脇侍像五躯 鎌倉時代 正安4年(1302年)

像内には多数の納入品が納められていた。

                                    

東塔跡

当初、八角七重の大塔の建立が企画され八角の基壇が造られたが、四角の基壇に改められ、高さ約46メートルの五重塔が建てられた。この塔は室町時代に焼失したが、現存の東塔址の四角の基壇は創建当初のものであり、その周囲の八角の敷石は最初に作られた八角基壇跡である。

          

愛染堂

京都御所の近衛公政所御殿を宝暦12年(1762年)移築

内部の仏像

国重文 厨子入木造愛染明王坐像 鎌倉時代 宝治2年(1247年) 仏師善円作

秘仏、日本の愛染明王像の代表作の1つ、当初の彩色や切金文様がよく残る。

国重文 興正菩薩坐像 弘安3年(1280年) 仏師善春作

西大寺中興の祖・叡尊の肖像彫刻。像内に叡尊の父母の遺骨をはじめとするおびただしい資料が納入されていた。

       

それから

   

市文 鐘楼 寛文年間(1661 - 73)

桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺

       

その他境内

      

参考資料

ウィキペディア「西大寺」

古寺巡訪 気の向くままにHP


Feb.2012 大野木康夫 source movie

2012.1.26撮影 

奈良の西大寺は真言律宗の総本山です。

近鉄西大寺の近くなので、住宅街から駅への抜け道として利用している人が多く通ります。

境内は国指定史跡です。

西大寺は、すでに鎌倉時代において伽藍の配置が変えられ、現在民家が櫛比して旧境内をおかし、右京一条三四坊にありとされた旧観を失っていて、わずかに現本堂前の東塔跡等に奈良時代の面影をしのぶのみであったが、最近の発掘調査の結果、東塔は当初八角形の基壇であったこと、またこれに対して同じく平面八角形の西塔の跡が確認され、漸く旧規模を明らかにする端緒をつかんだところでなお未解決の問題が多い。

指定は差し当り、現境内を主とするが、左の部分からなる。

一、現在の伽藍地区なおこれに西塔跡の西端部が埋蔵されていると認められる民有地を加える。

二、叡尊等の墓地(奥の院)

 三、称徳天皇御山荘と伝える地(池と中島とがある。)

(国指定文化財等データベースより)

  

南門

       

鐘楼

摂津の多田院のものを移築したそうです。

    

東塔跡

本堂の南側に東塔の基壇が残っています。

       

本堂(重要文化財)

寛政11(1799)年の建築

桁行七間、梁間五間、一重、寄棟造、正背面向拝三間、本瓦葺

                                   

境内各所

      

東門

    

石落神社(境内社)

東門を出たところにあります。

   


Sep.2011 瀧山幸伸 source movie

   

A camera

                                             

B camera

                                           


Jan.2010  撮影/文 中山辰夫

奈良市西大寺芝町1-1-5

真言律宗

西大寺は、近鉄大和西大寺駅周辺の市街地の中にあり、駅の南出口から南に3分も歩けば東門に着く。

奈良時代、東の東大寺に対して西の西大寺と称されて、南都七大寺の一つに数えられる程の官寺であった。

天平宝字8年(764)藤原仲麻呂の乱の後、称徳天皇(聖武天皇と光明皇后の娘)が、鎮護国家と平和祈願のため金銅四天王像の造立を発願し、その翌年に7尺(約212cm)の四天王像を鋳造して祀ったのが、西大寺の始まりとされる。

伽藍の建立は宝亀11年(780)頃まで続けられ、薬師金堂、東西両塔、四王堂院、十一面堂院、など百十数の堂舎が建ち並び、まさしく東大寺に対する西の太寺に相応しいものだった。

平安時代には再三の火災に遭い、衰微の一途をたどった。

復興は鎌倉時代で、名僧・叡尊(えいそん)による。

勅願で建てられたこの西大寺は、民衆と共に生きる真言律宗の根本道場に変わった。

叡尊は慕って集まった僧俗と力を合わせ、公益事業や社会教化にも多くの足跡を残したとある。

茶の栽培を教え、宇治を“茶どころ”にしたのも叡尊である。

室町時代に兵火で多くの堂塔を失ったが、江戸時代に再建が進められ、真言律宗の総本山として、今日に至っている。

境内は広いし諸堂も多い。落ち着いた雰囲気の中に歴史を感じさせる寺院である。

各堂内には国重要文化財の仏像が安置され、国重文の絵画・工芸品・古文書が多く残っており、古の盛時を語っている。

                    

東門

     

四王堂

唯一の創建時の由緒を伝えるが、現在の堂は延宝2年(1674)の建立である。

本尊の木造十一面観音立像(国重文:平安時代)は、正応2年(1289)に亀山上皇の院宣により京都から移された。

他に、四天王立像(国重文:奈良時代)や多聞天(木造)、銅造の3体がある。

    

聚宝舘・収蔵蔵

昭和36年(1961)に竣工され、国宝・重要文化財などの寺の寺宝を収蔵しており、その一部が陳列されている。

木心乾漆造の木造阿弥陀如来・釈迦如来・宝生如来坐像(国重文:奈良時代):乾漆吉祥天立像(奈良時代:重文)

木造大国天立像(国重文:鎌倉時代)・像内納入品(国重文)・木造行基菩薩坐像(国重文:江戸時代)などがある。

   

護摩堂

  

本堂

国宝:建造物:指定1998 05 01:建立 完成11年(1799)

桁行7間、梁間5間、一重、寄棟造、正面向拝三間、本瓦葺

宝暦2年(1752)に建造された。土壁を用いない総板壁で出来ている。

本堂に足を踏み入れると、何千という金属製の灯籠が永代供養の明かりを輝かせている。

本尊の木造釈迦如来坐像(国重要文化財:鎌倉時代)は叡尊の発願で建長元年(1249)に、京都嵯峨清涼寺の釈迦如来像を模刻したもの。

木造騎獅文殊菩薩像及び脇侍像は(国重要文化財:鎌倉時代)は、叡尊の十三回忌にあたる正安4年(1302)に弟子たちによってつくられた文殊五尊像である。

木造弥勒菩薩坐像は徳治2年(1307)の弥勒講堂消失後、元享2年(1322)に再興された丈六の大像である。

         

東塔跡

高さ2m、方18mの東塔の基壇が横たわっている。この基壇の上に聳えていたのは、高さ45mの四角五重塔。

それも最初は高さ90mの八角七重塔を設計したという。完成していたら、壮麗なモニュメントになっていただろう。

父の建てた東大寺に劣らぬ寺をと願った称徳女帝の夢であった。

本堂の南面に残る4角基壇は創建当初のもの。周囲の8角の敷石は、最初に作られた8角基壇跡である。

8角7重の東西両塔建立の計画が変更され4角の基壇になった。両塔ともに当初のものは平安時代に焼失した。

その後、東塔は鎌倉時代に創建されたが、文亀2年(1502)に焼失した。

    

愛染堂

京都の近衛家の政所御殿を、宝暦12年(1762)に移建した寝殿造の仏堂である。

本尊は厨子木造入愛染明王坐像(国重要文化財:鎌倉時代)は小作りながら迫力がある。

ほかに、木造興正菩薩坐像(国重文:鎌倉時代)や奉籠物(像内納入品:国重文)がある。

       

鐘楼

奈良市指定文化財

本堂の南に位置する。

幕末期に摂津(現大阪府、兵庫の一部)の多田院(現在 多田神社)から移されたもので、寛文年間(1661~73)に建てられたもの。

     

四王堂南門

    

参考資料《奈良県の歴史散歩、他より引用》


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