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奈良県奈良市 称名寺

Shomyoji,Nara city,Nara pref

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February 14, 2016 野崎順次 source movie

奈良県奈良市菖蒲池町7

浄土宗西山派

称名寺

(Shomyoji Temple, Nara City, Nara Pref.)

近鉄奈良駅近くの称名寺といえば、茶の湯の祖とたたえられる村田珠光ゆかりの寺として、その名を知る茶道愛好者も多いでしょう。しかし、村田珠光ゆかりの寺院ということだけで称名寺の魅力を片付けてはなりません。境内には無数の石仏・石塔が点在しており、石仏・石塔好きにもぜひ訪れていただきたいスポット。

(中略)

これらの石仏群、実はかつて戦国武将・松永久秀によって築城された多聞城の城壁に使われていたものなのです。戦国の梟雄とも怖れられた松永が大和国に侵攻し、称名寺の北東に位置する眉間寺山(現在の若草中学校)に多聞城を築きはじめたのは、永禄3年(1560)のこと。築城に際して、近郷近在から石材がかき集められ、そのなかにはたくさんの石仏もふくまれていました。多聞城は松永の勢力衰退にともなって破却されますが、破却から約百年後の貞享年間(1684-1688)、称名寺の観阿上人が城跡付近に散乱していたこれらの石仏を境内に集め、合祀したのが「千体地蔵」のはじまりであるといわれています。

(Travel.jp たびねすウェブサイト「奈良の称名寺」より)

山門から本堂など

                      

覆い屋の大きな石仏4体

      

五輪塔群

  

歯痛地蔵と腰痛地蔵

    

この2体のお地蔵さんはお腹の病気によいそうで、境内で会った近所のおばあさんが毎日お参りしているといっていた。多数の石仏・石塔の由来はご存じなかった。

 

善光寺型阿弥陀三尊、子安地蔵など

   

千体地蔵、実際には約1900体に及び、高さ約50cmの地蔵箱石仏が大半を占める。

                                            

歴代上人のお墓

 

参考資料

「奈良の景色」写真・雑記ウェブサイト

愛しきものたちウェブサイト


Mar.2010 撮影:高橋久美子

もともとは興福寺の別院で興北院と呼ばれていました。

称名寺という名称は、文永2年(1265)興福寺の僧、專英と琳英、京都西山三鈷寺の澄忍上人の三僧が、念仏の道場として開した時に始まります。

茶道の始祖とうたわれ、同寺の僧でもあった村田珠光は「独盧庵(どくろあん)」(俗称珠光庵)を建て“陀び茶”の境地を開いたといわれ、珠光ゆかりの寺として今も多くの人が訪れています。

(奈良観光協会HPより)

                                            

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