奈良県天理市 和爾下神社
(Wanishitajinja, Tenri city, Nara)
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天理市櫟本町櫟本字宮山2490 和爾下神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長(1596-1615) 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺 19380826
March 25, 2017 野崎順次 source movie
アプローチ、JR櫟本駅から東へ歩く。
国道169号線の手前、北側に古墳らしき丘がありお墓になっている。後で調べたら、櫟本墓山古墳で全長約64mの前方後円墳だ。
パンフレット
169号線に面した和爾下神社鳥居付近
参道を進み、左の森に入る。
和爾下神社は古墳(古墳時代前期)の上に所在します。この地域では古い前方後円墳で、鬱蒼とした森に包まれた、静かな場所です。
「延喜式」にみえる古い神社です。もとは「和爾部」と「櫟井臣」の祖神とされる孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたちしひこくにのおしひと)と日本(やまと)帯彦国押人命が祀られていたそうですが、現在は本社大己貴命(一名大国主命)、素盞鳴命(すさのおのみこと)、稲田姫命が祀られています。
古墳が治道山(はるみちやま)と呼ばれていたところから、治道社(春道社)や牛頭天王社、さらに西隣に建てられた柿本寺との関係で柿本上宮とも呼ばれていました。しかし、明治初年に延喜式内の和爾下神社に当るとの考証から、和爾下神社と定められ、今日に至っています。
(天理市観光協会ウェブサイトより)
拝殿
国重文 本殿 桃山
桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺
若宮
その他
柿本寺(しほんじ)跡
柿本寺(しほんじ)は、名前の通り、柿本氏の氏寺です。
建武4(1337)年、北朝軍が天王社(和爾下神社)や柿本寺に陣取って南朝軍と戦ったとの記録や、その前後に描かれた柿本宮曼茶羅(まんだら・現在は奈良市学園前町の大和文華館が所蔵。重要文化財)が伝わっています。
寺は室町時代までに西へ約400m離れた、現在の櫟本小学校西側に移転しています。江戸時代までは代々、学僧が出、和歌や茶の湯などが親しまれましたが、明治初年に廃寺となりました
現在は鬱蒼とした森の中にぽつんと空間が広がっているだけで、寺の跡を示すものは何もありませんが、奈良時代の瓦が近辺から出ており、古い寺院があったことは間違いありません。また、文献には近くに柿本寺があったと書かれていることから、この寺院は柿本寺とされています。
広場中央に置かれている石棺の床材は大変大きなもので、ほとんど原形を保っています。和爾下神社古墳の石棺材と考えられており、橋に転用された後、ここに運ばれています。
(天理市観光協会ウェブサイトより)
大きな石棺材
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