奈良県大和郡山市 大和郡山城跡
Yamotokoriyama castle,Yamatokoriyama City,Nara
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Mar.26,2020 瀧山幸伸
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April 2, 2016 野崎順次 source movie
郡山城跡は日本さくら名所100選の一つである。
佐保川河畔からタクシーで来る。花見季節でかなりの渋滞であった。
桜御門跡あたり
東から近鉄の線路と五軒屋敷池越しに見る。追手東隅櫓(再建)と見事な枝垂れ桜である。
東南の入り口から入る。
本丸(天守台は整備工事中)と柳澤神社
柳澤文庫あたりから見たお堀
毘沙門郭あたり
追手門(再建)あたり
追手東隅櫓横の枝垂れ桜を裏と横から見る。それ以上は近寄らせてくれない。
陣甫曲輪から入口へ
すぐ横の公園
郡山城跡
大和郡山市
郡山城跡のある大和郡山市には、遠く奈良時代から盛んだった「農村の顔」、筒井順慶や豊臣秀長によって育まれた
「商都」と「城下町の顔」そして、昭和工業団地や地場産業など、県内総出荷額の3分の1を占める「工業都市の顔」
といった3つの顔があると言われており、伝統的な商業や農業の分野においても特色を発揮してきた地域です。(市HP)
大和郡山城
城砦の形から犬伏城とも呼ばれた大和郡山のシンボルで桜の名所としても有名。
1580年(天正8)8月、「大和一国破城命令」により郡山城を残して他の城郭は破却された。
同年11月、筒井順慶が織田信長の援助を得て大和国守護になり、以前の城主であった郡山辰巳は殺され、
家来衆は筒井順慶に組み込まれた。
本格的に築城(縄張り)が開始されたのは1585年(天正13)豊臣秀長が入城してからで、近世城郭の原形ができた。
江戸時代初期は、水野・松平・本多氏など激しく城主が交代したが、享保9年(1724)に柳沢氏が入城して幕末を迎えた。
1858年(安政5)12月に二の丸から出火し、住居向きの建物がすべて焼失した。
三年後、1861年(文久元)に再建されたが、1873年(明治6)3月に県令137号により入札・売却され運び去られた。
郡山城跡案内
近鉄線の踏み切りを越えると右側は五軒屋敷池である。一見掘と思えた。
すぐ先には城の入場口、鉄(くろがね)御門跡に石垣。頑丈な石積が残っている。鉄御門跡を通り過ぎ、内堀と平行に
続く道に出る。両側にはさくらの大木が並ぶ。ここでのさくら祭りは有名である。郡山高校の土塀が続く。
内堀に建つ石垣は見事である。水質浄化の囲いが並ぶ。イケチョウ貝を利用している。
鉄御門跡から5分ほど歩くと高い建物が目に入る。追手向櫓である。追手門も近い。城に来た実感が湧く。
この追手門等の再現は、市民運動により、豊臣秀長が築城した当時に近い形で、昭和58年に
追手門が、追手向櫓、多聞櫓、追手東隅櫓などが昭和58年〜昭和62年にかけて再建された。
追手向櫓と広場
城まつりはこの広場で行われる。さくらも咲いて景観抜群とか。
追手東隅櫓
市民会館(城址会館)
奈良県指定文化財
明治41年(1908)県立奈良図書館として奈良公園に建設。昭和43年(1968)新館建設に伴い
郡山城跡に移築保存する。
御前桜
約420年前の天正16年(1588年)に、豊臣秀長が多武峰談山神杜を城内に遷座したときに桜も城内に
移したと言われている。その後、柳澤吉里が郡山に入城した時(1724年)多くの桜を補植し、花の時期には
藩士や町民たちの楽しみとなり、御殿桜と呼び親しんでいた。
現在、約1000本の桜が植えられ、お城まつりが盛大に開催される。
城址散策路
本丸を囲む内堀の廻りに設けられている。
樹木の間から、内堀や本丸跡の石垣が見える。
馬場先門跡あたり
五拾門馬場跡辺り
仕切門〜郡山高校舎辺り。高校は二の丸屋敷跡に建つ。
柳澤神社
本丸跡にあって、祭神は五代将軍綱吉の側用人柳澤吉保。明治13年(1880)創立。
社務所
社殿
天守台跡附近の石垣
さかさ地蔵
築城時の石不足を浮き彫りにしている。
天正13年(1585)に入封した秀長は城の大増築を行う。その際、石垣を組むために羅城門の礎石や墓石まで
運び込ませた。町民たちにも石を供出させたため、方々で石の取り合いとなる騒ぎまで起きたとされる。
昭和36年(1961)、逆さに埋め込まれた地蔵や石仏の霊を慰めるため,市民有志の浄財による長い数珠で天守台
を取巻く“数珠くり法要”が始められ、今も城まつりの最終日に行われる。
柳澤文庫
柳澤神社から白門跡を過ぎる。
昭和35年(1960)郡山城跡が県の史跡指定になったのを縁に、財団法人郡山城史跡・柳澤文庫保存会
として発足し、郡山城内の毘沙門郭に設立された地方史誌専門の図書館。柳澤家から引継がれた史料や書物を展示。
柳澤文庫庭園
柳澤文庫の向かい側にある。
昭和初年に前庭として造園されたのもので、当初は菱形の池があり、そこで金魚の養魚を行っていた。
後に埋め立てられ、現在のような綺麗な庭園になった。
お城まつりの時には、お茶会が行われ桜の下でお茶を楽しむ。
街中から見た城
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