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奈良県宇陀市 宇陀松山
(Uda-Matsuyama, Uda City, Nara Pref.)


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February 4,2017 大野木康夫 movie

宇陀松山

重要伝統的建造物群保存地区

宇陀市松山は、近世初頭に城下町が建設されて以降、宇陀地方の政治・経済の中心地として発展した。
城山と宇陀川の間に南北に長く展開する平入りの町家群は江戸後期から昭和初期にかけて建てられたもので、地区内に流れるせせらぎや、遠近にみえる山々と調和して独特な景観を形成している。
(国指定文化財等データベースより)

道の駅宇陀路大宇陀から徒歩で重伝建地区へ

酒蔵通り(国道166号の南側)

                

重伝建地区の本通である国道370号を北上しながら撮影
雪がちらつく中、人通りはまばら

                                                             

宇陀松山城跡を目指す。

春日門跡

     

春日神社脇から城跡に至る山道

           

宇陀松山城跡(国指定史跡)

大和盆地南東の山間部にある中世から近世にかけての城跡。
中世に秋山氏が城を整備するが、天正13年(1585)、豊臣秀長の入部により秋山氏が退去した後、豊臣家配下の大名により大規模に改修され、城下町も大規模に整備された。
城跡は標高約470mの古城山にあり、中央に天守・本丸が東西に並び、その周囲を帯郭が囲む。
本丸には本丸御殿が確認されている。
本丸の周囲は石垣に沿って瓦葺きの多門櫓が囲む。
発掘では各種の瓦類や陶磁器類が出土しており、城内の建物や生活のようすを知ることができる。
宇陀松山城跡は高石垣と複雑な構造の虎口をもち、礎石建ち瓦葺建物を配するなど、いわゆる近世初期城郭の特徴をそなえているが、元和元年(1615))に小堀遠州により天守・本丸・帯郭の全域が破脚されており、門・櫓・御殿の解体・撤去、石垣・石段・礎石の破壊のようすが明瞭に観察される。これに関係する書状が残されており、城割りの具体的状況が把握できる希有な事例である。
また、それに先立つ秋山氏の段階の遺構も周辺で確認されており、中世から近世にかけての宇陀地方の中核的な城郭と城下のあり方を知る上で欠くことのできない重要な遺跡である。
(国指定文化財等データベースより)

南西虎口(雀門跡)付近

土木の専門家である小堀遠州の城割りの様子を観察できます。

                                               

本丸跡、天守郭跡

                                              

南東虎口(大門跡)付近

                         

帰路

         

重伝建地区に戻り撮影

             

松山西口関門(国指定史跡)

舊松山城ノ西口門ナリ
門ノ所在地域ハ桝形ヲ成シ建築ハ徳川初期ノモノト認メラル
正面ノ柱間十三尺五寸軒ノ高サ十二尺三寸両内開ニシテ左右ニ袖垣ヲ附セル
薬醫門ニ属シ舊位置ニ現存セル城下町ノ門トシテ稀觀ノモノナリ
(国指定文化財等データベースより)

                 

下町通りを南下

              



April 12/20, 2014 野崎順次 movie1 movie2

奈良県宇陀市大宇陀拾生ほか
重要伝統的建造物群保存地区

奈良県では、今井町(1993年)、宇陀松山(2006年)、五條新町(2010年)の三地区が国の重要伝統的建造物群保存地区の選定されている。(2011年11月現在全国で93地区)

ここ宇陀松山地区は、戦国時代に秋山氏が城を築き、その麓に集落をつくったのに端を発するが、1585年に豊臣系家臣が入部した際、城及び城下町の拡張整備が進められたとされる。以後、桜井・榛原と吉野を結ぶ旧伊勢街道の要所でもあった松山町は「宇陀千軒」「松山千軒」と呼ばれ、商家町として栄えた。南北に流れる宇陀川に沿った伊勢街道筋には、「松山通り」「上町通り」「下町通り」と名付けられており、江戸から明治にかけての商家やその町屋がたくさん残る。

(「くりんとのフィールドノート」ウェブサイトより)

パンフレット、現地説明板

                  

南から歩き始める。

    

芳村酒造 昭和16年

              

小さな百貨店と昔ながらのポスト

  

植村家住宅 明治33年

  

花水木など

   

久保酒造 明治42年

           

まちづくりセンター千軒舎(内藤家修精堂 明治前期頃)

                         

それから

   

大宇陀福祉会館(旧町役場 明治36年)

         

国史跡 森野旧薬園
葛粉を作り始めて11代目の藤助が享保年間に自宅の裏山に開いた「小石川植物園」と並ぶ日本最古の薬草園です。 約250種類の薬草木が四季折々に来園者の目を楽しませてくれます。薬園からは、大宇陀の町を見渡す事が出来ます。(ウェブサイトより)

建物と展示

                                                

薬園

                                  

町を見下ろす

     

林家住宅「拾生屋」江戸末期 文政十三年(1830)
陶芸家林真理さんの工房

           

森岡家住宅「紀州や」 大正末頃

        

黒川家住宅「山ノ坊屋」 江戸中期 寛政三年(1791)

          

それから

    

茶房 あゆみ家住宅 江戸後期 天保年間(1830 - 1844)

       

それから

   

郡司家住宅「更紗屋」 明治初期

             

さらに

       

好岡家住宅「油屋・小出口町吉兵衛」 明治20年代

       

それから

      

川尾家住宅 江戸末期

   

よい町並みが続く。

      

県文 山邊家住宅「山邊屋」 江戸中期 天明五年(1785)頃

       

山邊家住宅

      

宇陀市大宇陀歴史文化館「薬の館」(市文 旧細川家住宅)
唐破風付きの「天寿丸」の看板が目を引く、松山地区のシンボル。現在「薬の館」として町が管理し公開している。間口は8間半と広く、3列タイプの町家でザシキ列の屋根が一段高くなっている。北の2間半のザシキ列は増築である可能性があり、中央部を含む主体部は明治に入って大改造を行った。江戸時代末期の建築とされる。(宇陀市ウェブサイトより)

                                                                

竹田家住宅 明治後期

   

久保家住宅 右半分昭和初期改装

 

森田家住宅「諸木野屋」 江戸後期 文化五年(1808)頃

         

さらに

  

松尾家住宅 大正2年

    

霜永家住宅「内牧屋」 江戸後期頃

      

平五薬局

  

東に行くと春日神社のある四つ角

      

岡本家住宅「宇賀志屋」 江戸中期 明和四年(1767)

      

玄関にフクロウ

 

旧福田医院 大正十四年頃 外壁はドイツ壁と洗い出し

        

植田家住宅「かぎや」 江戸後期頃

             

宇陀恵毘須神社

  

左、左と回り込んで

   

国史跡 旧松山城西口門 江戸初期

     

説明板など

       

増岡家住宅「米清」 大正十三年

   

それから

        

原野家住宅(八木五) 江戸初期

       

楠田家住宅 明治後期

          

新しいが、なかなかの家

  

下竹辻の道標 江戸末期 嘉永五年(1852)、
右 はせ はい原、左 みわ さくらい

 

奈良交通バス「五十軒」停留所あたりで花など

                     





薬で栄えた街
 
Mar.2010 撮影:高橋久美子

                                                                                                                                                        






May 2004 撮影:瀧山幸伸 Preview video 500Kbps High Vision

            
   

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