奈良県奈良市 東大寺、手向山八幡宮、若草山
Todaiji/Tamukeyamahachimangu/Wakakusayama,Nara City,Nara
November 3, 2025 野崎順次 source movie
春日大社境内の巨樹を観察した後、東大寺大仏殿の回りをぶらぶら歩いた。強いて目的を言えば、大仏殿裏の公慶道周辺の整備状況と秋の平城京天平行列「東大寺参詣」である。今回のコースを示す。
浮雲園地から南大門、若草山が紅葉していた。
本坊前のイチイガシの若木と曲がった松
本坊北面
鏡池南と東塔院跡で整備事業が進行中
撮影スポットからの大仏殿
大仏殿の東側に猫段という様子のいい石段がある。ここで転ぶと猫になると言われているそうだが、古い地図には「猫坂」の記述があり、当時、ここに山猫がいたことから名付けられたようだ。
公慶上人と大仏殿再建
東大寺の塔頭の一つである「龍松院」の前の松林から大仏殿の東北の角に抜ける小径を「公慶道」と呼ぶ.公慶上人が龍松院と大仏殿の間を行ったり来たりした道。公慶道の両側には立派な杉や桧がずらりと並ぶ。これらは大仏殿再建のとき、資材調達に苦労した公慶が「この先修復が必要になったとき、大木がなかったら困るに違いない」と後世を慮って植樹したものだ。13歳で東大寺大喜院(現龍松院)に入寺し、雨ざらしの大仏を見て大仏殿の再建を決意した公慶だが、幕府の許可を得て勧進を開始したのは37歳になってからだった。1684年公慶、大仏殿再建事業開始。1692年大仏の修復が完成 開眼供養を営む。江戸期再興の大勧進公慶上人がまつられているのが公慶堂。大仏殿の再建そのものは、公盛が上人の後を継いで大勧進となり、幕府の計画通り推進され、宝永6年(1709)3月21日から18日間にわたる落慶供養を迎えて、一応の完成を見たのである。
(街道古道廃道道サイト)
公慶上人が住んでいた龍松院
.正倉院方面(西)に進む
講堂・三面僧房跡では、整備事業に先立ち、一部で発掘調査中である。
大仏殿の西側、鹿たちが静かに過ごしている。
南大門に戻ってきた。近くの売店の英語表示が間違っている。
10 plece → 10 pieces
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秋の平城京天平行列「東大寺参詣」
2025年11月3日(月祝) 13:00頃~JR奈良駅スタート
秋の平城京天平行列は、東大寺建立の詔(みことのり)を発せられた聖武天皇と光明皇后のこ遺徳を偲ぶためのお二人を中心とした行列です。行列では、天皇警護の兵衛隊を先頭に、雅楽隊、お付きの男性貴族や女性貴族がともに歩きます。女性貴族が手に持っ、正倉院宝物を模した品々も必見です!
そして、奈良時代に金が産出されそれを東大寺に納めていた宮城県涌谷町様より、それにあやかって作られた玄米「金のいぶき」が、行列に加わって奉納されます。
(平城京天平行列実行委員会サイト)
13:00にJR奈良駅を出発した行列が14:15頃南大門を通過した。
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