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奈良県桜井市  與喜天満神社

(Yokitenmanjinja Shrine, Sakurai City, Nara Pref.)


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June 21, 2021  野崎順次 source movie

奈良県桜井市初瀬1番地

主祭神 菅原道真公
御祭神 天照大神、大倉姫神(延喜式式内社・鍋倉神社)

鎌倉時代の「長谷寺験記」上巻11話によれば、天慶9年(946)9月20日菅原道真は長谷寺の観音へと上って行き、瀧蔵権現との会話から地主神を譲り受け、与喜山の松の大木の下に鎮座し、「与喜大明神」と名付けられました。「悪しき」心によって罪を犯した菅公(天神)は、悪を断ち善を修めるために最も「良き」地にたどり着き、そして長谷寺と初瀬の町を守護する神となりました。天照大神の日本初の降臨の地とも伝わります。
(奈良県観光公式サイト「なら旅ネット」より)

初瀬川を渡る。橋上から長谷寺本堂が見える。赤い鳥居から石段を上る。
              


石段の途中に與喜寺跡があり、長谷寺門前町を見下ろせる。
   

與喜天満神社末社
八王子社と山神遥拝所の御由緒
川向こうの磐座の上に鎮座する八王子社は、天照大御神と素戔嗚尊との誓託によって、お生まれになった八社の神を祀る神社です。またこの磐座は。八王子社と当山の山神を参拝する場所です。この上、與喜山(国の天然記念物)中腹に鎮座する與喜天満神社は、総本山長谷寺の鎮守・地主の神様です。総本山長谷寺に参詣された方は、当神社へも御参り下さい。神社へ登られない方は、ここから御参拝下さい。與喜天満神社は、我が国最古の天満宮(御祭神・菅原道真公)で、「吉の御宮」と言われています。またこの御神体山に、初めて天上から天照大御神が降臨された聖地としても知られています。
《八王子社の御神徳》
〇家内安全 〇家族繁栄 〇女性守護 〇所願成就など。
(現地説明版)

      


夫婦杉、右が男、左が女
       


さらに石段を上る。
     


手水舎、手水鉢は慶安三年(1650)徳川三代将軍家光より寄進された。
    


拝殿と撫ぜ丑
   


與喜天満神社社殿は鳥居から杉の大樹に挟まれた百数十段の上に三層の石垣があり、御神体山から高さ140cmの瑞垣が社殿を囲うように正面中央に中門を置き、3面延べ約50メートルめぐらされた中に本殿、瀧倉権現3社、白太夫社、櫻葉社が鎮座されている。

市文 本殿 再建 文化十五年(1818)
流造3間社破風付造、梁行270cm 桁行180cm 向拝270cm、高欄付、屋根檜皮葺、覆屋付
堂々した建物で、斗と肘木の組物が三手先で正面は5組と見事な軒回りである。正面は2枚の両開きの御扉で、その両面の板壁には立派な彫刻が施されている。
(当神社公式ウェブサイトより)
                 


向かって右側、瀧蔵権現三社(御祭神 速玉命・伊弉諾尊・伊弉冉尊)
   


向かって左側、白太夫社(ご祭神 度会春彦翁)、櫻葉社(御祭神 天照大神・伊予親玉)
        


伊勢神宮信仰の原点
磐座「鵝形石」【御祭神 – 天照大御神】の御由緒
菅原道真公を祀る與喜天満神社は、平安時代に創建され、 與喜山の鎮守・地主の神様ですが、古代、この地は天照大御神が天上から初めてこの世に降臨された聖地と伝えられています。そもそもこの與喜山は、古代は大泊瀬山と呼ばれ、大和の国に最初に太陽の昇ってくる聖なる山でありました。伊勢神宮の信仰は、この初瀬の地が地理的にも出発点なのです。第十代崇神天皇御代 豊鍬入姫命よる第三番目の斎宮 - 伊豆加志本宮で皇太神宮が奉祀された斎宮も與喜山にあったと考えられています。
原初より女性は太陽であり、神として敬われます。女性の皆様の守護神として心を込めて御参拝ください。
《御神徳》
受験合格・学業威就・女性守護・縁結び良縁・大吉福徳将来(ママ)等御祈願ください。
(現地説明版)
     


磐座「掌石」と「沓形石」の御由緒
古代は聖なる山に鎮座する磐座に、神を迎えてお祀りをしました。当社の磐座は、その形態を現在に残す貴璽な信仰上の遺産でもあります。私たちはこの磐座に祈りを捧げ古代さながら神体験ができるのです。右上段の磐座・「掌石」【 御斎神・大玉命】は、手の平のような形をしているのでその名が附きました。又、左下段の「沓形石」【御斎神・天児屋根命】は、神官がはく沓のような形をしているのでその名が附きました。手前の磐座は「鵝形石」【御祭神 – 天照大御神】は鷲鳥のような形をしているのでその名が附きました。この三つの座で、『古事記』神話に記されている《天の岩戸》の段を再現していると考えられています。★どうぞ古代から息づく神の霊気をいただいて諸願の成就を御祈願下さい。
(現地説明版)
           


御祖の磐座と男女(夫婦)岩
與喜天満神社の御祭神菅原道真公は、昌泰元年(八百九十八年十二月)長谷寺に参詣され「当山(大泊瀬山)は是天照大御神隠蟄の地、諸神冥道の守護の砌なり…」。この山は昔から日本で最初に天照大御神が影向された御神体山として信仰されている。又、天照大御神の御霊を奉じて遷幸されていった元伊勢第三番目の聖地が『伊豆加志本宮』で、ここで崇神天皇の皇女豊鍬入姫命が八年間、御霊をお祀りされていたところが與喜山の麓付近であるかと思われます。その様な歴史的背景に於いて御祖め信仰が深く根付くと同時に大日如来の化身として長谷寺の十一面観音が聖天さまの女天、御祭神菅原道真公が男天と受け止められ神仏習合(本地垂迩)により『和合…男女が幸せに生きてゆく力』を願うのが男女(夫婦)岩です。心の奥底からお二人の幸福を祈念してください
(現地説明版)
        


長谷寺のほうへ下る。
             


神仏習合の聖地(隠国の初瀬の小國)
玉鬘(たまかずら)神社は、『源氏物語』第二十二帖の玉鬘(たまかずら)の姫君に由緒を持ちます。母の顔を知らない玉鬘は乳母(めのと)につれられて筑紫から生まれた京に帰ります。しかし母夕顔を探すすべもなぐ、大和の長谷寺に願をかける旅に出ます。その時、三輪明神大神神社近くの椿市で、母夕顔の侍女であった右近に、これは夢ではないかと、奇跡的に出会い、母の死を知ります。しかし、光源氏によって自分の娘として育てられ幸せな人生を送ります
後に能作者金春禅竹によって長谷寺の二本(ふたもと)の杉を舞台にした『玉鬘』と言う名品がつくられます。その後、長谷寺の信仰にとりいられ、玉髪観音がおかれ、初瀬山麓の玉髪庵で女僧によって長くお祀りされてきました。当社は、この奇しくき出会いを今日に受け継ぐために、庵の地に創祀致しました。人の人との出会いはさまざまです。一生を共にしたい人との出会い、かって愛した人との再会、人生"を導いてくれた人との出会い、亡くなった人の面影とめ出会い、玉髪の姫神にお参りの皆様の思いをかなえて頂けるように、お祈りしましょう。)
宮司金子清作
(現地説明板)
  


素戔嗚神社、イチョウの巨木がある。
                


連歌橋あたり
長谷寺から、輿喜天満神社の境内にいたる途中、初瀬川(古河野辺)に架かる朱塗りの橋かあります。これが「連歌橋」で、当神社にて連歌をおこなう人々か渡ったので、その名が呼ばれるようになりました。鎌倉時代の末頃から当社では、「天神講連歌会」と呼ばれるほど連歌か盛んで、わが国の文学史に残るものでした。
(当神社公式ホームページより)
       


與喜天満神社中之橋御旅所
     


與喜天満神社切石中之橋御旅所、梅の古木が市天然記念物。
    

 

 

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