奈良県大和郡山市 番条
Banjo,Yamatokoriyama City,Nara
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February 7, 2026 野崎順次 source movie
奈良県大和郡山市番条町
番条環濠
番条環濠は、佐保川東岸の自然堤防を環濠で囲み、南北に連なる三つの曲輪を備えた、東西200m、南北710mという長大な環濠集落です。『日本城郭大系』によれば、この三つの曲輪は元々独立した館城で、これを連ねて一体化した典型例であり、中世は番条城という城塞集落でした。地図を見ると、集落中央の東西に道が走り、道から北に曲輪が一つあり、南側に二つの曲輪が連なります。西は佐保川、北は菩提仙川、東は佐保川の後背湿地に囲まれ、平地ながら城塞を築くには適した要害の地だと思います。
( 中略)
応仁の乱後、番条氏は筒井氏に属しましたが、戦国時代後期になり、筒井順慶と松永久秀の抗争が大和国で勃発すると、番条城は筒井城とともに両勢力攻防の地となります。1568(永禄11)年、織田信長上洛後に、信長と同盟した久秀の手にいったん落ちましたが、1571(元亀2)年に順慶が辰市城の戦いで久秀を撃破すると、番条城は再び筒井方の城として復帰しました。1580(天正8)年、信長の命で大和国内の郡山城以外の城が破却され、このとき番条城も破却されたと思われます。
近世、番条城が廃城となった後も、環濠集落として引き続き人々が集住し、集落北西で佐保川と菩提仙川が合流することから、河川港が置かれて大和川水運の要衝となりました。
(大和徒然草子サイト)
遺跡分布図と今回の探索コースである。環濠には細かく「~堀」と名前がついていたようで、「大和徒然草子サイト」に従ったが、こちらの勘違いもあるかとおもうので、その場合はご容赦ください。
佐保川を寿橋で越えて番条町に入る。この道路が集落の真ん中よりやや北寄りを緩く曲がりながら横断している。寿橋から北へ向かう。かつての濠の名残りの水路が堤の下に並行している。
北端の菩提仙川沿いの濠は往時の姿をよくとどめているようだ。
東側に回り込む。大きな池があり、環濠沿いに進めないので、畑を横切って遠回りする。
熊野神社はかつての城跡といわれる。土塁の痕跡が残る。
熊野神社の南東の環濠は庄屋口堀と呼ばれる。
熊野神社前に戻り、集落内の古い町並みを南へ
東西横断道路を東へ
南側集落の東側の濠は辻堂堀である。
その南はコンクリート水路になっている。
南側集落を二分する念仏堀(かつての二つの曲輪の間)
再び南に延びる水路。かつての濠は住宅石垣まであった。ここらは一堀と呼ばれる。
集落の南端の濠は、横堀、初堀、南堀から成る。
西側に回り、南藪堀を横切って集落に入る。大きなお屋敷が建ち並び、道筋は曲がって見通せない。
ここらも南藪堀らしい。
濠の痕跡はさらに狭くなって、水量の少ない溝となる。北藪堀というらしい。
洋風の建物にたどり着いた。溝はさらに北に延びているが、町並みを見ることにした。建物はセルフカフェ「樹の実」で店主も客も誰もいない。
南の集落には南北の道が1本だけである。
念仏堀を越えて、南の町並みを見通す。
北へ戻る。
横断道路に戻った。北藪堀から続く溝と北側の路地。
Apr.2004 瀧山幸伸 source movie
番条
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