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奈良県桜井市 大神神社

(Omiwajinja Shrine, Sakurai City, Nara)

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桜井市三輪1422 大神神社三ツ鳥居 重文 近代/宗教 明治 明治16(1883) 木造三輪鳥居 瑞垣 19531114

桜井市三輪1422 大神神社摂社大直彌子神社社殿 重文 近世以前/神社 室町中期 "奈良(内陣)鎌倉前期(外陣)" 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺 19010802

桜井市三輪1422 大神神社拝殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 寛文4(1664) 桁行九間、梁間四間、一重、切妻造、向拝部 桁行一間、梁間三間、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、檜皮葺 棟札1枚 19210430


March 25, 2023 野崎順次 source movie

今回は拝殿にお参りしてから大美和の杜展望台のお花見に行った。

二の鳥居から、夫婦岩、大神神社、磐座神社をめぐる。
                   


大美和の杜展望台
                               


展望台最高部
               


下る。
    

帰途
                


Sep.2021  中山辰夫 

蟇股の研究

大神神社 拝殿 
奈良県桜井市三輪1422

三輪神社派三輪山を神体山とし、本殿がない神社として有名です。鳥居と拝殿のみという、古い祭祀形態を保ち、古代の信仰をそのまま現代に伝えています。
平安時代には大和国の一の宮となり、古来より多くの人々の信仰を集めています。
拝殿の奥に、明神型鳥居を3つ組み合せた独特の三つ鳥居が立っています。中央にある扉が開かれるのは元旦の繞道祭(にょうどうさい)のときだけです
現在の拝殿は1664年に徳川家綱が高取藩主植村家吉を奉行として再建させたものです。

1664 拝殿 国重文 桁行九間 梁間四間 切妻造 桧皮葺 正面に桁行一間 梁間三間 入母屋屋根の向拝付
    
大きな建物です 向拝二は軒唐破風も付き雄大で、賑やかな外観となっています。

梁の上の束の両側には草花文様の透かし彫り彫刻が施されています。
  

頭貫の蟇股は3種類あって、小鳥、瑞鳥、神馬が見受けられます。
   
向拝の蟇股 草花文様でしょうか
  

拝殿軒廻りに並ぶ蟇股(全部でありません)
         

祈祷殿(儀式殿・参集殿) 1997年(平成9)竣功
 

蟇股
  

斎館と蟇股
  

三つ鳥居 「引用」
 
拝殿背後の石垣上、禁足地との境にあります。中央の1段高い明神鳥居の両脇にやや小ぶりの脇鳥居を従える形式です。左右に瑞垣が連なります。
三ツ鳥居は当社のみに残る独特の形式で、全国的にも類例のない唯一の遺構です。

末社狭井神社
    

大直彌子神社社殿 国重文化 建立:内陣-奈良時代、外陣-鎌倉時代前期 桁行五間 梁間五間 一乗 入母屋造 本瓦葺
   
奈良時代に大神神社の神宮寺として創建された大神寺の遺構で、鎌倉時代に再興されました。1285年に行われた大改修時の姿に普及整備されています。

板蟇股 
   
板蟇股は外陣の側・入側間の繋虹梁上に用いられている 鎌倉時代初期に造られた外陣身舎の板蟇股に比べると、肩の繰形は丸みを大きくして盛り上がった形で、足元は僅か丈を高くしています


蟇股の撮影は社寺のご協力が頂けた場合は大喜びです。行ってみないとわからないことも多く、空振りも多いです。撮影スポットが無い場合も多いです。
宮司さんや住職さんとの出合いも少なく、生きた情報が入手できない点が残念です。


Oct.13,2018 野崎順次

今回の主目的は本社と摂社の磐座めぐりであるが、その他にも興味をそそる神聖な大神社である。

パンフレット類

                  

参道から、摂社 大直禰子神社(若宮社)へ

      

御饌石。近年注連縄が巡らされたもので本来の磐座ではない。かつての大御輪寺の礎石といわれる。

        

御誕生所社の磐座

       

参道に戻る。

    

大神神社の階段手前に夫婦岩がある。磐座と称される。

       

大神神社、神前結婚の新郎は南米コロンビア人だった。

            

摂社 磐座神社

        

山の辺の道を伝う。

        

摂社 狭井神社、境内に磐座はない。

          

さらに進むと貴船神社があり、磐座らしきものがあるが、違うそうだ。

                 

玄賓庵あたり

                           

摂社 檜原神社と三ツ鳥居

            

その奥の神籬と磐座

                 

西へ下る。正面は二上山。振り返ると三輪山。

              

大和三山

       

三輪山、コスモス、大鳥居

             

摂社 綱越神社。立派な磐座らしきものがあるが、近年に祀られたものらしい。

            

帰途、電車から三輪山を遠望する。

         

参考文献

イワクラ(磐座)学会会報18号「三輪山のイワクラ(磐座)めぐり」


Sep.2018 大野木康夫

                                                   


Oct.2018 野崎順次

                                                                                                                                                                                                                        


Mar.2012 大野木康夫 HD video

2012.3.25撮影 

この日は講社崇敬会大祭で、すごく賑わっていました。

大鳥居から参道入り口

        

参道

           

拝殿前の御神木

  

拝殿(重要文化財)

寛文4(1664)年の建築

桁行九間、梁間四間、一重、切妻造、向拝部 桁行一間、梁間三間、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付、檜皮葺

              

摂社大直禰子神社

     

社殿(重要文化財)

内陣は奈良時代、外陣は鎌倉前期の建築

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺

                 


Sep.24 2011 瀧山幸伸 HD video

A camera

                                         

大直禰子神社(若宮)

             

B camera

                        


July 2011 撮影/文 野崎順次 HD video

奈良県桜井市三輪1422

撮影日: 2011年7月9日

大神神社(おおみわじんじゃ)は式内社(名神大)、大和国一宮で中世には二十二社の中七社のひとつとされた。旧社格は官幣大社(現・別表神社)。三輪明神、三輪神社とも呼ばれる。境内は国史跡に指定されている。

三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。

自然を崇拝するアニミズムの特色が認められるため、三輪山信仰は縄文か弥生にまで遡ると想像されている。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居三つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。

大物主大神(倭大物主櫛甕玉命)を主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀する。

重要文化財。*印は写真あり。

大神神社 拝殿(附 棟札)*

大神神社 三ツ鳥居(附 瑞垣)

拝殿と禁足地とを区切る神聖なる鳥居である。古来より、この明神型の鳥居三つを一つに組み合わせて鳥居を通して、お山を拝んできた。いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明で、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけである。左右には、長さ16間の瑞垣が設けられ、ご祭神とゆかり深い動物、花鳥など、すぐれた木彫りの欄間が、はめ込まれている。社務所に申し出て拝観できるが、写真撮影禁止である。

大神神社 摂社大直禰子神社社殿 *

朱漆金銅装楯

紙本墨書周書 巻第十九

パンフレット

       

三輪山と大鳥居

     

摂社 綱越神社(おんばらさん) 祭神 祓戸大神 式内社

       

宗教法人 大神教本院。入口の三柱鳥居が眼を引く。現在は大神神社とは分離独立している。

     

参道を進む。

      

二の鳥居あたり

               

さらに進む。

      

末社 はらえ戸神社、夫婦岩、手水舎、しるしの杉、衣掛杉など

                    

重文 拝殿(江戸)

現在の拝殿は、寛文4年(1664)徳川4代将軍家綱の造営になり、西向きに建つ。桁行9間 (21m)、梁間4間(8m)、正面は三間一面の大向拝がつき、江戸時代を代表する 堂々とした建物である。拝殿の左右には、2つの建物が付属し、向かって右に勅使殿、左に勤番所である(いずれも県指定文化財)。

                     

巳の神杉(みのかみすぎ)

江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをした。いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、好物とされる卵と酒がお供えされる。蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されている。

     

境内

          

二の鳥居に戻り、山の辺の道を北に200m行く。

    

摂社 大直禰子神社(おおたたねこじんじゃ。若宮社とも言われる) HD video

大直禰子命は、大神神社祭神、大物主大神の子孫である。奈良時代には、神仏習合の姿をとり、大神神社の神宮寺、大神寺(おおみわでら)として栄えた。中世には、三輪流神道がこの地より広まり、各方面に多大の影響を与えた。明治の神仏分離までは、大御輪寺の本堂として、若宮の大神様とともに本地仏十一面観音(国宝、現聖林寺奉安)が併祀されていた。

おだまき杉の古株、狛犬、鳥居

      

重文 本殿(鎌倉)

方五間、一重入母屋造、本瓦葺。応永19年(1412)の姿に復元されている。奈良時代の大神寺創建当初の部材が残る。もともと仏殿であったが、堂内に早くから、三輪明神の王子(若宮)が生身入定の説話が生まれていた。

                            

境内、菩提樹、御饌(みけ)石(磐座)、琴平社(雑社、祭神・大物主神)、御誕生所社(雑社、祭神・鴨津見美良姫命、本殿はなく磐座)、池など

                

そうめん製造の始まりは大和三輪の里で作られたのが最初とされる。崇神天皇の七年、大物主命の五世の孫、大田田根子命(おおたたねこのみこと)が大神神社の大神主に任ぜられて以来、その十二世の孫に従五位上大神の朝臣狭井久佐 (あそんさいくさ)という人があった。この狭井久佐の次男の穀主(たねぬし)という方が三輪そうめんを創めて作られたといわれている。

参考資料

大神神社HP

神社ふりーくHP

ウィキペディア「大神神社」


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