奈良県三郷町 勢野の線刻二尊石仏
(Seya Stone Buddhist Images,Sango town, Nara Pref.)
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快慶初期作か、線刻がほとんど分からない。 |
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August 16, 2020 野崎順次 source movie
奈良県三郷町勢野東4丁目と5丁目
勢野の線刻二尊石仏
2013年9月8日朝日新聞や9月26日の奈良新聞によれば、三郷町文化財の一針薬師笠石仏が仏師・快慶の作品であると考えられ、さらに最初期の作品である可能性もあるそうだ。快慶自身が彫ったのではなく、快慶が下図を描き、宋の石大工が彫ったのだろう。 同年12月1日にこの国内最大の笠石仏撮影することができた。
さらに興味深いことに、近くに作風の似た(ということは、快慶の作品らしい)二尊石仏があり、清水俊明氏はずっと以前から次のように述べている。
「これらの二尊石仏から考えて、当初は笠石仏の薬師如来十二神将石仏の左右に置かれていたものと思われ、本尊薬師(現世利益)・弥陀(来世往生)・弥勒(末法救済)を願って造立された石仏群と考えられる。一針薬師石仏は、建長五年(1253)に記された三輪上人行状記の記録より、仏師快慶の下図になるものであろうとの説があり、まさに名工快慶の作風に近いこれらの石仏は、大和の石仏資料上、実に貴重なものとなった。」
(清水俊明「大和の石仏、昭和49年」より)
その二尊石仏を見ることにした。
まずは、勢野西墓地の線刻阿弥陀石仏。無断で拓本を取った人がいたためか、金網で包まれてしまっている。最初の写真のみ、「大和の石仏」からの引用である。
「この勢野惣持寺の旧奈良街道に接して、この地区の共同墓地、があり、近年その墓地埃置場を新設したおりに、草におおわれて隠れていた石仏が取り出され、地元平隆寺住職福井俊仁氏、郷土史家梅景文子氏の紹介で有名となった。石仏は、花闘岩製、高さ1.3mの自然石の表面に、二重光背形を彫りくぼめ、蓮華座に立つ像高83cmの如来像を線で刻んだものである。像容は五等身半の大変均整のとれた美しい姿で、体部と顔をやや斜向きにしている。このような姿は、中尊の両脇に配置される仏像に多い姿である。面相は眼尻がきりりとあがり、活気の感じられる表情で、右手は右胸の前にあげ、人指ゆびを捻じて親指に接する弥陀の印相。左手も左胸下のあたりまであげて、掌を上にし、同じように指を捻じている。このような印相は、播磨の浄土寺本尊弥陀像(快慶作)にも見られるもので、特殊な印相である。私は勢野石仏も阿弥陀如来と考える。袖衣の線条も実に美しい流れを見せ、経軌に則した見事な像容や、蓮華座の作りが優れている。この石仏の作風技法は、一針薬師に酷似しており、同作者によって鎌倉初期に造立したものと考えらる。」
(清水俊明「大和の石仏、昭和49年」より)
瘡神社
線刻弥勒石仏
「勢野惣持寺の西に瘡(くさ)神の祠というものがあり、その境内小堂内にも、今回発見の石仏と同じ大きさ、同じ作風の如来石仏があり、ただしこの像は体部を左斜に向けており、右手はさげて与願印、左手は肩まであげて、人指ゆびを捻じて親指に接しており、室生大野の弥勒大磨崖仏(鎌倉初期)に似た姿で、弥勒仏と考えられる。
(清水俊明「大和の石仏、昭和49年」より)
その他の石仏
帰途、大和川の歩道橋から勢野東4丁目と5丁目を振り返る。
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