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奈良県天理市 石上神宮
(Isonokami-jingu Shrine, Tenri, Nara)

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天理市布留町384 石上神宮摂社出雲建雄神社拝殿 国宝 近世以前/神社 鎌倉後期 正安2(1300) 桁行五間、梁間一間、一重、切妻造、中央通路唐破風造、檜皮葺 19160524 19540320
天理市布留町384 石上神宮拝殿 国宝 近世以前/神社 鎌倉前期 鎌倉前期 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 棟札6枚 19060414 19540320
天理市布留町384 石上神宮楼門 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 文保2(1318) 一間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 19060414

September 15,2018  大野木康夫  source movie

参道

    

楼門(重要文化財)

              

楼門内へ

      

拝殿(国宝)

          

摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)

             



Mar.15,2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                                                                              



October 25,2014 大野木康夫 source movie

境内の鶏

    

楼門(重要文化財)

              

楼門部分

       

摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)

屋根の修理が終わりました。

         

摂社拝殿部分

     

拝殿(国宝)

            

拝殿部分

               

楼門からの拝殿

  




Apr.2013 中山辰夫

天理市布留町384

祭神:布都御魂大神 (ふつのみたまのおおかみ) - 神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊

天理教城会本部の南東約1kmの鬱蒼とした森の中にある。
起源ははっきりしないが、桜井市の大神神社と並ぶ日本最古の神社であり古代国家の信仰の中心的存在であったとされる。
江戸時代までは宸殿を持たず、背後にそびえる布留山をご神体とした。
国宝の拝殿は鎌倉時代に宮中から神嘉殿を移築したもので、鎌倉時代に建立した摂社の出雲建雄神社拝殿も国宝である。

境内散策

境内図
 

石上神社は、山の辺の道を歩く起点でもある。
        

鬱蒼とした森の中にある。
   

放し飼いのニワトリ。「神鶏」と呼ばれ、神の使いとされる。朝はさぞ賑やかであろう。春日大社は鹿、大神神社は蛇と。奈良の神社は動物に縁がある。
     

鏡池に生息する県天然記念物のワタカ。濁って見えない。東大寺鏡池にも生息する。 神社の由緒とは全くかかわりのない牛像。偉丈夫にできている。
   

わずか咲き残った純白のつばき
  

楼門 
国重要文化財 1318(文保元)年建立
          

拝殿 
国重要文化財 1081(永保元)年に、白河天皇が皇居の神嘉殿を移したとされる。
石上神社には大正時代まで本殿がなく、拝殿後方の禁足地を神聖な地としてきた。このため拝殿は本堂と同じ扱いを受けてきた。
         


出雲建雄神社

楼門前の丘の上に建つ。
 

拝殿 
国宝 1300(正安2)年の建立。 神宮から800mほど南にあった内山永久寺の鎮守住吉社のもの。1914(大正3)年に移す。永久寺の遺構である。
割拝殿としては最古のものである。
     

本殿
名前に出雲と付くが出雲の流れの神様を祀る神社ではない。出雲建雄神(いずもたけおのかみ)は草薙剣の荒魂である。
    

摂社
 

七座社・天神社
    

国宝「七支刀(しちしとう)」と鉄盾(国重要文化財)
 
七支刀は、刀身の左右に3本ずつの枝がでている特異な形を持った鉄剣で、剣身両面には金象嵌の銘が刻まれている。
中国の東晋の369(太和4)年、百済王が倭王に献じたものとされる。

鉄盾
多数の鉄板を長方形につぎ合わせて作った鉄楯で、形に多少の大小と構造の相違がみられるが、その製作は全く同一である。
製作年代について、古墳時代の5世紀末から6世紀初頭の製作とみられている。わが国古代の武器資料として貴重な存在である。






Dec.2012 田中康平 source movie

2012.12.1 撮影
奈良県天理市布留町

石上神宮は、大和盆地の中央東寄り、龍王山(りゅうおうざん)の西の麓、布留山(ふるやま・標高266メートル)の北西麓の高台に鎮座し、境内はうっそうとした常緑樹に囲まれ、神さびた自然の姿を今に残しています。北方には布留川が流れ、周辺は古墳密集地帯として知られています。
当神宮は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁たる物部氏の総氏神として古代信仰の中でも特に異彩を放ち、健康長寿・病気平癒・除災招福・百事成就の守護神として信仰されてきました。(石上神宮HPより)。

訪れた時は黄葉が参道に彩を与えていた。

 

山之辺の道
 桜井市方向
           

 北へ延びる道
           

境内の鶏 と 鏡池
境内に 烏骨鶏や長鳴鶏(小国鶏 東天紅鶏)という高知の天然記念物の美しい鶏が放し飼いされている。
         

楼門
年代:文保2(1318) 重要文化財(指定年月日:1906.04.14(明治39.04.14))
   

     

    

拝殿 
年代:鎌倉前期 国宝 指定年月日:1954.03.20(昭和29.03.20)
      
   

摂社出雲建雄神社拝殿
年代:正安2(1300)国宝 指定年月日: 1954.03.20(昭和29.03.20)
      


  

   






Mar.2012 大野木康夫 source movie

2012.3.25撮影 

境内にいる鶏

      

楼門(重要文化財)

文保2(1318)年の建築
一間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺

                       

摂社出雲建雄神社

  

摂社出雲建雄神社拝殿(国宝)

正安2(1300)年の建築
桁行五間、梁間一間、一重、切妻造、中央通路唐破風造、檜皮葺

                      

拝殿(国宝)

鎌倉前期の建築
桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺
                      






Sep.19 2011 瀧山幸伸 source movie

A camera
       

                           

摂社出雲建雄神社拝殿
             

     

B camera
                                                             




Aug.2010 撮影 野崎順次

奈良県天理市布留町布留山

撮影日: 2010年8月22日

祭神 布都御魂(ふつのみたま)神 布留御魂(ふるみたま)神 布都斯御魂(ふつしみたま)
配祀 宇摩志麻治(うましまじ)命 五十瓊敷(いにしき)命 白河天皇 市川臣

主祭神の布都御魂神は、また佐土(さじ)布都神ともいい、神代に武甕雷神がおびていた霊剣で、平国之剣(くにむけのたち)ともいわれる。「記紀」によれば、神武天皇御東征の時に天降られ、邪神を破り、国々を平定された威徳により、物部氏の遠祖、宇摩志麻治命をして、宮中に奉斎された。のち崇神天皇七年、物部の伊香色雄命が大臣の職にあった時、詔により天社(あまつやしろ)、国社(くにつやしろ)を定めて八百万神を祀らしめられて、布都御魂神と共に石上の高庭の地に祀られ、石上大神と称えたのが、石上神宮の創めである。

物部氏が累代奉仕の任務につき、素盞鳴尊が八岐大蛇を退治された天羽斬剣(あめのはばきりのつるぎ)も祀られ、我が国の霊剣は草薙剣(くさなぎのつるぎ)を除き当宮に祀られることになった。ついで五十瓊敷命が剣一千口を作り神庫(ほくら)に納め、さらに丹波国桑田村の人甕襲(みかそ)が八尺瓊(やさかにの)勾玉を献じ(「日本書記」垂仁天皇87年の条)「釈日本紀」に引く天書には、天日槍(あめのひぼこ)の所来の神宝も納められ「神宮」の称号と共に古代史上独歩の地位をしめていた。下って平安時代末期にいたり、白河天皇の尊信あつく、永保元年(1081)鎮魂祭のために、宮中三殿の一つ、神嘉殿を拝殿に寄進され、神門を改めて、今日の機構に築造され、寛治6年(1092)上皇として親しく神宮に参詣された。

本社の称号は石上神宮・石上振神宮・石上布都御魂神社・石上布都大神・石上神社などと称され、また岩上大明神・布留大明神ともいわれ、略して布留社・石上社とも呼ばれた。
延喜式神明帳には、石上坐布都魂神社と見え、早くから官幣に預ったが、明治4年に改めて官幣大社に列し、同16年に、神宮号の復称が許された。例祭並びに渡御祭は10月15日で、神剣渡御祭(でんでん祭)6月30日、榜示浚・鎮魂祭・玉の緒祭などの神事が古来から行なわれている。

アプローチ

                      

国宝 摂社出雲建雄神社拝殿
この拝殿は、もと内山永久寺の鎮守住吉社の拝殿を大正3年7月に移建したもので、保延3年(1137)の建立といわれている。形式は割拝殿で中央に一間の通路があり、通路の両方の上には唐破風(からはふう)がつけられている。周囲の左右両側が板戸の両開きで前後両面は素木の格子戸になっている。この拝殿は、度々の改造を経て、現在の形となったといわれている。この変遷は、梁上の蟇股(かえるまた)に表れ、南北両側にあるものは、創建当時の様式である。建物全体は、軽快素朴、優美な感銘を与え現在の割拝殿中もっとも優れ、数少ない永久寺の建物の一つとして貴重な遺構である。

                    

摂社出雲建雄神社

        

摂社天神社および七座社

     

重文 楼門
楼門の棟木に「文保二年(1318)卯月二十九日、右奉二為 聖朝安穏 天長地久 社頭繁昌 興隆仏法 郷内泰平 諸人快楽一 所レ造如レ件」の墨書銘があり、鎌倉時代末期、後醍醐天皇が即位された頃の建立である。建築は、桁(けた)行二間二尺、梁(はり)間一間五尺、重層、入母屋造、檜皮葺(ひわだぶき)で上層は和様三手先、下層は二手先に組み、斗供間の蟇股と柱頭の天竺様の鼻の繰形に優れたものがある。柱は円柱で、全体の恰好も美しい。この楼門を一名鐘楼門とも称え、縁起書に(「楼門に洪鐘一口を懸、四天王像を鋳あらわせり、楼門前に鶏栖(けいせい)あり、岩上大明神の五大字を題す」)と記し、氏子有事の際、この鐘をついてしらしたようである。

                

国宝 拝殿 棟札六枚付
永保元年(1081)白河天皇が鎮魂祭のために宮中の神嘉殿を移建せられたものと伝えられ、その構造は壮重雄健で全国に現存する拝殿では最古のものである。文明2年(1470)貞享元年(1684)享保18年(1733)元文5年(1740)寛政10年(1798)安政6年(1859)の修復、上葺等による棟札六枚と共に国宝に指定されている。

                                  

拝殿横の格子窓から本殿と禁足地の方を見る。石板の並び(瑞垣)の奥が禁足地らしい。

       

鏡池と境内のニワトリなど

                        

参考資料
天理市公式HP




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