奈良県奈良市 都祁の石造物
(Stone Monuments at Tsuge, Nara City, Nara Pref.)
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街道沿いに残る多様な石造物、霊石 | |
Nature |
都祁野岳を中心とするのどかな景観 | |
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February 14 and 23, 2021 野崎順次
奈良県奈良市
都祁高原の石造物めぐり
興善寺 source
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都祁白石町2518
本堂裏に登ると、室町時代の石造物が多く見られる。
地蔵石仏、六字名号板碑、阿弥陀石仏が並んでいる。
六字名号板碑(室町時代後期、花崗岩、高さ 135Cm)
前面は地蔵石仏。中央の六字名号板碑には天文二十一年(1552)の刻銘がある。板碑の上部に地蔵と阿弥陀の坐像を刻む
阿弥陀石仏
像の左右に「康実上人 天文廿一年(1552)七月十八日」の刻銘がある
その他
街道を西に歩く。
歓楽寺
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都祁南之庄町1124
南之庄の集落があり、街道から少し南に坂道を登った所に歓楽寺がある。薬師如来を本尊とする真言宗の寺院。本堂の前庭覆堂内に三体の地蔵石仏が立っており、中央の地蔵に鎌倉後期の元亨二年(1322)の造立銘があり、都祁地区最古の石仏。豫高80cm、温厚で美しい面相、なで肩ですらりとした六頭身半の姿もよく整って、長い杖の錫杖を体の前から斜めに持っている。
(清水俊明「関西石仏めぐり、1997」より)
六字名号板碑(室町時代末期 元亀二年 1571年、花崗岩、高さ
140cm)
釈迦三尊種子板碑(室町時代末期 元亀三年、花崗岩、高さ118cm)
その他
近くの路傍に何気なく磐座があった。
南に歩く。丘陵を越えて、都祁山口神社の近くに地蔵堂があった。
北へ戻り、小治田安萬侶墓の近くの國津神社を訪ねてみた。付近には同名の神社が2座あるが、ここが一番小さい。
國津神社 都祁甲岡町 352
本殿の狛犬が実に素朴で可愛い。近くの都祁水分神社には有名な鎌倉後期の狛犬があり、素朴さが似ている。
小さな祠があり、この霊石を祀っている。
正面に都祁野岳が見え、のどかな都祁高原が見渡せる。
来迎寺 source
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来迎寺町 126
国重文 宝塔 鎌倉時代後期 高224cm 花崗岩
五輪塔群の向って右端に宝塔が立っている。基礎は装飾なく、正面に銘文を刻む。塔身軸部は四方に建築工芸的な細密さで桟唐戸を刻出する。これほどまでにしたのは類が少ないが、大和系宝塔の地方色である。首部は一段の低い段形をつけた上に設け、勾欄を刻出する。笠は鎌倉後期様式の軒反りを見せ、軒裏に二重の垂木型と、中心に首部をうける円座を設ける。屋根四隅の降棟は稚子棟を作り、上部の露盤は側面を二区にして、格狭間を入れる。相輪まで完備する見事な作品である。基礎の銘文は「延慶三年(1310)庚戌四月上旬、拍手、造立畢矣」と達筆の草書で刻む。寺蔵の建武四年(1337)古文書に、如法経安置のための多宝之石塔であると記している。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998」より)
五輪塔群 鎌倉時代後期-室町時代 高 (最大)
249cm 花崗岩
寺の背後におよそ三列に並べられた五輪塔は総数120基ばかりあり、その内南北朝までのものが約20基ある。多田満仲の供養塔と伝えるのが奥の方にあり、最大のもので鎌倉後期の無銘塔である。建武四年(1327)の来迎寺の記録によると、この辺はもと荒野で、平安後期永久二年(1114)ごろから庶民の墓所として塚原になっていたが、鎌倉時代建保二年(1214)多田満仲の後裔源経実が一族をひきいてこの地方に在住し、その多田氏の墓塔も数々営まれ、近世完全なものを来迎寺背後に集めたもののようである。観応二年(1351)、正平七年(1352)、延文六年(1361)、貞治三年(1364)、同四年などが南北朝時代の在銘塔である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998」より)
来迎寺参道横に立派な休憩所がある。都祁高原を散策するハイカー用らしい。冬は閉まっている。
来迎寺バス停で榛原駅行きのバスを待った。周囲の自然を撮影する。
榛原駅前で絶品のラーメンに出会った。チャーシューがトロトロでうまかった。
参考資料
河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイト
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