奈良県王寺町 永福寺
(Eifukuji Temple, Oji-cho, Kitakatsuragi-gun, Nara Pref.)
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本堂は文化財指定候補、本尊は平安後期定朝風 |
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November 26, 2017 野崎順次 source movie
奈良県北葛城郡王寺町畠田7-1443
来迎山 永福寺
(Eifukuji Temple, Oji-cho, Kitakatsuragi-gun, Nara Pref.)
来迎山と号する浄土宗の寺院です。行基によって開かれ、途絶えていた寺院を、江戸時代前期に正波という僧が中興したと伝えられています。峯心(正波)坐像の底面には、彼によって寺が再建され、彼は寛文10年(1670)に死去したことが刻銘されています。本堂は18世紀初期の建立と考えられます。本堂の南側に位置する観音堂は、東北隅の鬼瓦に貞享5年(1688)に畠田の瓦師・市右衛門が作成したという刻銘があることなどから、17世紀後期の建立と考えられます。
本堂の本尊である釈迦如来像は寄木造で、穏やかな顔つきやゆるやかな肉取りなどが12世紀半ばまで流行した定朝様式を表しており、平安時代後期の制作と考えられます。一木造の地蔵菩薩像は釈迦如来像よりも古く、10世紀前半の制作と考えられます。境内には平安時代後期以前の建立と考えられる高さ3メートル、凝灰岩製の7重の層塔があり、元禄8年(1695)に画僧の古?によって描かれた仏涅槃図の大幅も蔵されています。
(王寺町ウェブサイトより)
畠田の集落を西へ谷を詰めると、高台に永福寺がある。階段を上ると山門である。約30年前に裏山が開発されて住宅地が造成されたので、そちら側にも入り口がある。
鐘楼と庭園
鷹ケ峯観音堂(江戸前期)と本堂(江戸前期)
本堂の前の松香石七重塔(鎌倉?)
境内全景と庫裡
玄関
本堂と本尊釈迦如来像(平安後期)
ご住職知恩院御忌唱導師写真(平成十八年)
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