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奈良県天理市 専行院

(Sengyoin Temple, Tenri City, Nara Pref.)

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August 13, 2020 野崎順次 source movie

奈良県天理市柳本町1474
浄土宗 専行院


縁起については資料が残っていません。鐘銘には天文年中(1531~1553)に円誉(賢公)上人が開山したとあります。また、天正12(1584)年に地元の豪族である、楊元範宣の本願により開基したとも伝えられています。
柳本は、慶長5(1600)年、織田信長の弟で茶人としても知られた織田有楽斎(ゆうらくさい)の知行地となり、さらに元和元(1615)年、有楽斎の五男尚長(ひさなが)が入部して、柳本織田藩が始まります。
専行院は、尚長の入部により、織田氏の菩提寺となりました。現在も有楽斎・尚長をはじめ歴代藩主の墓が残っています。
また東堂の東方には織田家の位牌堂があり、信長、有楽斎をはじめ柳本藩主、生母、奥方を含む34柱の霊位が奉安されています。
ちなみに東京・有楽町の名は、有楽斎が数寄屋橋御門の周辺に屋敷を拝領したことに由来します。
(天理観光ガイド)

上ツ道から東に入る。
    


専行院の伽藍
          


石棺仏が並ぶ。
    


専行院阿弥陀石棺仏(鎌倉時代中期、凝灰岩、高さ 121Cm 幅 91Cm)
古墳の石棺に舟形を彫りくぼめ、蓮座上に立つ来迎印の阿弥陀如来を厚肉彫りする。お顔や首が細長く斜めから見た方が美しい。
(河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイトより)
     


地蔵石仏(鎌倉時代中期、建治二年 1276年、凝灰岩、高さ 60Cm)
地蔵石仏は「建治二年十月十四日」の刻銘が入っている。裳裾を広げるなどの作風から阿弥陀石棺仏は同作者が造立したと考えられている。
(河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイトより)
 


他の石棺仏など
        


境内のいろいろな石仏
           


蓮池もあった。
               

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