奈良県天川村 大峯
Omine,Tenkawa village,Nara
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吉野郡天川村洞川大峯山頂 大峰山寺本堂 重文 近世以前/寺院 江戸中期 "元禄4(1691)(内陣)宝永3(1706)(外陣)" 桁行八間、梁間八間、一重、寄棟造、銅瓦及び銅板葺 銘札2枚、寄進札51枚、旧銅丸瓦26枚、旧銅丸瓦10枚、棟札6枚、扁額19枚、棟札5枚 19730602
大峯山寺(おおみねさんじ)
奈良県吉野郡天川村洞川 大峯山山上ケ岳頂上
本尊:金剛蔵王大権現
山上ケ岳の山頂1719mにある大峯山寺は、約1350年前、修験道な開祖役行者(えんのぎょうじゃ)によって開かれた。
本 堂:国重要文化財:建造物:指定 1970・06・02
梵 鐘:国重要文化財:工芸 :指定 1970・06・02
出土品:国重要文化財:工芸 :指定 1991・06・21 正式名:奈良県大峯山頂遺跡出土品
境 内:国史跡 :指定 2002・ 正式名:大峯山境内
奥駈道:国史跡 :指定 2002 正式名:大峯山奥駈道(おくかけみち)
大峯山寺まで一緒に登っているつもりで道中を紹介しながらすすめます。どんどん飛ばして前へ歩いて頂いて結構です。
8/27、栗東をAm4:00にバスでスタートし、7:00前に洞川(どろかわ)に到着、馴染みの店で朝食を取り7:45登山開始となった。
天川洞川
洞川(どろかわ)は奈良盆地からは遠く山嶺に隔てられ、標高約700mと孤立した里である。
聖地である山上ケ岳への登山口となって、往古より修験道に深くかかわってきた。
古くは藤原道長や行基、空海なども訪れたとされる。
洞川の里は山が迫り耕地は無いに等しい。
川並に密集して旅館・土産店や飲食店が軒を並べる。
信者や観光客や林間学校の生徒など年間の来客は数十万人といわれるが、山上ケ岳の山開きから、戸閉めまでの夏場に集中する。
みやげは[陀羅尼助]である。
昭和55年(1980)に温泉が開発されて登山客が増えたとのこと。
陀羅尼助(だらにすけ)
洞川の名物で最大手の産業。落葉広葉樹のキハダの皮を主原料とした和漢薬で、役行者の発明とされる。
胃腸薬以外に、打撲やリューマチなどの鎮痛に珍重された。
最近は工場で生産され、昔ながらの大峯講登拝者や観光客のお土産である。
大峯山の開山
大峯山寺は戸開け、すなわち山上ケ岳の山開き(5月3日未明)から戸閉め(9月22日)の間登頂できる。式はいずれも朝2時開始である。
戸明け式の行なわれる5月3日頃はまだまだ寒さが厳しいといわれる。大変重厚で荘厳な式典であるとのこと。
登山ルート
山頂:1,719m 標高差:約1,000m 距離:約8km
登山口―大峯大橋 (発心門(ほっしんもん))
山上川に掛かった大峯大橋をわたり、発心門をくぐると何だか緊張がはしる。
普段の登山とは違う心構えとなる。道の両側には記念塔や供養塔がずらりと並び雰囲気が異なる。
供養塔には「・・・講」の文字がやたらと書かれ目に入る。
この門はこの地より大峯山に修行参拝される信者の方々が発心する門として「役行者千三百年御遠忌」を記念して建立された。
結界門
門には「女人結界門」と刻まれており、また横に立つ石碑には「従是不許入女人」と刻まれてある。
これより先は女性の入山を禁止する「女人禁制」の山である。
登山道
道幅は1.5m程度である。山道、砂利道、擬木の階段、石道など様々である。
杉の手入れがよく施されていて、すくすく育っている感じである。さすが「吉野杉」! 時折聞こえる法螺貝の音がたまらない。
一本茶屋
杉林の中に建つ。トタン葺きの粗末な建物で道が真ん中を通っている。
江戸時代は通行料を取ったとのこと。疲れ始めた者には一休みに丁度いい距離にあった。
お助け水
暗い杉林を抜けて、見晴らしのいい雑木林となった。山々の青葉が日陰をつくってくれる。
行き交う参拝者たちは行者装束をつけた人もいるが、殆どが登山服のリュック持ちである。
健脚の人には先に行ってもらいマイペースで登って行く。
少し足が重くなりかけたところに役行者の「お助け水」がある。
水を飲んだり汗をぬぐったりして休む。水は今も滲み出ている。
洞辻茶屋
吉野山からの登山道との出会いの場所で、江戸時代からも最も知られていた茶屋だ。奥駈道への分岐点でもある。
ここの茶屋には、飲み物・その他が販売されている。8人乗りトロッコを稼動させる工事が行なわれていた。
登山道―油こぼし
道は緩やかな上りとなる。いよいよ油コボシから鐘掛岩へと続き険しい岩場にさしかかることになる。
ここからが行場になる。油をこぼしたように滑りやすいことから名が付いた。長い木の階段が続く。
鐘掛岩
20mほどの岩を登って行く行場です。チエーンを頼りに登る。
亀岩
役行者が石の上で座禅修行をしたと伝わる。聖地のため柵を設けて立ち入り禁止だ。雑草で亀石が見えなかった。
西の覗き
西の覗行(ぎょう)といって、断崖絶壁から綱で吊るされ、いわゆる懺悔をさせられるところである。日本三大荒行の一つとして有名。
一本の綱だけを頼りに、その綱も他人に託しての捨身行であった。
今は岩に打ち込まれた鋼鉄製のクサリを持って行なうが、危険が伴うため勝手には出来ない。
360度のパノラマである。洞川の里も小さく見える。とても覗きの行をする気になれなかった。
宿坊 (東南院)
やっとの思いで到着した。ここで休憩をとる。
お茶が美味しい。山の水は冷たく、顔を浸すと疲れも飛んで元気がでてくる。
各護持寺院でも発行する大峯山寺の御朱印を申し込む。
宿坊は、東南院のほかに、喜蔵院(吉野山)・櫻本坊・竹林院がある。東南院を出ると続いて建つ。
いずれも相当の年数を経過したと思わせる門構えの建物である。
等覚門、妙覚門
道の両脇に沢山の供養塔が立っている。「大峯・・・度供養」などとして、名前や出身地を記したもの、木塔や石塔もある。
「五十度」中には「百八度満願達成」もあった。大峰山に登拝した回数を表し、許可をもらって建立したもの。
全山でどれほどの数あるのか数えられない。修験者の勲章であり、死後も名を残したい願望か。だが歳月が消しさることになる。
最後の苦しみが待っている。等覚門は人それぞれがこの門まで来て悟りを開き、下界とは違った感慨に耽けて通る門とのこと。
岩場~石段が並んで待ち構えている。もうすぐだとの思いが余計に足を重くする。残りの力を振り絞り境内まで歩を進めた。
大峰山寺境内
境内は、青空の下、ぽっかりとひろ~い空間が待ち受けていた。
飾り気は何もない。この広場が修行者をしびれさせる舞台である。
どっしりと構えた本堂に吸い込まれそうになる。1719mの空気は格別であった。
戸開け式、戸閉め式の当日は、ロウソウの明かりのもと、鍵渡し式が緊張のみなぎるもとで行なわれる。大変な行事のようである。
大変な人出とのこと。初めて体験する不思議なドラマの展開であろう。
クライマックスは内陣の右奥に安置されている等身大の役行者坐像をおがむことにある。
普段は特別の許可が無いと拝めない。
僧侶が手にしたローソクの明かりにぼんやりと照らしだされる像は恐らく神秘的で鬼気迫る顔相であろう。
信者の人にとっては感極まる瞬間と想像できる。法螺貝の音が興趣を盛り上げる。
1300年余の間繰り返えされてきた行事に万感の思いが駆け巡る様が想像できる。この感激も登拝を駆立てる因の一つであろう。
国史跡とされている大峯山境内は鎌掛石辺りから含まれるようだ。山頂にはお花畑もある。
出土した二体の黄金仏は山上ケ岳歴史博物館に展示されている。まだ知らない個所も多くあるようだ。
大峯山寺本堂
国重要文化財:構造物:指定 1970:06:02
わが国で一番高所にある木造建築。
内陣には金剛蔵王権現が安置されている。
7世紀末に修験道の祖である役行者(えきのぎょうじゃ)が、苦行の末にようやく感得した蔵王権現を刻んで本尊とした。
寺のある山上ケ岳は修験道の荒行場が点在する大峯山系の最高峰で、標高1719m。
女人禁制の聖域としても知られ、毎年5月3日の戸開式から9月23日の戸閉式までの山入の期間に多くの行者が修行に励んでいる。
重要文化財に指定されている本堂は、戦国時代に一向一揆と争ってことごとく焼失し、元禄4年(1691)に再建されたもの。
本尊の蔵王権現像と役行者像が祀られている。
1985(昭和60)には本堂の解体修理中に、内陣の地下から平安時代に造られた3cm前後の純金製の阿弥陀如来坐像と菩薩坐像が出土し、「金の御岳」「金峯山(きんぷせん)」と呼ばれて信仰を集めていた当時の様子を彷彿させた。
この呼び名は、吉野山から山上ケ岳にかかる一帯のことで、金が埋っているとして信仰を集め、浄土信仰の盛んだった平安時代は貴族の間で盛んに御岳詣が行なわれた。
本尊の桜に刻んだ蔵王権現は大峯山系の麓にある吉野山の金峯山寺蔵王堂にも祀られている。
[近鉄の奈良大和路の情報サイトより引用]
約400年経過した本堂は白っぽく、いわゆる古色あふれた姿で迎えてくれた。堂内は昼間も薄暗く、様子がさっぱりわからない。
一般に参拝できる開帳仏とよばれる役行者像と、厨子の扉を固く閉ざした秘密の行者尊が祀られているとのこと。
正面は役行者像である。秘仏は別に安置してあるとのこと。梵鐘も堂内にあるとのことだが判らなかった。来年度も挑戦して確かめたいと思った。
冬場の雪は結構な量降りお堂を包む。お堂は人気もない閑寂な世界の中で来年の5月を待ちわびてお過ごしになる。
下山道
岐路は下りばかりが続く。でも擬木階段がやたらと多く油断できない。
洞辻茶屋で一服しお助け水で手を潤し、自分を誤魔化して無事大橋まで戻ってきた。
昨年度は雨で苦労した。今年は快晴と二度目のこともあって余裕で登れた。
Am7:45~pm14:00の登拝でした。昭和55年(1980)から出るようになった洞川温泉に入った後、精進落しを行い帰宅は22:00でした。
行者講について
大峯山寺は近世以降「山上まいり」や「行者まいり」の山として、畿内をはじめ日本全国にその信仰が広まった。
ご本尊は、役行者が感得された金剛蔵王権現であるが、役行者ご自身に対する人々の信仰が篤く、大峯山寺も「行者まいり」の山として有名になった。
5月3日から9月23日までの期間中は。全国各地から山伏信徒が登拝。金剛杖の鈴の音と「六根清浄」の声が全山に響き渡る。
この参拝にあたって各地で「講」が結成されている。その運用は様々のようであるが、(代参講)が多いようだ。
地元の行者講は文久3年(1863)に会合をもったという記録が残っているので、その前から発足していたのであろう。経歴が立派だ。
大峯山を崇拝されるメンバーで構成され毎年参拝をされてきた。
何十年も登拝を続けてきた人たちも高齢となって参加が難しくなり参加者が減ってきた。
特に若い人たちの参加が少なくなる傾向にあって「講」の維持が難しい局面に来ているようだ。
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