奈良県天川村 洞川
Dorogawa,Tenkawa village,Nara
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Aug.1,3, 2013 瀧山幸伸
「修験者の里 今昔」 奈良県天川村洞川(どろがわ)
天川村は吉野の南、険しい紀伊山地の中央に位置する。村の最も奥、熊野川の源流域となっている大峯山(山上ケ岳)は修験者の山である。洞川はその登山口と して標高八百メートルほどの狭い盆地に形成された。宗教関連の団体登拝、いわゆる講に関連する宿坊町は、桃源郷であり聖域であった。主要な三つを挙げれ ば、山形県羽黒山の手向(とうげ)、山梨県七面山の赤沢、そして洞川だ。七面山は修験道ではなく日蓮宗の聖地だが、全国各地の奥の院は多かれ少なかれ山岳 宗教の要素を持っているので類似点が多い。
かつては全国各地で講が盛んで、富士講や大山講、御岳講などもそうだったが、講の衰退に伴い伝統的な街並はほぼ消滅してしまった。手向も赤沢も街並は残る ものの、宿坊としての機能はほぼ終了している。洞川の街並は比較的元気だが、講の減少と観光俗化の脅威に晒されている。はたしてこの街並を次世代に伝える ことができるのだろうか。
洞川の街並
洞川を知るには熊野詣りと御岳詣りを知る必要がある。王候貴族と僧侶によるもので、平安末法の時代に盛んになった。熊野詣りは阿弥陀浄土になぞらえたも の、御岳詣りは須弥山になぞらえた険山に登り太陽神が昇るのを拝むもので、建前はともかく、本質はアニミズムに基く神秘性と超力の体験であり、神と仏の区 別は無かっただろう。
枕草子か更級日記風に、平安女御が京から洞川への御岳詣りを綴ったらこんな感じか。和歌を詠むように、あるいは演歌、ポップス、ラップ、自分の好きなメロディーを被せ、声を出して歌ってみよう。美しい歌詞や文章は今日でも七五調である。
♪ 宮仕え忍ぶ心にまどひつつ、男もすなるみたけまいらむ。長谷寺を過ぎ室生寺へ、女高野に籠れども、うい奥山へいざなえる。吉野桜の峰遠く、あめのとろかわ 来たりなば、青く聳える大峯の、女人結界せんなきに、えんの行者にあやかりて、しろたへの衣乱れつ水垢離ぬ。善男善女みそぎあい、黒髪の凍てつく水に色も 冷め、穢れ無き身に戻りぬる、、、♪
吉野熊野と朝廷との関係は深く、天川は南朝関係の史跡や伝承が豊富だ。女御も貴人に随伴して天川を訪問したのだろうか。女御のみそぎは、源氏物語に賀茂斎 院がみそぎをする描写があるので、ありえない話ではないが想像に任せたい。そもそも熊野信仰もヤタガラスもその起源に不明な点が多い。熊野信仰は新宮神倉 神社のゴトビキ岩と那智の滝への自然崇拝が始まりで、インディアンの聖地マウントラシュモアやヨセミテと同様だろう。熊野本宮は、海の民が船で遡れる限界 の中州に、彼らの支配権の証しとして設けられたと理解したい。山の民であれば洪水で危険な中州に神社を設ける必然性はない。ヤタガラスは「八幡の烏」で、 八幡信仰を持つ渡来系の海の民ヤハタと取引をして、利権を得る引き換えに道案内と諜報を提供した、原初の修験者だったのではなかろうか。
■行の場
山岳宗教の聖地を、水分(みくまり)、葬地、火山の三つの信仰に分類したい。吉野、大峯、熊野は水分の地、恐山や高野山は葬地、富士は火山で、それぞれの 生い立ちと特徴が異なる。水分信仰は、宮崎駿の世界で言えば『もののけ姫』。聖なる山の水源と原生林と巨岩は畏れや癒しの対象であるとともに生命の源であ り、農耕や森林鉱物資源、出産、長寿、病気平癒などのご利益につながる。オオヤマズミやコノハナサクヤヒメはじめ、山の神様は多い。
大峯山は我が国最初の 山岳信仰の聖地として千三百年の歴史を持つと言われるが、自然発生的 なアニミズムにどれが最初とは決め難い。『剣岳点の記』のように、測量班が初登頂する遥か以前に行者が登頂していたということもあった。旧石器時代人が山 頂に何かを埋めたり岩陰に絵を描いていたかもしれない。
山頂の大峯山寺は五月三日の戸明け式から九月二三日の戸閉め式までの間参拝できる。江戸時代に入ると講が各地に設立され、行者と業者が合体した山伏が俗人 を連れる集団登拝が盛んになる。若者に修行させ、大人の仲間入りをさせる通過儀礼としても意味があった。西の覗は巨大な絶壁で、逆さ吊るし行で若者は肝試 し、大人は懺悔や回生の儀式を行う。
吉野大峯、大峯奥駈道は、高野山、熊野三山、熊野巡礼道などとともにユ ネスコ世界文化遺産に登録された。熊野巡礼道は ス ペイン北部のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と並ぶが、大峯奥駈道は吉野と熊野三山を結ぶ険しい尾根を通る修験者専用の道である。大峯奥駈道の 熊野側、玉置山の山頂には熊野三山の奥の院とも言える玉置神社が樹齢千年以上の杉林の幽界に建つ。女人禁制ではないが、社務所は修験者の宿坊でもあり、観 光巡礼には相応しくない。
洞川から大峯山を遥拝する。
母公堂
女人結界。女人は手前の蛇の倉を登攀口として日照山や稲村ケ岳へ登拝することとなる。里と山との結界とは悪霊や穢れを防ぐとともに勝手に山の幸を採りに入 らせないためのもので、鳥居、しめ縄、祠石などで表示した。しめ縄は占め縄で、縄張りはこれが起源だ。黄と黒で立ち入り禁止や注意を示す虎縄に発展し、警 備や電柱の支線としても活用されている。
■開放的な街並
日本に現存する最も古い山小屋は立山の室堂で、立山登拝の行者のために設けられた。ただの山小屋だが重要文化財となっている。洞川の宿も元来は講に参加す る男性向けの山小屋で質素なのだが、街並には入母屋の建物も混じり、二階の手摺など細部を見れば繊細な意匠も見られる。講の世話役は地元の住職や神主だっ たから、彼らが好む意匠なのだろう。平家落人の伝説が残る隣の野迫川村の民家も同様の意匠で、隠れた気品が漂っている。各建物の玄関脇には必ずと言って良 いほど水場と縁側が備わっている。水場は道に水を撒くのにも使われ、清浄な街並環境に貢献する。縁台はウチとソトとを結ぶ交流の場だ。宿泊者も通りを歩く 者も共通の目的で訪れているので、顔見知りでなくとも話が弾む。
■癒しの水と薬
街並の背後には清流が流れ、マスの大群が悠々と泳ぐ。全国に名を轟かす水の神様は、吉野の丹生川上神社中社や吉野水分神社が有名だ。水が致命的に不足して いた奈良盆地はさておいて、紀ノ川水系も水は不足していたので、これらの雨乞い神社の立地は納得できる。対照的に熊野川水系は大雨で困ることはあれ、水源 域の洞川に雨乞い神社は必要ない。ここには名水百選の泉の森やごろごろ水がある。石灰質だから飲用水としては確かに美味しいのだが、癒しの神秘性はやや薄 い。癒しの飲用水ということであれば、立山の麓、空海ゆかりの穴の谷霊場が筆頭だろうか。ピレネーの麓にあるカトリックの聖地、ルルドの泉にも負けない。
泉の森
雨乞いのご利益は必要ないが、龍泉寺の龍の口から湧出する泉は、本尊の弥勒菩薩と八大龍王の御加護のもと、聖水として多大な役割をこなす。飲用して癒すの はもちろんのこと、水垢離の場として治療や健康長寿の祈願が行われる。老若男女が集団で、あるいは個人で、まずは礼拝、そして法螺貝を吹き邪気を払い、 静々と霊水に入りひたすら祈る。最後に滝に打たれてみそぎを行い、生まれ変わるのだ。持病の平癒を祈願する老人は、滝に打たれつつ「治すぞー」と何度も大 声で気合を込める。付き添いの導師は「治れよー」とこれまた大声で呼応する。そして水から上がり、「来年も来るぞー」「また来いよー」。見守る我々も感銘 を受け心が引き締まる。
龍泉寺境内の水行
蟷螂窟、蝙蝠窟
洞窟の奥は真夏でも寒さが厳しく、祈りの体が震える。鍾乳洞に滴り落ちる水を飲ませていただくと頭が痛くなるほど冷たい。行場なので観光の立寄りは遠慮したい。
洞川には宿坊の他にも行者向けのサービスから発展した特異な産業がある。薬の陀羅尼助は特に有名で、軽い薬はおみやげとして大いにもてはやされた。この地 域を題材とする『義経千本桜』は義経が静御前を連れて吉野に逃げる物語だが、若君が腹痛を起こし陀羅尼助を買いにゆく場面がある。陀羅尼助は、僧が陀羅尼 を唱える時、眠気を防ぐために口に含んだことに因む。キハダやセンブリを煮つめて固めた苦い薬で、腹痛などに効く。有効成分はベルベリンで、似たような仲 間に正露丸、百草丸、仁丹などがある。巷では偽物も横行したのだろう、洞川製が良薬だそうだが、確かにここでは偽物は売れない。行者の中には薬種を探すほ どの目利きもおり、原料の品質には詳しいからだろう。
陀羅尼助の店
八月の初頭に行われる行者祭りは行者と住民が一体となって開催される。稚児行列は天使と同様に穢れの無い稚児が先導するものだ。夕暮れ時には鬼の宿と呼ば れる陀羅尼助の店を起点に龍泉寺まで行者行列がある。祭りの最後には龍泉寺で護摩焚きが行われ、その火が消える頃、大峯山の方向に打ち上げられる花火で締 めくくられる。地味だが観光客が少ないので独特の一体感が味わえる。
稚児行列と護摩焚き
■行者的ミッションインポシブル
修験者・行者・山伏はほぼ同義だが、そもそも何だろうか。修験道の開祖は役(えん)の行者と言われるが、全国各地、彼にゆかりの地は全てミステリアスであ る。修験者と僧兵と天狗と猿田彦は共通点が多い。修験者姿の代表と言えば、『義経千本桜』でも馴染みの弁慶。熊野別当の湛増が二位大納言の姫を強奪して生 ませた鬼子だったとか、武力や陰陽師などの超能力の持ち主で、比叡山や書写山で乱暴を重ねていたとか、フィクション混じりだが興味深い。熊野別当は熊野水 軍への影響力が強かったので、源平の合戦において暗躍したのは確かだ。弁慶と熊野のヤタガラスとも重なる点が多い。史実に近い吾妻鏡などから弁慶の存在を 推定すると、義経を庇護したり伝令を行ったりした比叡山の僧兵を英雄化したものだろう。比叡山ばかりではなく、興福寺、園城寺、東大寺系の僧兵や、神社の 武装集団も混じっていたのかもしれない。このような自衛宗教団体は海外にもあり、少林寺や十字軍で活躍した騎士修道会などに類似形が見られる。
現在の修験者の体裁は中世に始まったものだ。修験者姿は行のためにあるのではなく、不審な行動を警戒されないよう、その免責を得るために積極的な派手さを 求めたスタイルだと考えられる。例えば通行の免責は、関所を避けて尾根伝いにフリーパスで通行する、他人の土地に侵入跋扈しても咎められないなどだ。社会 的経済的免責は、人間関係、犯罪、納税、健康などを理由とした出奔などだろう。その独特の姿は明認を目的としたユニフォームであり、衣装や法螺貝や唱経 で、「私は怪しいものではないですよ」と公報するためのものではなかろうか。行とは、護摩の火渡り、水垢離、籠り、登攀、縦走などの荒行を行い、本人や関 係者の治療、健康増進、神秘的体験を超能力に祈願することだ。
修験者の圧倒的な行動力は言うまでもないが、博物知識を侮ってはいけない。彼らは貴族、僧、神官と近いか同一人であることが多かった。南方熊楠は吉野熊野 をフィールドとした偉大な博物学者だった。彼に倣い、修験者をSFやオカルトの視点ではなく、産業技術との関連で見てみよう。
彼らの登攀探索技術は、ヤタガラスのように支配権の証明と記録に役立った。水源に祠やしめ縄を置いたり、頂上や山林に祠や塚を立てて土地の支配権を明示す る。今でも富士山頂一体は富士浅間神社の所有で奥の院があるが、これについては民法の教科書に登場する有名な話で、浅間神社が行政と所有権を争って、裁判 で勝利したのだ。
探鉱技術は鉱山学や利水技術へと発展する。山師とか、ヤマを当てるとかヤマを張るとか、やまっけがあるとか、ヤマに関しては否定的な用語が多いが、諸国の 山を歩くからこそ鉱脈の探査ができるのだ。空海は諸国を探訪し、丹生神社とも関係が深いが、薬としても貴重な丹(水銀)の鉱山が丹生だから、空海は鉱山技 術系の修験者だったという説もある。最澄とは違い、自費で中国留学をするほどの財力があったとすれば、この説にも一理ある。
森林治山技術は林業や建設運送業へと発展する。熊野は森林資源の宝庫である。山伏が関わり豊臣秀長に討たれた北山一揆は豊富な森林資源を巡る争いである。
健康技術は荒療治や薬種採集を通じて医学、薬学、本草学(博物学)や育種技術へ発展する。
観望、いわゆる気象天体の観測技術は、陰陽師として暦の製作や地図の作成、そして農作業の最適時期をコントロールする農業技術へ発展する。
そして彼らの情報通信技術も忘れてはならない。千日回峰行のように昼夜構わず縦走し最短時間で伝令を行うこと、法螺やのろしで合図し、地図や暗号などを作 る技術は、軍師や隠密にも取り入れられ、参謀としての戦略立案や情報収集技術に発展する。日光はそもそも修験者の地であり、家康の参謀天海は修験者の首領 格だったと言われるのも納得できる。
ジャレド・ダイアモンドは『昨日までの世界』でこのような行者的技術を尊重したライフスタイルを暗示している。拝金主義に侵される以前の日本が実は世界で最も進んだ社会であったとも言え、行者的発想は日本が大きく発展する触媒ともなろう。
そもそも「観光」の起源は、その土地のパワーを体感することだった。パワースポットブームだそうで、はしゃぎながら石や木に手をかざしたり抱きついたり、 携帯写真を撮っている人は多い。写真は気を吸い取ってくれるから、それをお守りのように持ち歩けば良いということだろうか。雑誌で取り上げられているパ ワースポットや能書きはお笑い番組のネタやゲームとしては面白いが、そもそも真昼間にざわついた場所でパワーを感じられるのだろうか。目的の違う旅人が混 ざると悲劇を生む。ある者は癒しを求め、ある者はおしゃべりや歓楽を求め、最近ではアニメのロケ地探訪やコスプレの場として聖地を訪れる者もいる。花見や 紅葉狩りなどの行楽、いわゆる物見遊山も日本の伝統文化で、建前としては聖地を目指すが実態は歓楽で、神秘性や超力を真剣に求めている人には迷惑だ。
吉野熊野には神秘に満ちている場所が多いが、いずれも人界から遠く、朝夕または夜、あるいは悪天候の時に最もパワーが感じられるのは当然だろう。それを真 面目に体験しようと思うと修験者のように野宿するしかない。一軒宿ならまだしも、宿泊可能な街並となると難しい。少しだけでもそれを体感できるのは、高野 山内と金峯山寺周辺と洞川くらいだが、洞川には立派な寺社や千本桜などの観光スポットが少ないから落ち着いている。
行者的ミッションインポシブルの今日的意義は見直されてしかるべきで、洞川は聖と清を求める人には安心してお勧めできる。神仏分離令により山岳宗教は大打 撃を受け、さらに高齢者も近代的な「登山」を優先する時代、大峯登頂の修験者は減少の一途だそうだが、ハイテク装備の登山ガイドや携帯端末に命を託すか、 練達の修験者に命を託すか、よくよく考えたほうが良い。
街並
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魚屋の店先でいただくアマゴ、アユ
川を泳ぐマス
蟷螂窟、蝙蝠窟
Toronoiwaya,Komorinoiwaya
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陽明門付近
ごろごろ水
Gorogoromizu
母公堂
Hahakodo
大峰山登攀口
泉の森
Izuminomori
龍泉寺
Ryusenji
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龍泉寺の水行
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龍泉寺境内林
吊り橋から見た町の全景
八幡神社
3日、行者祭りの行事
稚児行列
行者行列、ひょっとこ踊り、鬼踊りほか
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龍泉寺護摩行と花火
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