奈良県桜井市 吉備池廃寺跡
(Kibiike Abandoned Temple, Sakurai City, Nara Pref.)
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当時最大の天皇の寺 |
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国史跡。
吉備池は、桜井市吉備にある江戸時代に築造された溜池ですが、その南岸には、二つの大きな土壇が向かい合 うように並んでいます。しかし、調査以前には、これらが寺院の金堂と塔にあたるとは、誰も想像さえしていませんでした。ただ、この付近では以前から瓦片が見つかっており、瓦窯跡とする見解や、地名に基づき、吉備氏の氏寺とし ての吉備寺を想定する説が提示されていました。性格についてははっきりしないものの、遺跡としては周知されていたのです。
(中略)
調査で明らかになった金堂基壇は間口37m・奥行約25m・高さ約2m、塔基壇は一辺約32m・高さ約2.8mという、当時としては破格の大きさです。とくに塔の平面規模や高さは、新羅の皇龍寺九重塔に比肩するものといえるでしょう。そうした堂塔の規模や、瓦の年代と出土状況などからみて、吉備池廃寺が、 639年に創建された「百済大寺」にあたることは確実と思われます。
(奈良文化財研究所「吉備池廃寺発掘調査報告」序文より)
まず、南から見る。堂基壇跡は左(西)、金堂基壇跡は右(東)
池の北岸から、堂基壇跡は右(西)、金堂基壇跡は左(東)
池の北西の土手に万葉歌碑が二つある。
歌碑の一つに刻まれているのは、686年10月3日、大津皇子が大逆罪の罪を得て自頚を強いられる直前に詠んだとされる辞世の歌である。
百伝(もも)伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (巻3-416)
【意味】磐余の池で鳴く鴨を見ることも今日を限りとして、私は死んでいくのであろうか
『万葉集』には、大津皇子が死罪と決められた時、磐余の池の堤で、泣く泣く作った歌である、との詞書がついている。揮毫は歌人の中河幹子。
もう一方の歌碑には、伊勢神宮の斎宮であった実の姉の大伯皇女(おおくのひめひこ)が、弟の死を悼んで詠んだ歌が刻まれている。
うつそみの 人なる我や 明日よりは 二上山を弟世(いろせ)と 我が見む (巻2-165)
【意味】この世の人である私は、明日からは(弟を埋葬した)二上山を弟と思って眺めることにしよう。
大津皇子の事件で任を解かれて都の飛鳥浄御原に戻された後の歌とされている。揮毫は日本画家の小倉遊亀。
(Panchoの新・飛鳥路巡りウェブサイトより)
池を一周して、西から堂基壇跡
金堂基壇跡
再び、南から、堂基壇跡は左(西)、金堂基壇跡は右(東)
近所の花と古い住宅
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