奈良県桜井市 粟原寺跡
(Ruins of Obaradera Temple, Sakurai City, Nara Pref.)
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発掘調査は未だ |
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礎石のみが残る |
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奈良県桜井市粟原
創立は7世紀末にさかのぼる。現在は廃寺となり建物などは残っていないが、寺の跡は「粟原寺跡」として国の史跡に指定されている。
(中略)
談山神社が所蔵する『粟原寺三重塔伏鉢』(国宝)に刻まれた銘文によって、寺の由緒がはっきりとしている(伏鉢とは、仏塔の上部にある相輪の一部)。この伏鉢は古代の金石文の重要な資料として国宝に指定されるとともに、寺跡も史跡に指定された。
(ウィキペディア「粟原寺」より)
粟原流れの仏像
かつて、粟原寺が洪水で流された時、伝来の仏像が現在の桜井市内のお寺に分散したという。忍阪・石位寺の三尊石仏を始め、大字桜井・大願寺および来迎寺の本尊、大字外山(とび)・報恩寺の本尊、大字赤尾・興善寺の毘沙門天や薬師座像など。長野市の清水寺(せいすいじ)の地蔵菩薩座像もそうだという。いずれも国重文である。
粟原バス停から下ると、粟原川と忍阪街道がある。それらを横切り、棚田の中を上がると粟原の集落である。さらに上り詰める。
国史跡 粟原寺跡 現地説明板
「鶴の子の塔」と呼ばれている十三重石塔で、鎌倉時代後期の作とされる。
発掘調査が行われていないため、伽藍の規模や配置など詳しいことは不明である。 現在は塔跡に心礎や礎石などが確認できるほか、東側の一段低くなった場所にも礎石が並べられている。ただし東側の礎石は元からこの場所にあったのではなく、塔跡の西側にある十三重石塔が建てられているあたりから運ばれたと見られている。石塔が建てられている場所は通称「コンドー」と呼ばれていて礎石もいくつか確認でき、ここに金堂があったと考えられている。
(ウィキペディア「粟原寺」より)
急坂を下って戻る。
蜘蛛がいた。
粟原から下りは粟原川沿いの忍阪街道をたどりたいが、その上の眺望のよい幹線道路を歩き、棚田の撮影を試みた。でも、疾走する車が怖い。
参考資料
Don Panchoのホームページ「粟原寺跡」より
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