奈良県桜井市 粟殿
Odono, Sakurai City, Nara
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July 20, 2025 野崎順次 source movie
奈良県桜井市粟殿
粟殿墓地の石造物
入口辺り
国認定重要美術品
粟殿墓地五輪塔 南北朝時代前期 高219cm 花崗岩
この古い墓地の中央に、今はくずれ去ったが、土塀で一区画を作った中に以前は立っていたのである。五輪塔に反花座をつけるのは大和の風であるが、この複弁反花座は側面を三区に分け格狭間を飾って、抜群のものである。五輪塔自体も鎌倉の余風を保つが、水輪の球形や空輪の宝珠の形に軽快な線が見え、火輪の軒反りに多少の固さがうかがわれる。地輪の一面に七行にわたって、「右相□亡夫良円房、并亡息□医王丸、一百ケ日追善□□、自身良妙□□□□、逆修作善、造立如件、正平三年(1348)戊子正月五日、願主尼良妙」と刻む。当地戒重の土豪良円房父子が、楠木正行に従って河内四条畷で討死したあと、未亡人の良妙が建立したもので、百か日の追善、自身の逆修といいながら、日付を合戦当日としているところに悲しみがこめられている。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年9月30日)
銘文: 地輪の一側面に七行にわたり「為菩提亡夫良円房 / 并亡息平医王丸 /
一百ヶ日追善□□ / 自身良妙逆修供□ / 逆修作善造立如件 / 正平三年〈戊子〉正月五日 / 願主尼良妙」と刻銘がある。
銘文は彫りが浅く判読が困難で従来から諸説がある。
(「日本石造物辞典」2012年12月10日 吉川弘文館)
十三重石塔 南北朝時代 花崗岩 高さ約400cm
もと、平等寺のものといわれている十三重石塔。初層軸部の薬研彫りが美しい。
(河合哲雄「石仏と石塔」ウェブサイト)
森本六爾の墓(お墓参りのおじさんに教えてもらった。)
日本のアマチュア考古学者として、最高の業績をのこされた方で、1903年(明治36)に奈良県の桜井市に生まれました。「東京考古学会」を結成され雑誌『考古学』を発行されました。昭和8年その当時の学界でどの学者も考えなかった「弥生時代に稲あり」という考えを『日本原始農業』という論文集として発表され、学界に一大センセーションを巻き起こしました。これが、巻頭に掲げたものです。しかし、生前この考えは誰にも相手にされませんでした。そして、最大の理解者であり、協力者であったミツギ夫人とともに1936年(昭和11)わずか32歳という若さでなくなられました。
(六爾の博物館ウェブサイト)
その他
さくら会館横墓地入口
近くの道路わき
January,2023 大野木康夫
source movie
粟殿(おおどの)は、桜井市役所の北、国道169号と中和幹線の交差点の南に位置する集落です。
共同墓地に重要美術品の五輪塔があります。
共同墓地の南隣の極楽寺
共同墓地入口付近の石仏、石塔
十三重石塔
三輪明神の神宮寺であった平等寺のもののようです。
石造五輪塔 銘「正平三年戊子正月五日願主尼良妙」(重要美術品)
正平3(1348)年のものです。
周囲の五輪塔も南北朝期のものだそうです。
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