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奈良県高取町 南法華寺

Minamihokkeji,Takatori town,Nara

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高市郡高取町大字壺坂3 南法華寺三重塔 重文 近世以前/寺院 室町後期 明応6(1497) 三間三重塔婆、本瓦葺 19060414

高市郡高取町大字壺坂3 南法華寺礼堂 重文 近世以前/寺院 室町中期 室町中期 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 旧野地板2枚、旧出桁矧木1個、旧鬼瓦2個 19590627


Feb.24,2016 瀧山幸伸


October 25,2014 大野木康夫 source movie

所在地 奈良県高市郡高取町壷阪3

駐車場からの眺め

境内入り口から見た三重塔

仁王門

多宝塔

三重塔へ

三重塔(重要文化財)

明応6(1497)年の建築

三間三重塔婆、本瓦葺

三重塔細部

礼堂(重要文化財)

室町中期の建築

桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

南法華寺は通称壷坂寺と呼ばれており 明応六年(一四九七)建立の三重塔が重要文化財に指定されている。

礼堂は建立年代が明らかでないが、様式手法から塔と同時頃を思われる。

江戸時代中期に大きな修理を受けているが、主要部はよく保存されている。

この堂は八角円堂の本堂(江戸末期)の前に建っている礼拝堂であって、このように独立した礼堂は珍らしい。

(国指定文化財等データベースより)

礼堂細部

境内各所


Sep.2011 野崎順次 source movie

奈良県高市郡高取町壺阪3

南法華寺(壷阪寺)

撮影日: 2011年9月25日

南法華寺が正式名称であるが、壷阪寺(つぼさかでら)として親しまれている。創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりといわれる。境内からは当時の藤原宮の時期の瓦が多数出土している。その後、元正天皇に奏じて御祈願寺となった。平安期には、長谷寺とともに定額寺に列せられ(847年)、平安貴族達の参拝も盛んになり、ことに清少納言は「枕草子」のなかで「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と霊験の寺として、筆頭に挙げている。また、左大臣藤原道長が吉野参詣の途次に当寺に宿泊したという記録も残っている(1007年)。この頃、子島寺の真興上人が壷阪寺の復興にあたり、真言宗子島法流(壷坂法流)の一大道場となり、三十三所の観音霊場信仰とともに、寺門は大いに栄えていった。その後数度の火災にあうが、その度に山僧の合力により再建がなされてきた。しかし、南北朝や戦国の動乱に巻き込まれ、当時庇護を受けていた越智氏の滅亡とともに壷阪寺も衰退していく。一時は山内に三十六堂、六十余坊の大伽藍を配していたが、境内には三重塔と僅かな諸坊を残すだけとなった。近世の壷阪寺は豊臣秀吉の弟秀長の家来本多利久が高取城主となり、本多氏とその後明治の廃藩置県まで続く藩主植村氏の庇護を受け復興していった。明治の初め、盲目の夫沢市とその妻お里の夫婦の物語、人形浄瑠璃『壺坂霊験記』が初演され、歌舞伎、講談、浪曲となり壷阪寺の名は大きく世に広まっていった。

パンフレットと現地説明板

大講堂 平成12年落慶 本尊 弘法大師像(鎌倉)

仁王門 建暦2年(1212)建立

多宝塔 平成14年 落慶 本尊 大日如来(平安時代)

灌頂堂 平成17年4月落慶

本尊 十一面千手観音菩薩(室町時代) 豊臣秀長公像・本多俊政公像安置(安土・桃山時代)

天竺渡来 大釈迦如来石像 平成19年11月開眼 身丈10m 台座5m

御前立 十一面千手観音菩薩像 身丈3.3m 台座1.5m 

文殊菩薩石像 身丈3m 台座2m 

普賢菩薩石像 身丈3m 台座2m

それから

慈眼堂平成18年秋 落慶

重文 三重塔 室町後期 明応六年(1497)

三間三重塔婆、本瓦葺、高さ23.06m。三重塔では初重寸法が十三〜十五尺の例が一般的で、十五尺級が最も多く、総間を三十二枝とし、中央間十二枝、脇間十枝とする例が多い。当三重塔はその例であり、二重は総柱間で二十八枝、三重は二十五枝で、二重中央間を十枝とする他はすべて一枝落ちとしている。総高は初重総長の五倍である。注目されるのは構造で、通常、手先の肘木を内側に延ばしてつなぐが、二段目、三段目の肘木もつないで構造を強化している。

重文 禮堂 室町時代 再建

入母屋造り、本瓦葺。昭和解体修理時に行われた地下発掘調査並びに残存していた部材から、室町時代の禮堂の姿が判明し、御堂の大きさ等を室町のそれに戻して、建てられている。組物の方式は東大寺法華堂礼堂や、般若寺楼門にみられた室町時代中期にみられた手法である。

八角円堂 創建 大宝3年(703) 江戸時代再建

本尊十一面千手観世音菩薩を祀る八角形の御堂。現在の八角円堂は江戸時代の再建と言われる。八角堂の著名な遺構としては法隆寺東院夢殿・栄山寺八角堂・興福寺北円堂などがある。壷阪寺の本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説も出ている。

それから

天竺渡来佛伝図レリーフ「釈迦一代記」

昭和62年安置 高さ3m 全長50m 重さ300t

天竺渡来大観音石像 昭和58年3月12日開眼

全長20m 全重量1200t

天竺渡来大観音石像は、インドハンセン病救済事業のご縁でインドからご招来したものである。 インド国民の協力と南インドカルカラの三億年前の古石がインド政府や様々な方のご支援で、提供され、延べ7万人のインドの石工が参加してすべて手造りで製作された。

天竺渡来大涅槃石像

平成11年安置 全長8m

大観音石像と同じく、インドにおける奉仕事業のご縁で始まった国際交流・石彫事業の一環として製作された。

境内と大和盆地を見下ろす。

それから

天竺渡来 大石堂(納骨永代供養堂)

インド・アジャンタ石窟寺院をモデルとし延べ12万人の日本・インドの人々によって彫刻、組み立てられ、総重量1,500tにおよぶ壮大な石の御堂。

帰途

参考資料

壷阪寺HP


Mar.2010 撮影:高橋久美子

壺阪寺

正式名称を壷阪山南法華寺(みなみほっけじ)という、真言宗の寺院。

703年(大宝3年)創建と伝え、西国三十三箇所第六番札所。

本尊の十一面観音は眼病に霊験があるといわれ、お里・沢市の夫婦愛をうたった人形浄瑠璃『壺坂霊験記』の舞台としても有名。

園内には養護盲老人ホーム慈母園がある。

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