奈良県奈良市 唐招提寺
Toshodaiji,Nara city,Nara
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奈良市五条町13-46 唐招提寺金堂 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺 旧鴟尾2個、旧部材22枚 18971228 19510609
奈良市五条町13-46 唐招提寺経蔵 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺 19040218 19531114
奈良市五条町13-46 唐招提寺鼓楼 国宝 近世以前/寺院 鎌倉前期 仁治元(1240) 桁行三間、梁間二間、楼造、入母屋造、本瓦葺 厨子1基 19000407 19531114
奈良市五条町13-46 唐招提寺講堂 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 蟇股4個、高座1対 18981228 19521122
奈良市五条町13-46 唐招提寺宝蔵 国宝 近世以前/寺院 奈良 奈良 桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺 19040218 19590627
奈良市五条町13-46 唐招提寺礼堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 建仁2(1202) 桁行十九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 19040218
奈良市五条町13-46 旧一乗院 宸殿 重文 近世以前/住宅 江戸前期 慶安2(1649) 桁行23.0m、梁間15.1m、一重、入母屋造、銅板葺 19620409
奈良市五条町13-46 旧一乗院 殿上及び玄関 重文 近世以前/住宅 江戸前期 慶安2(1649) 殿上、公所、十二畳、玄関及び玄関土間より成る、一重、南面及び北面入母屋造、東面入母屋造、軒唐破風付、銅板葺 19620409
July 2,2020 大野木康夫 source
movie
薬師寺からの道
南大門
伽藍の維持のため、拝観料が1人1,000円になっていました。
金堂
部分撮影
金堂右手の風景
鼓楼
部分撮影
講堂
部分撮影
金堂と講堂の間の風景
礼堂
部分撮影
開山堂
御影堂は修理中(令和4(2022)年3月まで)
殿上及び玄関
宝蔵及び経蔵
宝蔵
部分撮影
経蔵
部分撮影
June 30, 2019 野崎順次 source movie
雨の日には鑑真廟前庭の苔が輝くばかりに美しいと聞いていたので、行ってみた。
パンフレット、アプローチ、境内
鑑真和上御廟の前庭
Edited Movie Download (YouTube)
金堂
戒壇
鐘楼
講堂
鼓楼、礼堂、東室
経蔵 宝蔵
御影堂(旧一乗院)
開山堂
御廟
奈良県奈良市
唐招提寺
子供のころから何度も来ているので、あまり意識しないが、唐招提寺には最高級の建物、仏像、そして佇まいが揃っている。今回の動画静止画撮影は、12−24mmの超広角ズームレンズを多用する試みである。
アプローチ、近鉄西ノ京駅から、薬師寺を無視して振り切るように北へ歩く路が良い。
パンフレットと南大門
金堂
講堂
鼓楼、礼堂、東室
宝蔵、経蔵
梵鐘
戒壇から境内北へ
鑑真和上御廟
南大門付近
金堂
礼堂
鼓楼
講堂
経蔵
宝蔵
戒壇
御影堂(旧一乗院)
奈良県奈良市五条町13−46
律宗総本山 唐招提寺
(Toshodaiji Temple, Nara City, Nara Pref.)
この夏、再び、唐招提寺に来た。前回(2週間前)は小雨だったが、今回は猛暑で晴天。数日前に朝日新聞で新宝殿の仏像群の紹介記事を読んだので、じっくり見ようと来たが、あいにく、8月末まで休館中だった。そこで、ひと気のない金堂、蓮の花、戒壇から御廟に至る裏道など撮影した。御廟の苔は雨の日のほうが鮮やかであると聞いた。前回(小雨)は御廟を割愛したので残念。
アプローチ
国宝 金堂 奈良時代、寄棟造、本瓦葺
何となく大修理前のほうが厳かだった気がする。年を取って感覚が鈍くなったのか。
国宝 講堂 奈良時代、入母屋造、本瓦葺
国宝 鼓楼 鎌倉 仁治元年(1240)、楼造り、入母屋造り、本瓦葺
鐘楼から戒壇へ
戒壇と蓮池
蓮池沿いに奥に向かい、本坊の蓮を見てから、落ち着いた裏道を進む。
開山堂
御影堂(国重文)を過ぎて、さらに
鑑真大和上御廟前の苔庭
御廟を廻る。
滄海と売店前の蓮の花
June 23, 2013 野崎順次 source movie
奈良県奈良市五条町13−46
律宗総本山 唐招提寺
(Toshodaiji Temple, Nara City, Nara Pref.)
アプローチ
パンフレット、現地案内図など
南大門
国宝 金堂 奈良時代、寄棟造、本瓦葺
国宝 経蔵 奈良、校倉、寄棟造り、本瓦葺
国宝 宝蔵 奈良、校倉、寄棟造り、本瓦葺
重文 礼堂 鎌倉、木造、入母屋造り、本瓦葺
国宝 鼓楼 鎌倉 仁治元年(1240)、楼造り、入母屋造り、本瓦葺
国宝 講堂 奈良時代、入母屋造、本瓦葺
その他境内
帰途
参考資料
唐招提寺HP
奈良市五条町13−46
宗派:律宗総本山
本尊:盧舎那仏坐像
開基:鑑真
唐の高僧、鑑真が何度も渡航に失敗を重ねた末に来日したのち、759(天平宝字3)年に律宗の道場として創建した寺。
天平様式で再興の南大門、天平建築の金堂、平城宮建築の遺構である講堂、校倉造りの経蔵と宝蔵等々の伽藍が整然と建ち並ぶ。
鑑真和上像を始め、本尊盧舎那仏像、先手観音立像、如来形立像等の天平彫刻の秀作が多い。世界遺産である。
境内配置略図
南大門付近
松並木と土塀にみちびかれて南大門に至る。
1960(昭和35)年に再興された唐招提寺の正門。天平様式で再興されている。
入り口に向かって左側の並び
入口に向かって右側の並び
正面
勅額
現在掲げられている「勅額」は複製で、孝謙天皇の宸筆である。実物は講堂内で拝見できる。女性と思えないほど力強い行書体である。
(唐招提寺発行「天平の甍 唐招提寺」から引用)
組物
角飛檐垂木、丸地垂木、蟇股、三棟造が見られる。短い角飛檐垂木と長い丸地垂木は古代寺院の特徴である。
世界文化遺産記念碑
1998(平成10)年「古都奈良の文化財」として世界文化遺産に登録されたのは、唐招提寺を始め、東大寺、興福寺、春日大社
春日大社原生林、元興寺、薬師寺、平城宮跡の8カ所
寺務所と弁天社
砂利を敷き詰めた参道の先に金堂があらわれる。
金堂
国宝
天平金堂唯一の遺構。堂々として端整。緩やかな屋根
『 おほてらの まろきはしらの つきかげを つちにふみつつ ものをこそおもへ 』合津 八一
天平時代の法要は堂の前庭で行う庭儀であり、金堂は聖なる「大型仏壇」という閉鎖空間だった。金堂前の吹き放しは新しい構造の礼堂で
広い扉口、連子窓により堂内は明るくなっており、直接尊像と目を合わして拝むことが出来るよう設計されたとされる。
金堂列柱
南1間通しの吹放ちの円柱列に天平建築の特徴を感じる。円柱の中央部に施されたわずかなふくらみ(エンタシス)がある。
柱間は、中央間の幅が一番広く等間であるが、外側に近づくにつれて狭くなっている。これは金堂を大きく見せる工夫とされる。
天井や軒組及び組物
金堂の垂木の伐採年代が781年と判明したので、金堂の造立はそれ以後となる。
列柱の奥、中央の5間に両開きの板扉があり、両端には連子窓。白壁がなく、扉と連子窓だけで、大型の扉口が明るい雰囲気を保つ。
現在の天平の金堂鴟尾と平成大修理以前のもの
西鴟尾(天平時代)、東鴟尾(鎌倉時代)
西鴟尾(平成時代)、東鴟尾(平成時代)
講堂
国宝
宮廷から平城宮の朝集殿を賜り移築したもの。現存する唯一の天平期宮殿建築の遺構。(唐招提寺発行「天平の甍 唐招提寺」から引用)
朝集殿とは儀式に出席する貴人が着替えたり待機する場合に利用された建築で扉もなく簡素なものだった。
鑑真がここで弟子たちに講義を行った。
移築の際に、仏堂に適するように改変、屋根も入母屋造から切妻造に改造された。
鎌倉時代の改変で地垂木、飛檐垂木ともに角垂木となりしかも飛檐垂木が長くなっている。
金堂と違い三面、僧坊とのつながりが重要で、僧坊への三か所の出入り口があった。
鎌倉時代に13尺の等間の柱間が11.4尺に縮滅されている。
堂内の組物
鬼瓦
鼓楼
国宝
「鼓楼」は境内唯一の2階建て建物。創建当時は「鐘楼」に対峙する「経楼」であったが、鎌倉時代に経楼の跡地に鼓楼が建築された。
校倉造の経蔵があったので経楼と或いは2階建ての建物だったので経楼と呼称されたとされる。「太鼓」を置いた形跡はない。
2階は経蔵として使われたので盲連子窓で、1階は舎利が祀られているので通常の連子窓となっている。
普通、廻縁と高欄は2階だけなのに、1階にも設けてあるのは1階が仏舎利を安置した重要な処だったからとされる。
鑑真和上が持参された「仏舎利」が安置されたので「舎利殿」とも呼ばれた。東側にある建物を「礼堂」と言うのは舎利殿に対してで、礼堂から拝むため。
出入口が設けてある。
「舎利」を安置した1階部分は普通の連子窓となっている。2階部分は「連子子」が隙間なく詰まった「盲連子窓」となっている。
鐘楼
国宝
創建当時は「楼造」で二階建ての建物とされる。現在は四本柱のシンプルな構造となっている。東の鐘楼、西の経楼で配置としては法隆寺とは逆。
礼堂東室(らいどうひがしむろ)
重要文化財
鼓楼の東にある細長い建物で、鎌倉時代に建てられた三面僧房東室の遺構。
南北に長い桁行19間の僧房を分割して、10間を北の東室、8間を南の札堂に転用している。その間の一間は馬道(めどう)と呼ばれる通路である。
礼堂
南半分で貞慶が再建した。札堂とは鼓楼を礼拝する所からきた名称である。
馬道
礼堂と東室の間の1間が馬道(めどう)で字の如く馬が通る通路のこと。馬とはあまり関係がない寺院では、細長い建物の途中を横切る通路のことを
馬道といわれるようになったとされる。東側と南側に向拝を設けてある。低く作られた切目縁はベンチ代りである。
東室
経蔵
国宝
唐招提寺創建以前に存在した新田部新王邸の唯一の遺産とされ、校倉造では正倉院よりも古い日本最古の貴重な建築である。
経典が納められていた。
宝蔵
国宝
創建当時に建築されたもの。礼堂東室の東に2棟の校倉造の倉庫が建つ。北側にあるのが宝蔵、、経蔵より後に建てられたとされる。
鑑真和上が持ってこられた仏舎利が祀られていたという重要な建物である。
校倉造
校木(あぜき)の積み重ね構造で出来ており、校木が収縮して、隙間ができ湿度調整がされると言われてきたが、屋根の重みを支える柱がないため
校木にもろに屋根の荷重がかかり常に校木同志は密着していたという考えもある。
校木は面取りしたもので三角形ではなく六角形。「鼠返し(青矢印)」は日本古来建築にも見られ、周囲の台輪の外側を下向けに
折られており、古代の高床式倉庫に食料を保存した場合鼠が柱を伝って上がってくるのを防ぐことから鼠返しと呼ばれました。
また、水きりのためでもある。新田部親王邸時代は米倉として使用されていた。
戒壇南側の塀と門を見やりながら本坊を目指す。
この参道周辺からは、萩、ツユジ、紅葉、ショウブ等が季節毎に花を開き、魅力一杯の光景を展開する。
本坊前の醍醐井戸
境内の西北の隅に八角形の形をした古い井戸がある。この井戸は、鑑真がお寺を建てた当初に掘ったと言われていて、“ 最上の味”の水で
あることから「醍醐井戸」と呼ばれた。
井戸の前に立派な礎石があるが、これが何の礎石なのかは不明とのこと。春には白藤棚が目を楽しませてくれる。樹齢を感じさせる古木である。
本坊
本坊には、鑑真和上請来の唐招提寺蓮、インドのネール首相が薬師寺の橋本凝胤師へ贈ったネール蓮、古代蓮として知られる大賀蓮など約50種80鉢が玄関前におかれる。7月一杯楽しめる。
本坊前の古い築地塀に沿って東に進むと左手には地蔵堂、右手には開山堂 開山堂は改修中。地蔵堂は、8月23〜24日の両日のみ特別公開される。
土塀に沿って歩くと左側に御影堂(みえいどう)がある。
旧一乗院殿上及び玄関と御影堂(旧一乗院宸殿)御影堂は屋根しか見えない。
御影堂は「興福寺旧一乗院門跡の宸殿」が初代の奈良県庁、裁判所としての流用を経て唐招提寺に移築された。頑丈な土塀で囲まれている。
こけら葺から銅板葺に変わっている。「鑑真和上坐像」が安置されているので「御影堂」という。
1981(昭和56)年に日本画家東山東夷が奉献した鑑真和上像厨子扉絵、全障壁画が飾られている。
唐招提寺発行「天平の甍 唐招提寺」から引用
鑑真和上御廟
頑丈な土壁に囲まれた閑静な清域。御廟は御影堂の東に隣接する林の中にあって、小道の両側にはコケの絨毯が敷かれてある。
763(天平宝字7)年に77歳で入寂された。
スギヤカエデに囲まれて宝筺印塔が建っている。境内のもっとも奥まったところにあり、荘厳な佇まいの世界である。
御廟を出てまっすぐに延びる道を進むと案内板がある。
新宝殿
国宝や重文の仏像、絵画、経典等200点余りを保存収蔵している。中でも天平時代の如意来形立像は必見とされる。
新宝殿から、伽藍の並ぶ境内の方向へと戻る。途中に池がある。
滄海
宝蔵の手前にある鑑真和上渡日の逸話、滄海淼漫(そうかいびょうまん=青海原が果てしなく広がっている)にちなんだ滄海という美しい池。
紅葉と池に映る木々が木漏れ日の中に美しいとされる。
戒壇
金堂の西にあって、鑑真和上に由来する三師七証によって僧の受戒の儀式が執り行われる神聖な場所。
「戒壇」とは3段の壇で形成されているからと言われる。古都奈良で戒壇が存在したのは「東大寺」とここだけである。
戒壇は創建時からあったものとする説と、鎌倉時代の1284(弘安7)年に初めて造られたとする説とがある。
江戸時代に、廃れていた戒壇を将軍綱吉の母「桂昌院」が錺(かざり)金具や荘厳具など絢爛豪華な装飾を施された建築に再建されたが
それらの金物が盗難に遭い、その上犯人による証拠隠滅を図るための放火で焼失した。
この時石造の戒壇の回りに門と土塀が復興され、さらに1978(昭和53)年最上段の中央に石造のストウーバが築かれて
現在の姿になった。基壇の大きさは15.8m四方、この寺にとっては特に重要な施設である。
鑑真和上の「和上」と言う呼称
聖武上皇は「今後、授戒伝律は一に和上にまかす」との詔を出されており、当初からか、「唐律招提(唐招提寺)」に入られる頃からかは分からないが
鑑真和上が一般的に使われている。
参考資料
「大和名所図絵」の唐招提寺関連
奈良の名所案内記は、江戸時代を通して様々な趣向で刊行された。大和名所図会は、1791(寛政3)年の出版された。
著者は秋里籬島、絵師は竹原春朝斎
鑑真が乗った遣唐使船
『鑑真和尚、遣唐使船にて来朝したまふ時、竜神仏舎利を望み鹿場、即ち与え風波を鎮めたまふ』とある。6回目の渡航であった。
仏舎利とは釈迦の遺骨で、仏教者にとっては至宝である。仏法を唱える旅のため手放しも惜しくないと、海に投げ入れ静めた。
俯瞰図
戒壇院は桂昌院の寄進で1696(元禄9)に建立されたもの。之も後に焼失した。
金堂について『今一千二十余年に至るまで炎上の災なし。一度も作りかへず』と記している。大きくゆったりとした瓦屋根
どっしりと量感のある円柱などに、古代寺院の帯伸びとした美しさが感じられる。
『古代の伽藍にして世に類ひなき梵刹なり』と最大級の賛辞を加えている。
2012.1.26撮影
冬の晴れた日、唐招提寺を訪れました。
金堂(国宝)
奈良時代の建築
桁行七間、梁間四間、一重、寄棟造、本瓦葺
奈良に現存する仏堂建築で一番好きな建物です。
均整がとれていて、どこから見ても美しいと思います。
この日は、防火訓練が行われていました。
講堂(国宝)
奈良時代の建築
桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
鼓楼(国宝)
仁治元(1240)年の建築
桁行三間、梁間二間、楼造、入母屋造、本瓦葺
礼堂(重要文化財)
建仁2(1202)年の建築
桁行十九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺
礼堂の東に宝蔵と経蔵が並んでいます。
南側が経蔵、北側が宝蔵です。
宝蔵の方がやや大きく見えます。
経蔵(国宝)
奈良時代の建築
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
宝蔵(国宝)
奈良時代の建築
桁行三間、梁間三間、校倉、寄棟造、本瓦葺
宝蔵、礼堂の間の道を北に向かうと、旧一乗院の建物を移築した御影堂の塀に突き当たります。
御影堂は毎年6月6日の鑑真和上の御命日前後に公開されます。
旧一乗院殿上及び玄関(重要文化財)
慶安2(1649)年の建築
殿上、公所、十二畳、玄関及び玄関土間より成る、
一重、南面及び北面入母屋造、東面入母屋造、軒唐破風付、銅板葺
興福寺別当一乗院の建物で、裁判所などに使用された後、唐招提寺に移築されました。
旧一乗院宸殿(重要文化財)
慶安2(1649)年の建築
桁行23.0m、梁間15.1m、一重、入母屋造、銅板葺
現在は御影堂として、鑑真和上坐像が安置されています。
新宝蔵
奈良県奈良市五条町13-46
律宗総本山
唐招提寺
(Toshodaiji Temple, Nara, Nara)
撮影日: 2009年10月17日
唐招提寺(とうしょうだいじ)は鑑真ゆかりの寺院、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
本尊は廬舎那仏、開基(創立者)は鑑真です。『続日本紀』等によれば、唐招提寺は唐僧・鑑真が天平宝字3年(759年)、新田部親王(にいたべしんのう、天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としました。
現在、境内は国の史跡に指定されています。
また、金堂の平成の大修理が2000年より始まり、2009年11月3日に落慶法要が行われます。
本撮影はその17日前です。写真説明は基本的に本寺HPを参考にしました。
アプローチ。近鉄西ノ京駅を降りてひなびた街並みを北に数百m歩きます。
突き当たりが唐招提寺の土塀で、右(東)に曲がると南大門です。
唐招提寺を訪れた人がまず目にする建造物。
昭和35年(1960)に天平様式で再建されたもので、五間の中央に三扉とする、切妻造りの建物です。
現在掲げられている扁額は複製で、実物は講堂内に収蔵しております。
国宝 金堂: 奈良時代(8世紀後半)、寄棟造・本瓦葺
南大門をくぐった正面にその荘厳な姿を見せる金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す代表的な建築物です。
外観は、正面間口七間(中央間は約4.7m、両端へは次第に狭くなり、3.3m)、奥行き四間の寄棟造で、前面一間通りが吹き放ち、軒を支える組み物は三手先(みてさき)と呼ばれる形式で、その建立年代を示しています。
屋根西側の鴟尾(しび)は、創建当初のものですが、今回の修理を機に平成の鴟尾に代えられることが決まっています。
堂内は、連子窓から取り入れられた柔らかな光に満たされ、中央に本尊・盧舎那仏坐像、右に薬師如来立像、左に千手観音立像(いずれも国宝)が並ぶ姿は、天平時代を彷彿させる厳かな雰囲気に包まれています。
国宝 講堂: 奈良時代(8世紀後半)、入母屋造・本瓦葺
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。
内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。
鐘楼。
国宝 鼓楼: 鎌倉時代 仁治元年(1240)、楼造・入母屋造・本瓦葺
金堂・講堂の中間の東側に建つ、2階建ての建築物です。
名称は「鼓楼」ですが、現在は鑑真和上将来の仏舎利を奉安しているため、「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
外観は、上下階とも扉と連子窓(れんじまど)で構成され、縁と高欄が取り付けられています。堂内の厨子には、仏舎利を収めた国宝の金亀舎利塔(きんきしゃりとう)が安置されています。
重要文化財 礼堂: 鎌倉時代 木造 入母屋造・本瓦葺
鼓楼の東に位置する南北19間の細長い建物の南側8間が礼堂、北側10間が東室、その間の1間は、馬道(めどう)と呼ばれる通路になっています。
講堂を挟んだ西側にも同様の建物があり、僧房として使われていました。
礼堂は、隣の鼓楼に安置された仏舎利を礼拝するための堂で、内部に釈迦如来立像(重文)・日供舎利塔を安置しています。
国宝 経蔵: 奈良時代(8世紀)、校倉・寄棟造・本瓦葺
礼堂の東側に宝蔵とともに並んで建つ高床式の校倉(あぜくら)で、小さいほうが経蔵です。
唐招提寺創建以前の新田部親王邸の米倉を改造したものといわれ、唐招提寺で最も古い建造物であり、日本最古の校倉です。
国宝 宝蔵: 奈良時代(8世紀) 校倉・寄棟造・本瓦葺
経蔵とともに並んで建つ校倉で、北側の蔵です。
唐招提寺創建にあわせて建立されたといわれ、経蔵より一回り大きいその堂々たる姿は、校倉の典型といえます。
本願殿(旧開山堂)。
国宝の鑑真和上像はもとはここに安置されていた。現在は聖武天皇を祀る。
戒壇: 石段のみ鎌倉時代
金堂の西側にある戒壇は、僧となるための授戒が行われる場所です。
創建時に築かれたとされていますが、中世に廃され、その後再興されたものの火災により建物は失われました。
現在は、3段の石壇のみが残り、その上に昭和53年(1980)にインド・サンチーの古塔を模した宝塔が壇上に置かれた。
境内の北側の道を東に、本坊、中興堂、地蔵堂の前を通り、
重要文化財 御影堂(旧一乗院 宸殿 殿上及び玄関
境内の北側に位置する土塀に囲まれ、ひっそりとした瀟洒な建物。
元は、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元したものです。
現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められています。
開山御廟:
境内の北東の奥まった静かな場所に位置する鑑真和上の墓所。同時期の高僧の中では唯一、1250年の永きに亘って、参拝する人が途絶えません。
現在は御廟前に和上の故郷・揚州から贈られた瓊花が植えられ、初夏にその可憐な花を咲かせます。
緑の苔に見とれていたら、日が暮れてきた。
(写真説明は基本的に本寺HPを参考にしました。)
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