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奈良県奈良市 薬師寺

Yakushiji,Nara city,Nara

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奈良市西ノ京町457 薬師寺休岡若宮社社殿 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 鎌倉後期 一間社春日造、檜皮葺 19130414

奈良市西ノ京町457 薬師寺休岡八幡神社社殿 本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長8(1603) 三間社流造、檜皮葺 19350513

奈良市西ノ京町457 薬師寺休岡八幡神社社殿 東脇殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長8(1603) 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺 19350513

奈良市西ノ京町457 薬師寺休岡八幡神社社殿 西脇殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長8(1603) 桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺 19350513

奈良市西ノ京町457 薬師寺東院堂 国宝 近世以前/寺院 鎌倉後期 弘安8(1285) 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 19040218 19610427

奈良市西ノ京町457 薬師寺東塔 国宝 近世以前/寺院 奈良 天平2(730) 三間三重塔婆、毎重もこし付、本瓦葺 18971228 19510609

奈良市西ノ京町457 薬師寺南門 重文 近世以前/寺院 室町後期 永正9(1512) 四脚門、切妻造、本瓦葺 19470226


January 1 and 5, 2020 野崎順次

source movie(Jan.1)  source movie(Jan.5)

奈良県奈良市西ノ京町457
法相宗大本山
薬師寺

大晦日の除夜の鐘で薬師寺の東塔の全容が見られたそうなので、元旦早朝(午前6時から7時)に薬師寺に行ったが、未だ閉門中で、東南の観音池のあたりから朝日にあたる上半分を見た。また、池には渡り鳥親子もいた。これらは動画撮影のみである。
1月5日に再訪し、東塔を中心に白鳳伽藍を撮影した。東塔は、薬師寺で唯一創建当時、1300年前より現存している建物である。平成21年より解体修理工事が始まり、今年の春に落慶法要が行われることになっている。

輿樂門から不動堂
         


大講堂、金堂
                 

西塔
         


国宝 東塔
                                          


国宝 東院堂
   


その他
          


November 17, 2019 野崎順次 source movie

パンフレット、現地説明板

           

本坊事務所前の道路を北に行く。

       

玄奘三蔵院伽藍、礼門

           

玄奘塔、大唐西域壁画館

          

まほらば会館、お写経道場、慈恩殿

     

南の白鳳伽藍の方へ

         

東僧坊、薬師寺名物の面白い法話をする会場

    

食堂

   

大講堂

           

金堂

           

西塔

      

工事中の東塔

  

東院堂

   

その他境内

    

夕闇せまる空を見上げる。

          

句碑、不動堂、輿樂門

          

帰途、近鉄電車から見た大阪市街の絶景

    


Jan. 2013 中山辰夫

唐招提寺から薬師寺まで「歴史の道」に沿って散策する。

歴史の道

  

歴史の道は1972年に奈良市が定めたルートで、広大な平城京をめぐってのびる全長約27km。“咲く花のにほふがごとく..”と歌われた天平文化が

それこそキラ星のように散りばめられた道である。

距離は長く見どころもふんだんにあるので、散策ガイドは奈良公園、佐保・佐紀路、西の京の3ブロックに分けて紹介している。

3コースとも見ごたえのある古社寺をつなぎ、花どころも多い。「奈良市HP」

薬師寺に向かう途中に見かける民家には味わい深いものがある。

         

薬師寺

奈良市西ノ京町457

宗派:法相宗本山

朱塗りの回廊をめぐらした薬師寺は、680(天武9)年に天武天皇の発願により創建された。平城遷都に伴って飛鳥から現在の場所に移転、東塔・西塔

を備えた独特の薬師寺式伽藍配置であったが、何度も火災にあい、東塔以外の堂宇をすべて焼失した。昭和に西塔・金堂、平成になって講堂が復元

された。多くの国宝を有している。

昭和・平成の伽藍復興事業の裏には多くのドラマが生まれているようだ。

境内案内図

  

北口「與楽門」より境内に入る。

     

境内

     

大宝蔵殿 (聚寶館)

寺宝を収蔵保存する。年二回公開される。特に名高い吉祥天画像は、仏教興隆に尽くした光明皇后の姿を描いたとされ国宝。

造られたのは772(宝亀3)年で、独立した画像としては日本最古の彩色画である。「引用 薬師寺公式サイトHPより…以下薬師寺HPと略す」

     

礎石

   

東僧坊

大講堂の北東に位置する新しい建物

    

興味ある展示が並ぶ

白鳳伽藍復興用材

金堂の外側は三千五百石の台湾ヒノキを使用した。

  

千年の釘

  

国語の教科書に載った「千年の釘にいどむ」(内藤誠吾著)という物語。

西塔の復元にあたって、四国・松山の刃物鍛冶師、白鷹幸伯さんが古代の技術を生かし、千年長持ちするという和釘をつくったことを紹介する話。

「ヒノキの柱は千年以上もつが、現代釘の耐用年数はせいぜい30年。製鉄所で作った現代鉄では、千年はもちません」

古代の釘は、砂鉄を原料に、たたらという技法でつくられ、純度は99%以上あり、錆びにくい。しかし、高炉で大量生産される現代鉄には不純物が多く

腐食とともに釘の機能を失ってしまう。また、炭素割合の加減で、硬すぎるともろく、軟らかすぎると木に打ち込めない。

釘に適した高純度鉄をどうやって入手しようかと頭を抱えていたところ、大手鉄鋼メーカーNKK(現JFE)が、貴重な文化遺産を守る有意義な事業だとして

炭素の含有率が0.1%の古代鉄に近い高純度鉄(SLCM材)を製造し、採算度外視で用意してくれた。

和釘の形状は、法隆寺などの解体修理現場から出たものを基準に西岡棟梁が図面を起こした。

西岡常一棟梁との出会い、高純度鉄、そして白鷹さんの技術。こうして、千年の釘は再現された。

まず、薬師寺西塔用の和釘が6,990本鍛造された。その後、薬師寺回廊や大講堂など、約2万本を鍛造した。「いろいろな鉄を集めて、叩いてみたり

曲げてみたり試行錯誤したが、最後は鍛冶屋の直感でした」

さて、和釘をみると、その形は、現代釘とまるで異なる。現代釘は洋釘と言い、明治期に伝来したものである。一方、和釘は、薬師寺の白鳳型ならば

先端は細く、真ん中は表面がでこぼこして膨らみがあり、頭に近い部分は再び細くなっている。その理由を白鷹さんが次のように説明してくれた。

「木に釘を打ち込むと、木と釘の間に隙間ができる。木の繊維は、元に戻ろうとする性質で膨らみ、隙間を…・」

『いよぎん地域経済研究センタ−「千年の釘挑む 白鷹幸伯氏」 薬師寺再建千年の釘』より引用

金堂本尊台座模型

     

中国の四方四神(東に青龍[せいりゅう]、南に朱雀[しゅじゃく]、西に白虎[びゃっこ]、北に玄武[げんぶ])の彫刻がなされている。

国宝の東塔の飛天が踊る水煙の模型

 

大講堂

1976(昭和51)年に金堂、1981(昭和)56年に西塔が落慶し、以後中門・回廊の再建工事と平行して大講堂の復元設計に着手。

2003(平成13)年の再建。基本設計は棟梁・西岡常一で、金堂以来一貫した裳階付の薬師寺独自の様式となっている。

     

大講堂は正面41m、奥行20m、高さは約17mあり伽藍最大の建造物。

    

薬師寺の伽藍で特徴的なのが、柱3本の二間幅で中央部の塀の内外両側に廻廊がある複廊。

連子窓が美しい法隆寺の単廊とは明らかに違う造りである。

     

大講堂が金堂より大きいのは古代伽藍の通則で、これは南都仏教が教学を重んじ講堂に大勢の学僧が参集して経典を講讃したため。

     

大講堂内部

     

大講堂の仏像(薬師寺HPより引用)

弥勒三尊像

重要文化財 白鳳〜天平時代

 

仏足石・仏足跡歌碑(薬師寺HP) 

国宝 天平時代

  

仏足石は、お釈迦さまがお亡くなりになって、約3〜400年間はインドには仏像がなかった。これは仏さまを形に現わすのは勿体ないとの考えからで

そのかわりに、仏さまの足跡を石に彫ったり、菩提樹[ぼだいじゅ]や法輪に祈りを捧げてきた。この仏足石は側面に記される銘文により、インドの

鹿野苑[ろくやおん](お釈迦さまが初めて法を説かれた所)の仏足石をもとに、天平勝宝5年(753)に刻まれたことがわかる日本最古の仏足石。

仏足跡歌碑は、仏足に対する礼讃[らいさん]と生と死の歌が刻まれている。歌の調べは「五七五七七七」で、一首が三十八文字の仏足跡歌体。

一字一音の万葉仮名を使って二十一首の歌が刻まれ、仏足石に対する天平人の感動が素朴に詠まれている。

釈迦十大弟子(薬師寺HP)

  

2500年程前インドでお釈迦さまやその多くのお弟子さまが、日々厳しい修行をされていた。中でも優れた十人が釈迦十大弟子。

仏足石を中心にお釈迦さまと語らうが如くに安置されたこの像は、2002(平成14)年に彫刻家中村晋也師よりご奉納された。

     

金堂

棟梁に西岡常一が迎えられた。古式の規模は分かっているが立面は何もわかっていない中で、建築史学者グループや西岡棟梁らが推定復元図をひき、

模型で検討を重ね完成に至った。本尊周辺の内陣は防災のための鉄筋コンクリート造である。

        

中世の戦乱(1528享禄元年)で失われた後は、1600(慶長5)年豊臣秀頼により単層五間五間、寄棟造り本瓦葺の仮堂が出来た。本格的な再建に

取り掛る筈が豊臣家の滅亡で、400年近くこの仮堂のままの状態で本尊の薬師三尊を守ってきた。

金堂の再建は歴代の薬師寺住職にとって悲願中の悲願だった。最近に行われた基壇の発掘で柱配置と二重に裳階が付いていたことも分かった。

1967(昭和42)年、高田好胤管主が金堂復興を発願し、建造費用を、般若心経の写経を一巻1000円で永代供養し、計百万巻の浄財を募る方法を

とって、1976(昭和51)年の復興に至った。色彩と装飾は、本来のものよりは抑え気味にされたと言われる。

     

参考資料≪斑鳩の匠 宮大工三代 平凡社より引用≫

金堂正面図(部分)

 

金堂上層妻飾断面図

 

金堂縦断断面図 黒いところがコンクリート

 

金堂の仏像(薬師寺HPより)

薬師三尊像 

国宝 白鳳時代

 

金堂内の白大理石須弥檀上に、中央に薬師瑠璃光如来、向かって右に日光菩薩、向かって左に月光菩薩[がっこうぼさつ]がお祀りされている。

薬師三尊のおわします内陣は1015(長和4)年に撰述された薬師寺縁起で「瑪瑙[めのう]を以て鬘石となし、瑠璃[るり]を以て地となし之を敷く

黄金を以て縄となし、道を堺し蘇芳[すおう]を以て高欄[こうらん]をつくり紫檀[したん]を以て内陣天井障子となす」とあり、まばゆいばかりの様相で

まさに浄瑠璃浄土の世界である。薬師如来のまたの名は医王如来ともいい、医薬兼備の仏様である。

薬師如来台座

国宝 白鳳時代

 

薬師如来が座っておられる台座には、奈良時代における世界の文様が集約されている。

一番上の框[かまち]にはギリシャの葡萄唐草文様[ぶどうからくさもんよう]、その下にはペルシャの蓮華文様[れんげもんよう]が見られる。

各面の中央には、インドから伝わった力神(蕃人[ばんじん])の裸像が浮彫りされている。さらに、下框には、中国の四方四神(東に青龍南に朱雀

西に白虎、北に玄武の彫刻がなされている。正にシルクロードが奈良まで続いていた。

鐘楼

   

西塔

戦国の戦火で焼失したが、1981(昭和56)年、綿密な調査に基づき特有の木造建築工法で創建当時の姿に復元された。

東塔と比較すると、まずその鮮やかな色に目を奪われるが、またそれは奈良を表わす色使いでもあると言える。塔の連子窓に使われている色を「青色」に

扉や柱に使われている色を「丹[に]」色と呼び、万葉集の一節に≪あおによし ならのみやこは さくはなの におうがごとく いまさかりなり≫と歌われている

事からも当時の平城京の華やかさを表現する意味もあったのではないかとされる。

    

古色を帯びた東塔と朱塗も鮮やかな西塔が向かい合う薬師寺ならではの光景は、東塔の解体終了後までしばらくお預けである。

復元された西塔は東塔より約2m高く、屋根の傾斜がゆるやかとされる。

色はもちろん連子窓の有無や屋根の反り、基檀の高さ等、東塔との違いが多く見られるが、(例えば、東塔の連子窓は、度重なる修復時に白壁に変えら

れている。)まさにその違いこそが1300年という歴史の流れを表している。

          

水煙

東塔と同形であるが、風鐸4組が付く。

    

参考資料≪斑鳩の匠 宮大工三代より引用≫

三重塔上部相輪断面図

 

三重塔初重上部断面図及び初重下部断面図

 

1995(平成7)年に復元完了した回廊の南西の角に立つと、廻廊、西塔、金堂の3つの新しい建物が重なって見える。

   

西塔の仏像(薬師寺HPより)

釈迦成道像(しゃかじょうどうぞう)・初転法輪像(しょてんぽうりんぞう)・釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)弥勒如来像。

   

左上:釈迦成道像、右上:初転法輪像

左下:弥勒如来像、右下:釈迦涅槃像

東塔と同じく釈迦八相のうち後半の四相(果相)にあたる諸像が安置されている。四体は沢田政廣仏師の手によって作成された。

毎年3月の上旬から中旬まで内陣が公開され、特別法要が営まれる。

西塔遠景

          

東塔

国宝

平成30年度まで解体修理の予定。現在は覆屋の中にある。

     

工事着手前の東塔(薬師寺HPより)

   

平成21年から始まった解体修理前の三重塔。平成30年、解体修理の完了予定。

奈良時代の730(天平2)年建立。当時の唐の建築を模して建てられた。伽藍の中で唯一残った創建当時の建築である。

六重に思えるが、各層に「裳階」と呼ばれる庇が付いた三重塔。高さは33.6m

金堂は勿論、大極殿等の平城京の復元建物は、すべてこの薬師寺東塔の様式で建てられた。

水煙

 

最上部の相輪部分だけで約10mある。

上部にある火焔形の「水煙」には、音楽を奏でながら舞う24人の飛天が繊細な浮かし彫りで表現されている。

アメリカのフエノロサが「凍れる音楽」と評したことで名高い。

東塔の仏像(薬師寺HPより)

釈迦苦行像

 

1992(平成4)年に大川逞一仏師より奉安された。

四天王像

 

仏壇四方に江戸時代の四仏をお祀りし、四隅には平安時代の四天王像が安置されている。

左より持国天、増長天、広目天、多聞天

歌碑

  

佐々木信綱

 

≪ ゆく秋の 大和の国の 薬師寺の 塔の上なる 一ひらの雲 ≫

會津八一

 

≪ すゐえんの あまつをとめが ころもでの ひまにもすめる あきのそらかな ≫

東院堂

国宝

回廊の東外側にある。現存する最古の禅堂。

東院堂は、養老年間(717〜724)に吉備内親王が元明天皇の冥福を祈り、建立された。現在の建物は鎌倉時代に禅堂として再建されたもの。

     

現在の建物は正面7間、側面4間の入母屋造本瓦葺で、1285(弘安8)年に南向きで再建されたが、享保18年(1733)に西向きに変えられた。

高い基檀の上に建つのは、水害・湿気を避けるためであり、鎌倉時代後期の和様仏堂の好例である。

     

堂内には、白鳳仏を代表する国宝 聖観世音菩薩が安置され、その四方は鎌倉時代の四天王像が守護している。

仏像

   

本尊の聖観音菩薩立像「国宝」は、白鳳期と天平期両方の特徴を備え、インドのグプタ王朝の影響も見られるとされる。

仏像(薬師寺HPより)

聖観世音菩薩

国宝

本尊の聖観音菩薩立像は、白鳳期と天平期両方の特徴を備える。

 

心の目で見ることを「観[かん]」という。色なき色を見、音なき音を聴く、これが「観」である。この観の働きをもって私たちの悩みや苦しみや悶えを

お救い下さるのが観音菩薩である。聖観世音菩薩は日本屈指のお美しいお姿の観音さまといわれ、薄い衣を召し、その衣の美しい襞の流れの

下からおみ足が透けて見える彫刻法は、インドのグプタ王朝の影響を受けたもの。

四天王像−持国天

鎌倉時代

 

四天王は、聖観世音菩薩の四方には、持国天(東)、増長天(南)、広目天(西)、多聞天(北)の四天王像が安置されている。

多聞天台座銘より、1289(正応2)年に像造、ついで1296(永仁4)年に彩色が完成したことがわかる。檜の寄木造りで玉眼が嵌[は]め込まれ

大形で誇張的な衣の翻りや邪気の形態の表現、盛り上げ手法をまじえる彩色など、鎌倉時代の特色を示す。

中門

中門は1984(昭和59)年に西塔に引き続き復興された。1991(平成3)年には二天王像も復元されました。

回廊は、藤原京薬師寺では単廊であったとされているが、平城京薬師寺では複廊と呼ばれる2重構造になっているのが特徴。

現在すでに第三期までが復興工事を完了している。

    

二天王像(一部薬師寺HPより引用)

1991(平成3)年に復元復興された二天王像は、1582(享禄元)年の兵火により中門とともに焼失した。

その後約400年復興をみることがなかったが、1984(昭和59)年お写経勧進により中門が復興され、それに伴う発掘調査により裸形の

仁王像ではなく武装した二天王像ということが判明した。

二天王像の形式は、中国西安大雁塔の門垣にある線彫の仁王像や、法隆寺の橘夫人厨子の扉絵等を参考にした。

   

南門

重要文化財

もともと西門だったものを南大門跡地に移築したもの。そのため薬師寺のような大寺の表門にしては、小さな門となっている。

切妻造の四脚門、本瓦葺。室町時代(1512年)の建物。

          

参考

『大和名所図絵」の薬師寺関連 「奈良名所むかし案内より引用」

奈良の名所案内記は、江戸時代を通して様々な趣向で刊行された。大和名所図会は、1791(寛政3)年に出版された。

著者は秋里籬島、絵師は竹原春朝斎

全景

格式高い薬師寺も江戸時代には創建時とはかなり姿を変えていたことがわかる。

 

本堂・東塔・ほか

  

絵の中央、本堂と記してあるのが本尊のある金堂。その右が東塔。東塔は平城薬師寺が創設された時からの建物。薬師三尊像を祀る。

絵の塔は、本文には「六層塔(天平2年の建立なり。今にあり)と記されている。実際は三重塔である。各階の本屋根の下に裳階と

呼ばれる庇が付いているため六階とみられた。この天平2年は、平城薬師寺が新造されたとあるが、「薬師寺論争」とつながる。

講堂跡に建物がなく、礎石が舞台のように場をしめている。講堂は2003(平成15)年再建された。

図会で金堂の左下に文殊堂が建っている場所は、かつて西塔が建っていたところで、1981(昭和56)年再建された。

西ノ京八幡宮 (現在の「休丘八幡宮ー薬師寺HP」 を添付

  

仏石・仏足跡石碑図

 


Jan.2012 大野木康夫 source movie

2012.1.26撮影 

薬師寺東塔の修理も本格的になり、素屋根が完成間近ということなので、見に行きました。

2月中旬からはすっぽりと素屋根に覆われ、平成30年まで塔の姿を見ることができないようです。

白鳳伽藍各所

訪れる人も少なく、素屋根工事のクレーンの音が響いています。

          

東塔(国宝)

天平2(730)年の建築

三間三重塔婆、毎重もこし付、本瓦葺

素屋根に半分覆われていますが、中門付近からはほぼ全体が見えていました。

                             

中門から南西に向かえば、鎮守社が3つ並んでいます。

  

平木大明神

  

弁才天社

     

休岡若宮社社殿(重要文化財)

鎌倉時代後期の建築

一間社春日造、檜皮葺

薬師寺の重要文化財の建造物の中では、一番目立たないものです。

一昨年夏に訪れた時は近くに寄ることができませんでしたが、柵が撤去され、直接お参りすることができるようになっていました。

                   

中門を振り返ると、素屋根と東塔が覗いています。

      

中門の東、東院堂に向かいます。

もう一つの鎮守社、竜王社もあります。

   

東院堂(国宝)

弘安8(1285)年の建築

桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺

中門内よりもこちらの方が人が多かったです。

                           

東院堂の南から東塔を眺めました。

             

南門(重要文化財)

永正9(1512)年の建築

四脚門、切妻造、本瓦葺

朱塗りで目立つ門ですが、訪れた人のどれだけが文化財であるという意識をもって見ているのでしょうか。

東塔ともしばらくの間のお別れです。

                    

休岡八幡神社社殿3棟(重要文化財)

いずれも慶長8(1603)年の建築

南門からさらに南、駐車場との間にあります。

社務所等が修理中でした。

     

本殿

三間社流造、檜皮葺

                   

東西脇殿

各桁行三間、梁間一間、一重、切妻造、檜皮葺

                

休岡八幡神社から西南、七条大池に行って池越しに白鳳伽藍を眺めました。

若草山の山焼きの撮影ポイントですが、素屋根で若草山が隠れてしまいます。

        

唐招提寺に向かう途中の子院の土塀は、子どもの頃に来た時の記憶にある、妙に埃っぽい薬師寺の面影が残っています。

もっとも、畔脇の用水路然としていた側溝が、すっかりきれいに整備されていますが。

     


Oct.2011 野崎順次

奈良県奈良市西ノ京町457

法相宗本山薬師寺

撮影日: 2011年10月16日

中学校の遠足で来たときは、若いお坊さんの愉快な説明に大笑いしたことを覚えている。それ以来、何度となくここにきて、ピカピカの金堂、大講堂、西塔が再建されるのを見てきた。個人的に昔の佇まいのほうがよかったが、ここはあくまで前進する現役のお寺さんである。

   

薬師寺の白鳳伽藍は独特のスタイルから「薬師寺式伽藍」と呼ばれている。いつも通り、北側の興樂門から入り、大宝蔵殿・聚寶館へ向かう途中、紫式部と白式部が目を引く。

           

東僧坊、東回廊から東院堂に向かう。

        

国宝 東院堂 鎌倉

                                  

国宝 東塔 白鳳

凍れる音楽の東塔の補強工事が始まっていたのが、興ざめであるが、仕方がない。

                

西塔、金堂、大講堂

         

 


Nov.2009 撮影/文 野崎順次

奈良県奈良市西ノ京町457

法相宗本山

薬師寺

撮影日: 2007年7月28日

薬師寺の白鳳伽藍は独特のスタイルから「薬師寺式伽藍」と呼ばれております。

国宝 東塔(白鳳時代)

      

国宝 東院堂 (鎌倉時代)

 

金堂と大講堂

       


Mar.2006 撮影: 瀧山幸伸 source movie

         

    

     

 


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