奈良県天理市 上ツ道
(Kamitsumichi, Tenri City, Nara Pref.)
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February 28 and March 8, 2021 野崎順次 source movie
奈良県天理市
上ツ道、天理駅から櫟本駅
上ツ道(かみつみち)は、古代日本における官道のひとつで、近世日本において同官道を元にした街道である。近世においては、上街道(かみかいどう)とも呼ばれた。
飛鳥時代に奈良盆地を南北に縦断するために整備された道で、現在の奈良市と桜井市を天理市経由で結ぶ。現在の幹線道路では国道169号に相当する
ウィキペディア「上街道(上ツ道)」より
有名な文化財のほとんどない地味な散策コースであるが、歴史に心をはせながら歩けば、それなりに楽しめる。天理駅から歩き始める。最初は上ツ道かどうか若干不明ながら、天理教詰所(宿舎)群を通り抜ける。住所は、田部町、田部町と別所町の境である。
間違いなく上ツ道である。住宅地を進む。モクレンが満開である。
田部町の北端で、やっと、昔の街道の雰囲気が感じられるようになった。
浄土宗浄土院、石造物が多い。
ここの十三仏板碑は天文八年(1539)造立で、大和では二番目に古い。
その他境内
石上町に入った。
浄土宗花園寺(けおんじ)の石造物はよく知られている。
六字名号板碑 室町中期
永正元年(1504) 花崗岩、高さ66cm
阿弥陀石仏 室町時代後期 天文二十二年(1553)高さ152cm
幅 59cm
その他
六字名号板碑 江戸時代前期
阿弥陀石仏 室町時代後期 永禄九年(1566) 安山岩 高さ78cm 幅37cm
六地蔵板碑 室町時代後期 天文九年(1540) 花崗岩 高さ114cm 幅45cm
六地蔵石仏 江戸時代前期 高さ69cm 幅47cm など
街道を進む。落ち着いた佇まいである。
櫟本町に入る。町のパンフレット。
少し東に入ると、在原寺跡と在原神社
「伊勢物語」の作者とも、モデルとも伝えられる在原業平とその父・阿保親王(あぼしんのう・平城天皇の皇子)が祀られています。中将・在原業平は有名な歌人の一人で、絶世の美男子だったと伝えられ、紀有常の娘とこの地に居を構えていました。
境内では今も、業平の作と伝わる伊勢物語に歌われた「筒井筒ゐづつにかけしまろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに」の歌や、伊勢物語をヒントに作られた謡曲の「井筒」にちなんだ「筒井筒」、「一むらの薄(すすき)」の石標、松尾芭蕉の句碑などを見ることができます。
(天理観光ガイドウェブサイトより)
西名阪自動車道のガードをくぐって、さらに北へ。
馬出の町並みと馬つなぎ
高瀬街道と交差する一帯は櫟本と大和高原を結ぶ交通の要所。古くから市場が開かれて商業が活発だった。上街道から東の高瀬街道に沿った部分は、「馬出(うまだし)」と呼ばれた。古い民家のなかに、「馬つなぎ」がいまも残っている1軒がある。炭を扱う商家だった。民家の入口をはさんで左にあるのが「馬つなぎ」、右にある少し低いものは牛をつないでいた。馬や牛をつないだ綱がこすれて、木材がすり減っている部分が100年の歴史を物語っている。
(南都銀行地域事業創造部ウェブサイトより)
大阪府奈良警察署櫟本分署跡
天理教教祖
中山みきが最後に警察によって拘留され、凍てつくような1月のやまと盆地の火の気ないところで12日間御苦労された場所。
(櫟本分署跡保存会ウェブサイトより)
それから
上ツ道から左に外れてJR櫟本駅へ
跨線橋と駅舎は木造で明治31年開業時のものが今も健在。プラットフォーム下段側面の煉瓦造りにも歴史を感じる。
参考資料
河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイト
櫟本パンフレット
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